6/7のテレビ朝日・マツコ&有吉 かりそめ天国の中で、「英語の発音が良すぎる生徒が増えている」という視聴者からの投稿を紹介していた。最近は小学生の頃からネイティブスピーカーが居る英会話教室に通ったり、長期休暇を海外で過ごす子供も増えており、それに伴い所謂普通の英語の先生は授業を行うことに大きなプレッシャーを感じる場面が増えている、という内容の話だ。番組内では同時自動翻訳技術がこれからどんどん進化していくのに、果たして英語を習得することがこれからも重要であることに変化はないのかや、学校外、塾などで先取りして勉強した生徒の中には、先生を馬鹿にするような者もいるが、そういった風潮にどのような対処をすればよいか、などについて話をしていた。
個人的にはそういった点よりも「英語の発音が良すぎる生徒」という表現が気になった。この見出しで”良すぎる英語の発音”が表現しているのは、ネイティブスピーカーに通じる、又はネイティブスピーカーと同様の発音で、言うなれば標準的な英語の発音のことだ。一方授業に負い目を感じるタイプの先生の発音は日本語訛りの英語発音で、実際には生徒の発音が良すぎるのではなく生徒の発音が普通で先生の発音が悪いのではないか。現実的には、学校ではテストで良い点を取るための英語を教えているという側面は未だに強いが、本来は英語を実用的に使えるようにすることが目的のはずだ。ならば英語話者に通じ難い、時には全く通じない日本語訛りの英語発音が悪い発音なのであって、ネイティブスピーカーと話したり海外で過ごした経験を持つ生徒の発音が正しいはずだ。番組で取り上げていた視点や主張を否定するつもりはないが、「英語の発音が良すぎる生徒が増えている」という見出しには少し違和感を感じる。バラエティ番組向きではないかもしれないが、「英語の正しい発音が出来る生徒が増えている」が妥当だと思う。
この番組はシリアスな社会派問題提起番組ではなく、有吉・マツコ両氏による井戸端会議的なバラエティー番組で、自分は賛同できるテーマでも賛同できないようなテーマでも、二人の意見として楽しんで見ている。たまにやや偏った意見で二人が意気投合するような場面も見受けるが、それでもバランスのギリギリぐらいで踏みとどまることが多く、強い嫌悪を抱くようなことは殆どない。「英語の発音が良すぎる生徒が増えている」という表現を果たして視聴者がそう書いたのか、放送作家がアレンジしたのかは分からない。ただバラエティー番組ではよく帰国子女などの発音を、気取っているというようなニュアンスでイジる傾向を良く見かける。確かに日本語が外来語を広く受け入れ、日本人に発音しやすいようなカタカナ語に変換し利用することは、言語としての利点でもあるかもしれない。しかし同時に日本人の英語に対するアレルギー的な反応の要因の一つでもあると個人的には感じる。”英語の発音が良すぎる生徒”という表現にも、その前提に英語に対するアレルギー的な感覚があったように自分には思えた。