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バニラエア車椅子問題の本質


 バニラエアが事前連絡を入れなかった車椅子の男性に対して、「歩けない人は乗れない」とし、介助者が車椅子の客を車椅子ごと抱えてタラップを上がることも、男性だけを抱きかかえて上がることも規則で禁止されていることを理由に断り、最終的に車椅子の男性が両手を使ってタラップを這い上がることになった、という事案が大きな波紋を呼んでいる。ネットを見ているとバニラエアの対応には配慮が足りないという主張がある一方で、事前連絡をウェブサイトなどで呼びかけているのだから、それをしなかった男性に落ち度があり、バニラエアの対応に問題はないという意見もある。またその真偽は分からないが、この男性は各社の対応を批判する理由で以前にも同様のトラブルを起こしていることに着目し、単なるクレーマーだと言い切るような人までいる。もしそのような事実があったとしても、問題提起方法が適切だったのかと今回のバニラエアの対応の不誠実さとはまた別の問題だろう。2つの問題を一緒くたにして男性に対して人格攻撃のような批判すらしている人は、相当ストレスが溜まっているのだろう。


 何故その2点が別問題と言えるのかと言えば、バニラエアは事前連絡しなかったことが故意だろうが偶然だろうが事前連絡が無ければ、社内規定で車椅子の客に対応出来ないとしていることは明白だからだ。バニラエアが胸を張って堂々と「我々は障がい者にはそれなりの対応しか出来ません」とするならそれでもいいのかもしれない。そういう方針の航空会社だと多くの人が認識していれば、利用したいと思う障がい者の客は最初から居ないだろう。しかしバニラエアは今回の件について男性にタラップを這い上がらせたことについて謝罪の姿勢を示している。という事は、バニラエアは他の航空会社と同様に、「健常者と同じようなサービスを障がい者にも提供します」という姿勢であることは間違いない。この男性が事前連絡を入れて欲しいというバニラエアの意向を知っていた上で、敢えて事前連絡を居れずに飛行場に行ったのかどうかは分からないが、例えば、飛行機に乗る機会の少ない、そして日本語・英語に明るくない外国人旅行者で車椅子を使用している客が、バニラエアの事前連絡をして欲しいという姿勢を理解せずに空港に来ることも考えられない話ではない。もしそのような場合にこの男性と同じように搭乗を拒否したりタラップを這い上がらせたりしたら、確実に批判の的になるだろう。しかも国外からも痛烈に批判されることが予想される。果たしてそんな場合だったとしてもバニラエアの社内規定が適切であると擁護できるだろうか。場合によっては日本人全体に「おもてなしなんて言いながら実は冷たい国民性」なんてレッテルが貼られてしまう恐れもある。

 この件に関して主たる問題は何だったのか。一部には健常者はする必要のない事前連絡を障がい者にさせること自体が不平等だ、というような主張もある。しかし個人的には健常者であっても体格が余りに大きくて席に体が収まらない人などは事前に申告しておく必要があるだろうし、航空機の円滑な運行を促進する為には航空会社が車椅子の客に事前連絡して欲しいとお願いすること自体がおかしいとまでは思えない。自分が最も問題だと思うのは、タラップを車椅子や客自身を抱えて上がることを画一的に禁止するという社内規定と、それ重視するあまり柔軟な対応が出来なかったスタッフにあるのだと思う。エレベーターなどの設備のない鉄道の駅などで車椅子ごと抱えられて階段を上ったり降りたりする様子を見ていると、どうしてタラップでそれを禁止するのかとも思うが、タラップの狭さや傾斜の急さを考慮すれば、原則禁止とすることが適切でないとまでは言い切れない。しかし客自体を抱きかかえることまで禁止と言うのは、子供を抱きかかえてタラップを上がる客は当然居るだろうし、抱きかかえるのが成人男性であっても補助する者が数人居れば転んで怪我する懸念も最小限に抑えられるだろうから、危険すぎるからと全面禁止にする必要があるかは疑わしい。要するにこの件で最も問題だったのは社内規定の内容、その社内規定を画一的に押し付けた現場のスタッフだと思う。若しくはスタッフに社内規定を厳守しなければペナルティが課されると思わせたその上司の存在かもしれない。言い換えればそれはバニラエアの障がい者に対する不親切な社風であると言えるのかもしれない。

 もしかしたら、車椅子の男性がわざと事前連絡をせず、現場でもスタッフをイライラさせるような振る舞いがあったのかもしれない。しかしそれでもスタッフだけでなく、同行者にも障がい者がタラップを上がる手助けをすることを許さなかったというのは確実に褒められた対応ではない。運行管理上車椅子客の事前連絡を促したかったのだとしても取るべきではなかった行為だろう。それに対して何らかの対策が必要だったのなら、バニラエアはこういう態度をとる前に、搭乗券の販売時に車椅子かどうかを全ての客に自ら確認するべきだったと感じる。もしくは低価格実現の為に低サービスの徹底が重要だったなら、車椅子客を全て断るという判断をして、その姿勢を明確にするべきだったのかもしれない。

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