飲食店の評価サイト・食べログで活動していた有名なレビュアーが、彼が高評価した飲食店から過剰な接待を受けていたという趣旨の記事を週刊文春が掲載したことを受けて、彼はこれまでに食べログに投稿していたレビューを全て削除したということが話題になっている。一部ではこのレビュアーに対して批判的な姿勢を示す人も少なくないように感じる。自分は直接文春の記事を読んだわけでもないし、このレビュアーの記事をよく読んでいた訳でもないので、どこかしらに認識の誤りがあるかもしれないが、このレビュアーを断じる様な記事を掲載する文春や、同調して批判する人々が何を根拠に嫌悪する感情を抱くのかが良く分からない。個人的には、ただ単に出る杭を打つことによって歪んだ正義感を示めすという自慰行為をしているだけのように思える。
食べログの利用者の多くは店と直接的な利害関係にない純粋な消費者だが、サイト自体は商業的な利益を目的とした企業が運営するサイトであり、公共性がないとは言えないが、公共の利益を重点的に追求する存在とは言えないと個人的には思う。それに料理の味の評価というものは芸術の評価と似たような部分があり絶対的な正解や間違いはない。例えば、芸術点で評価するスポーツなどのように点数を付ける上での基準がかなり明確に決められているのであれば少し話は違うだろうが、複数の人が各々の基準で判断を下す評価では、少なからずえこひいきのようなことは起きるだろうし、逆に必要以上の低評価をすることだって可能である。今回の件で、このレビュアーが一部の店からの利益供与を受けて、誹謗中傷とも受け取れるような不当な低評価をライバル店に対してしていたのであれば(それを証明するのも難しいのかもしれない)、糾弾する必要もあるのかもしれないが、高評価をつけていただけなら、この先彼自身が適切な評価が出来ない人間として自分の評価を下げるだけだろうから、いちいちそれについて過剰に批判する必要もないと思う。例えば、今回の告発を行った主体が週刊誌ではなくサイト運営側で、サイトの質や公平性を維持する為に「彼は適切な評価をしていない」と告発したのならまだ理解もできる。結局、文春だって彼を批判する記事を載せる理由の一つに「売り上げに繋げたい」という動機があるのだし、同調している人々も含めて単に批判する自分の正義感を感じたいだけだと思える。
とはいえ、彼のレビューを参考にしていたサイトの有料会員の立場でこの件を考えれば、裏切られたと感じる人もいるのかもしれないとも思える。しかし、それは信じたから裏切られたと感じるわけであって、話半分で彼のレビューを見ていたら「そんなもんだよね」で済む話だと思う。ただ、レビュアーが記事のような事実はないとしながらも、指摘を受けた店(彼は友人の店と表現)に迷惑を掛けるとして投稿を全て削除という対処をしたことからは、実はつっこまれるような要素があったから削除したのでは、とも思えてしまう。個人的には記事の真偽はどうでもよいのだが、もし自分がこのレビュアーの立場で、指摘は心外だと感じるなら何かしらの方法でもっと反論するだろう。
自分はこの件と、有名アイドルが自分のお気に入りのように紹介する大衆車のコマーシャルとは何が違うのかが分からない。そのコマーシャルでは、まるで普段も自分がその大衆車に乗っているかのようにアイドルは演じているが、コマーシャルの放映期間中は体裁を保つ為にその車を形式的に所有、又は利用していたかもしれないが、どう考えたって一番のお気に入りとは思えないし、仕事でコマーシャルに出演しているのだから当然出演料を貰うだろう。このコマーシャルをそっくりそのまま受け止めた誰かが、「彼(出演したアイドル)はその大衆車に乗っていないじゃないか、騙された」と言っても、その人が勝手に勘違いしただけでアイドルは少しも悪くないと誰もが思うはずだ。自分には冒頭の件も、食べログがどういうサイトなのかを理解していない人、真摯に公平に評価している人もいれば、サクラのような評価をしている人もいる恐れを抱けない人、有名レビュアーということだけを判断基準にしてしまった人、もしくはそのようにを装っている人が騒いでいるだけに思える。
文春もこんなことを記事化して告発するぐらいなら、画面に小さく「効果効能を保障するものではありません」とか、「個人の感想です」と表示しながら、利用者、もしくは利用者を装ったエキストラに何歳からでも遅くないとか、信頼性抜群などのようなコメントをさせている通販系コマーシャルの誠実さに疑問を呈したらどうだろうか。似たようなケースだが、それらのほうがよっぽど悪質だと自分は思う。それともコマーシャルは嘘大袈裟な表現があって当然という暗黙の前提があるのだろうか。それともメディアにとって広告主、広告主になり得る存在を批判しないというルールでもあるのだろうか。