トランプ大統領が署名したイスラム系国家からの入国を禁止する大統領令について、これまで下級裁判所が差し止め命令を出していたが、6/26に連邦最高裁が暫定的に条件付で執行を認めるという判断を下した。アメリカだけでなく世界的にも大きな注目を集めるような案件だが、日本では加計問題・憲法改正に関する首相の突拍子もない発言や、都議選への注目度の高さ、その最中に明るみになる一部の自民党関係者の複数の不祥事、特に昨日・6/27には稲田防衛大臣が応援演説で「自衛隊として(特定の候補者を)応援する」という旨の発言をしたことが大きな波紋を呼び、その影響で”入国禁止大統領令の暫定的条件付執行を認めた連邦裁判所の判断”から注目が逸れた印象だ。
下級裁判所が国の意向に懸念を示す判断をしていたのに、上級裁判所が国の意向に寄った判断を下すという図式は、例えば、福島の原発事故以降各地で起こされる原発の再稼動を巡る係争に関する判断など、日本でも良くあるものだ。下級裁判所の判断が全て正しく、最高裁判所が常に国家権力の意向に配慮し過ぎた判断をしている訳でもないだろうが、どうも釈然としない思いが募る。
この件に関するハフィントンポストの記事では、「最高裁は、(中略)入国を一時禁止する措置が「アメリカの国益を深刻に害することはない」などとする意見書を公表した」と報じられている。”アメリカの国益”が具体的に何を指しているかという事にもよるだろうが、ロイターは同じ日に「米国のイメージ、トランプ政権下で急落」という見出しで、米国の印象が国際的に悪化しているという調査結果があるとを報じている。確かに入国禁止措置だけがアメリカの印象悪化の原因ではないだろうが、入国禁止大統領令もその大きな要因であることは間違いない。ということは、米最高裁は”アメリカの印象悪化”は必ずしも”アメリカの国益を害する”ことにはならないと考えているのかもしれない。トランプ支持者はロイターが報じた調査結果は出鱈目だから、最高裁判断は妥当と思うかもしれないが、果たして他のアメリカ国民、他国の人々はその判断をどう感じるだろうか。
トランプ大統領は4月に、シリア政府が化学兵器を市民に対して使用したことを理由にシリアの基地攻撃を行った。シリア政府が化学兵器を使用した疑いはかなり強いが、明確な証拠は示されていないという見解を示すメディアも少なくないし、米軍の攻撃は勇み足だったとか、国内で続く政権運営に関する不手際から目を逸らす為に攻撃を行った、などの見解をそれらの多くのメディアが示していた。例えば、トランプ大統領がその信頼性を疑われないような振る舞いを選挙中・就任後にある程度していれば、明確な証拠が示されていなくても、大統領や米軍は軍事上の理由で明らかに出来ないだけで確たる証拠を掴んでいるのだろうから、基地攻撃は妥当である可能性が強いという見解が支配的になっていたかもしれない。しかし、ニューヨークタイムズが6/25に「トランプ大統領が就任以降についた100の嘘(リンク先はハフィントンポストの記事)」という記事を紙面を丸々使って掲載し、6/21までの就任期間113日のうち74日は、嘘を一度はついている。嘘をついてない日の多くは別荘やゴルフ場でツイッターから離れてその大半を過ごした日だ、と辛辣に批判している。要するに大統領の発言の信憑性は地に落ちているということが、3月の時点で既に支配的だったという事ではないだろうか。自分はニューヨークタイムズの記事を熟読したわけではないので、そこに書かれている”100の嘘”が全て妥当な適切な見解に基づいているかは分からないが、「全てが間違いに基づいたトランプ政権転覆を目論むプロパガンダだ」などという見解は確実に見当違いであることは明らかだ。
今年に入ってから北朝鮮のミサイル発射の頻度が以前にも増して高くなり、トランプ大統領も武力行使も否定しないという姿勢で臨んでいる。それに追随するように日本の政府関係者も「対話の為の対話では意味がない」などと、日本では武力による威嚇を憲法が禁じているのに、日米同盟を口実にアメリカがそれを行うように促そうと考えていると思えなくもない姿勢を示している。北朝鮮による脅威が在ることは事実だろうし、今まで対話で関係改善を進める方針がことごとく失敗していることも事実だが、だからと言って、世界的に信頼性を低下させている大統領に必要以上に接近するような態度で、悪く言えば適切な情報提供をしているかどうかに関する信頼性が高いとは言えない現アメリカ政府の意向に沿って、憲法上の懸念を無視しているようにも見える方法で、物事を動かそうという姿勢は「誰が見ても懸念の余地はなく適切だ」と胸を張れるようなものではない。今までの対話路線が失敗していると言っても対話自体が全て否定されるような話ではない。ただ単に今まで行ってきた対話の質が低かっただけで、もっと上手い対話が求められているというだけではないのか。対話の為の対話では意味が無いという主張が、対話以外の手段・経済などに関する制裁や武力による威嚇・武力行使を示唆しているのなら、例えば何十年も一向に解決しない慰安婦問題や、相手国が武力をチラつかせる尖閣諸島の領有権問題に関してだって対話以外の手段を行使しても良いと判断出来そうだが、そんなことをしたら他国から非難を受けるのは確実に日本だろう。それは入国禁止政策を主張するトランプ政権が国際的にも批判を浴びていることからも明らかだ。
トランプ政権が大統領の、感情的で現実を適切に捉えているとは言い難いその発言などで信頼性を低下させているように、日本の安倍政権もトランプ大統領ほど悪いレベルではないものの、首相・官房長官らが感情的で、現実を適切に捉えているとは言い難い発言を今年に入ってからだけでも多数しているし、大臣・閣僚らの撤回せざるを得ないような質の悪い発言や、法律や法案を良く理解しているとは思えないような発言・行動などが多く取り沙汰されているのが、その信頼性低下の大きな理由だろう。もう少し問題発言・行動の解釈の範囲を広げた、道義的な意味での問題発言・行動まで含めれば枚挙に暇がない。信頼性の低下は支持率低下という形でも裏付けられている。そんな状況下で、特に首相・官房長官が言う「批判は当たらない」とか「法に沿って適切な方法で進めれらた」とか「そんなことがあるはずがない」などという要するに”私達は誠実だから間違いを起こさない、だから信用しろ”というような何の根拠も示されない言葉を信用できるだろうか。そんなことを信用できるのは、首相のおっしゃる事はどんなことでも間違いがあるはずがないと信じる熱狂的な支持者か、首相が失脚すると損をする利害関係者、若しくは極度のお人好しだけだろう。
一般社会でも信頼性が重要であることに変わりはないが、権力者はそれにも増して特に重要だ。狼少年の話のように、信頼性を失えばどんなに正しい話をしても信じてもらえなくなる。犯罪に関しては疑わしきは罰せずという考え方が確実に必要だろうが、政治や権力は明確な確証が無くても疑いが深まれば別の者に変わってもらったほうが良い。政治や権力はその影響力の巨大さから、課される責任もより大きくなるのは当然と言えるだろう。ただ、現政権に変わって確実に状況を好転させられそうな勢力が、今の日本には存在しないということも多くの人が感じているのではないかと思う。こうして政治全体への不信感がより高まっていくのだろう。大きなジレンマがそこにある。