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御朱印帳の転売


 茨城県の神社が、御朱印帳がネットオークションで転売されていることに対して、

ヤフオクで当社の御朱印帳が出品されていました。すでに落札されていまして社頭頒布の約3倍近い値段で落札されていました。神社頒布品をオークションに出品し利益を得る行為は許せません。頒布品は祓いをし神徳を得られるように祈願しております。一般商品とは違うものなんです。もう来ないで下さい。
— 守谷総鎮守八坂神社 (@m_yasakajinja)2017年6月18日

というツイートを神社の公式アカウントで投稿し、賛否両論が繰り広げられ大きな話題になっている。ハフィントンポストも6/20にこれに関する記事を「御朱印張がヤフオクで売られる⇒茨城・八坂神社が苦言「もう来ないでください」」という見出しで掲載した。ツイートの「もう来ないで下さい」という部分が最も多くの反応を集めていることを示す見出しだが、個人的にはハフィントンポストの見出しの切り出し方はやや意地が悪いと感じる。ただ、最近はこういった見出しでビューを集めることが普通になっている部分もあり、ハフィントンポストだけがこのような姿勢であるわけではないのも事実だが、個人的には肯定的には受け止められない。一方でハフィントンポストが切り出した「もう来ないで下さい」という表現は、神社という宗教心や道徳心を説くことが主な目的である団体の姿勢としては相応しくないとも思える。そういった意味ではこの件の最も重要な部分を短い見出しで表現するには、仕方がない意地の悪さだったようにも感じる。


 それは別として、神社が御朱印帳の転売に不快感を示す気持ちも理解できるし、信仰心の高い人がそれに同意し擁護したくなる気持ちも同様に理解できる。だが、一般商品と違うものかどうかは手に入れた側の認識の問題だろうし、それを3倍の値段でも手に入れたいと感じる人が存在することも理解できる。要するにこの件は信仰心の有無、若しくは信仰心の程度の問題だろう。神社側は販売ではなく頒布という言葉を用いている。神社は商売が主目的の存在ではないからで、その為に御朱印帳やお守りなどは販売しているのではなく、商売で言うところの原価と神社の維持管理のために必要な金額をお布施のようなものとして、参拝者から頂いているという姿勢なのだと思う。それがおかしいと言うつもりも全く無いが、その神社を信仰していない人からしてみれば、神社の維持管理に必要な経費に充てる金銭も、一般的な企業が存続する為、活動を拡大する為に得ようとする利益も同じようなものと解釈するのではないだろうか。もっと意地の悪い見方をすれば、神の名の下に利益を上げ、販売行為を不必要に美化していると思う人だっているかもしれない。そこまで意地悪く思っていなくても、御朱印帳などを単なる美術品のように捉え、道の駅のスタンプなどのようにコレクションしたいだけの人も居るだろうし、それが絶対的に悪いことだとも自分には思えない。

 確かにそういう考え方の人には、神社が来て欲しくないと思うのはごく当然なことだと思う。しかし信仰心が明確に無い人ならそれでいいのかもしれないが、信仰心の程度の問題で、現地には行けないがその神社のご利益を何らかのかたちで受けたいという人も居るだろう。神社側は御朱印は実際に参拝した証として貰う物だからネットで頒布しないし、オークションで手に入れても意味が無いと言う。しかし意味が無いかどうかは実際は個人がどう感じるかの問題だ。例えば江戸時代には伊勢講や富士講が流行った。誰もが実際に伊勢参りや富士山へ参拝したいと思ったはずだが、金銭的な問題で行けない人も多く、仲間内で積み立てして、代表者が参拝を行い、土産物や土産話を持ち帰ったと言われている。要するに代表者が参拝することで、行けなかった者も伊勢神宮や富士山を参拝した気分になって有難がったということだろう。現代に置き換えてみれば、どこの誰だかは知らないが神社に行った人が手に入れた御朱印帳をネット経由で手に入れる、ということも似たようなことのように感じる。また、お守りを贈り物として誰かから貰っても、それではご利益が低くなると感じる人は殆ど居ないのも似たような話だと思う。

 神社の転売目的ならもう来るなという姿勢を全面的に否定することは出来ないが、しかしその姿勢は拡大解釈すれば信仰心が無い奴はうちの神社には来なくていい、来て欲しくない、来るな、と言っているようでもある。それは結果として、自身で参拝できないような者は信仰心の低い人だと切り捨てるような姿勢にも見えてくる。また、日本の神道は一神教でないことが大きな特徴で、他の宗教の信者も広く受け入れてきた。現に都内の有名な神社へ行けば多くの外国人観光客が参拝しているし、日本語以外の言語で書かれた絵馬も多く奉納されている。確かに神社を維持する為に頒布(個人的には実際には販売だと思う)している御朱印帳を、無関係の第三者が利益を目的に転売していれば不適当なようにも思う。しかしそれが不快で時代に合わせて対処するという意味では、神社自身がネット上で頒布することも必要なのかもしれないし、御朱印が参拝の証で厳密にそれを守りたいのなら、施す際に信仰心を示させる何か(例えば1日以上掛かる修行など)を行い、信仰心を確実に確認することも必要なのかもしれない。

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