一週間前の月曜日(6/19)、安倍首相が国会が閉会したことを受け、という体裁で記者会見を開いた。以前にも書いたように実際にはその前日に行われたメディア各社の世論調査で政権支持率が二桁レベルで下降したことや、それが都議選に与える悪影響を最小限に抑えることを理由としたタイミングだったのだろう。その中で結果として混乱してしまった国会運営や、加計学園問題について反省しているという態度を示し、「指摘を真摯に受け止め、丁寧に説明することが政権の責任である」という趣旨の発言をしたが、野党らが要求する閉会中審査は拒否し続けているし、一定数の議員の要求があれば応じなければならないと憲法で定められている臨時国会召集も、憲法にその開催期限に関する記載がないことを口実に応じる姿勢を見せず、今のところ丁寧に説明しようという姿勢は全く感じられない。与党は都議選が終わるまで、影響を恐れそれらしい対応をしないだろうということは多くの人が予測していた状況だが、何も対応しないことも結局都議選への悪影響であることに変わりないだろう。恐らく彼らは黙って知らぬふりをした方がダメージが少ないと判断したのだろうが、個人的には都民や国民を馬鹿にしているとしか思えない。
自分が先週のこのような流れの中で注目したのは、憲法で開催期限が示されていないのを口実に臨時国会の開催要求を放置するという件だ。安倍政権にはこれまでにも同じような対応を行った前例がある。延長に延長を重ねた2015年の通常国会で安保関連法制を強硬な姿勢で可決した直後にも、同じように野党側から臨時国会召集の要求があった。しかしその時もその要求を事実上無視している。因みに自民党の憲法改正草案では、憲法のこの部分に関して20日間以内という期間制限を加えるとしている。
要するに安倍政権は真摯に対応すると口では言っていても、期限が明示されていなければ、努力はしているなどの建前の下で実質的には無視する恐れがあるということだ。ということは6/19の会見で「指摘を真摯に受け止め、丁寧に説明することが政権の責任である」という趣旨の発言はしているが、いつまでに説明するとは言っていないので、説明しているとか真摯に対応しているという体裁をとってそのまま放置する恐れも大いにあるということではないだろうか。安保関連法についても成立後「更なる国民の理解を深める為、丁寧な説明に今後も努める」などと言っていたが、自分には何か特別な努力があったようには思えなかった。そう思いたくはないが、彼らの言う”丁寧な説明”とは”時間と共に忘れてもらう”という意味なのかもしれないという考えが頭をよぎる。
ハフィントンポストなどによれば、6/24に神戸市内で行われた講演の中で、安倍首相は「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く要因となった」「規制改革推進の立場から、速やかに全国展開を目指す」「(学園理事長が)私の友人だから認めてくれ、という訳のわからない意向がまかり通る余地などまったくない」などと発言したようだ。流石に安倍首相もこのような自分に好意的な支持者が多く集まった場で自分の思いを一方的に述べる講演のことを指して「丁寧な説明」とは認識していないと信じたいが、彼らはこれまでにも都合の良い強引な解釈をしてきた前例が多くあるので、その恐れが全く無いとも言い切れない。また、自分はこの講演全部を見たわけではないのでメディア記事からしか判断できないが、支持率低下で明確になった国民の政府に対する疑念の主たる理由は、「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協」にあるのではなく、実在する文書を確認できなかったという文科省で行われた杜撰な調査や、その調査結果が正しくないことを示す多くの要素が明るみになっても尚、調査の不適切さを頑なに認めず再調査を拒み続けたり、文科省の職員に対して政権に不利になる情報を漏らすなという圧力をかけたようにも思える政府の姿勢だろう。そして、獣医師が実際にそれほど不足するのかについても多くの議論が在るにもかかわらず、全国展開を目指すといきなり言い始めるのも素っ頓狂としか感じられない。さらに、「私の友人だから認めてくれ、という訳のわからない意向がまかり通る余地などまったくない」という話も、大した根拠を示さず「ないものはないんだから信用しろ」と言っているようにしか聞こえず、もし万が一、先に示した懸念の通り安倍首相がこの講演を丁寧な説明だと捉えていたとしても、これでは丁寧な説明とは口が裂けても言えないような話である。
安倍首相はこの講演では憲法改正に関しても再び意欲を見せたようだが、彼に好意的な支持者にしてみれば喜ばしいとか心強いと思えるのかもしれないが、自分から見ればそんなことを言うのは目先にある問題から目を逸らせようという、首相の言葉を借りれば”印象操作”をしているように見える。
そのような指摘をすれば首相は、「憲法改正への意欲を印象操作だなどと批判することは事実に反する。あなた方のその批判のこそが印象操作だ」などと言いかねないと想像する。というか実際に今国会内の答弁で同じようなケースを何度か見た。要するに首相が今国会で連発した「印象操作」という話は単なる水掛け論でしかない。言い換えれば彼自身も、彼が指摘する野党らと同様の適切とは到底言えない議論をしていたということだろう。6/19の会見で示した反省にはそのような態度に対する反省も含まれていると信じたかったが、残念ながら彼はその反省の弁の中でも尚、「印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反応してしまう。そうした私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております」などと、再び印象操作のような議論という主張を繰り返し述べており、印象操作という表現を安易に使いすぎること自体が間違いの元だとは認識していないようだ。
こんな風に考えていると、安倍首相や彼が運営する政権は今国会で起こった混乱や山積する複数の問題について、真に反省していないのではないかという結論に行き着いてしまう。