日本語に限らず、比喩を用いた言い回し/寛容表現は、他の言語に訳すのがなかなか難しい。例えば日本語の「旗振り役」もその類だ。旗振りとは - コトバンク には2つの意味が掲載されているが、ここで想定しているのは、純粋に旗を振る役目の方ではなく、「先頭に立って人々に働きかけながら推し進めること。また、その人」の方だ。
これを英語に訳そうとすると、まず思い当たるのは flag bearer だが、それは旗手の意であり、純粋に旗を振る役のニュアンスが強く、前述の後者の意味はほぼない。しかし、トップ画像に用いた、フランス革命を描いたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」でも、先導者たる自由の女神が旗を持っていて、彼女には先導者だけでなく旗手の側面もある。だから日本語の旗振り役を、前述の後者の意で用いた際の英訳を flag bearer としても間違いではないだろう。但し、相応の注釈は必要かもしれない。
旗振り役は先導者と言い換えることも出来る。先導者と捉えれば、リードする人、すなわち leader と英訳できる。しかし旗振り役を単に leader とすると、そこからは旗を振るという比喩のニュアンスがほぼ損なわれてしまうので、この場合もやはり注釈は必要だろう。
旗振り役を先導者と捉えた際に leader と共に頭に浮かぶのは guide だ。guide は手引き/案内、若しくはそれをする人を示す。例えば、日本でもバスガイドや旅行ガイドという職業があり、団体旅行の手引き/案内をする際に彼らは旗をしばしば用いる。だから旗振り役を guide と英訳するのも場合によってはアリだろうが、これも leader 同様に旗振り役という比喩はほぼ伝わらない。
先導者の類語に先駆者がある。先導者が積極的に人を導く存在なら、先駆者には導くことに積極性はなく、他の人よりも一歩先を行く人を指す。日本語の旗振り役には、直接的に導くというニュアンス以外に、道を切り開いて自然と他の人が後に続く存在のようなニュアンスを示す場合もあって、そのような場合は先駆者、つまり trailblazer などが合うのではないか。しかしこれも、旗を振るという比喩の要素は表現できない。
つまり、英語に先導者を比喩で表現する、誰もが共通した理解を持つ慣用表現が見当たらないので、旗振り役を一言で英訳することはほぼ不可能だろう。その用いられ方、前後の文脈によって英訳を使い分け、必要ならば旗を振ることを先導に例えた表現であることを説明するしかない。
なぜ旗振り役/先導者/先駆者の話をしたのかと言えば、昨日この記事を読んだからだ。
二審で逆転敗訴、どんな判決だった?性同一性障害トイレ制限訴訟 | ハフポスト
これは、経産省職員であるトランスジェンダー女性の女性トイレ利用についての裁判に関する記事だ。原告は、戸籍上の性別を変えていないことを理由に職場で女性用トイレの利用を制限されるのは違法として、国を訴えていた。その控訴審判決が5/27に下され、原告が逆転敗訴した。
トランスジェンダー女性、つまり生物学的には男性であるが性自認が女性である人の、女性トイレや更衣室等の利用、女子競技への参加に関して、個人的には非常にバランス取りが難しい問題だと考えている。性自認が女性である以上、その人が男性トイレや男性更衣室の利用を強いられたり、男子競技への参加を強いられるのは、間違いなく精神的な苦痛やストレスを伴うだろう。だから、理想的には生物学的な性よりも性自認を優先した判断が妥当だと考える。
しかし一方で、近年女装した男性が女子トイレや女子更衣室、挙句の果て女子風呂に侵入する事件は度々起きていて、殆どの件では侵入の為に女装したことを認めるようで決して多くはないようだが、捕まった後に「自分はトランスジェンダーだ」と言い出すケースもあるようだ。但しそこにも、昨日の投稿に書いたように、自白偏重する捜査機関による自白強要の恐れもある。しかし、覗き等の性的欲求を満たす目的でトランスジェンダーだと言い張る者が出てこない、とは言い切れないのも事実であり、なんらかの対処が必要であることも否定できない(追記:「気持ちが女性なので…」女装して女子トイレに入った男性教員、これまで学校では“性自認”の問題に悩む姿なし - HBC NEWS|HBC北海道放送)。
また、スポーツに関しても、性自認が女性だとしても、トランスジェンダー女性は肉体的には男性であり、トランスジェンダー女性が女子競技に参加することは、公平性の観点で見れば、必ずしも妥当とは言い難い。今のところそのような事実はないようだが、将来的に、名誉欲や承認欲求にかられ、性自認は男性なのに自認は女性だと言い張り、女子競技に参加しようとするシスジェンダー男性が複数出てこないとも限らない。この懸念に何らかの対処が必要なことも否定できない。
日本では戸籍上の性を変更するハードルの高さもあり、それもまた話をややこしくする要素である。スポーツの公平性はさておき、戸籍上の性を適切に変えられる制度が整備されていれば、少なくとも女子トイレや女子更衣室の利用に関しては概ね問題を取り除けるのではないか。また、戸籍上の性を変更するハードルが高くても、同性愛やトランスジェンダー等への偏見が殆どなければ、戸籍上の性にかかわらず問題を除去できるかもしれない。しかしやはり、戸籍上の性を適切に変更できることが、問題解決の近道で、それが整わない背景にはトランスジェンダー等への偏見があるのだろう。
つまり問題の解決には、法と制度の整備が不可欠且つ近道であり、それが偏見をなくすことにも繋がる、と言えるだろう。
同じ様なことを、2019年1/15の投稿「スケートボードの五輪種目化、同性婚の法制化の類似点」でも書いた。
スケートボードが、オリンピック競技に選ばれたことでメディア等でも好意的に取り上げられる機会が増え、不良の遊び的なイメージを払拭しつつあることを例に、同性婚を法律で認めることが、同性愛への偏見を取り除く近道である、という内容だった。しかし現政権と与党自民党は、それ以前も今も、「様々な議論がある」という曖昧な根拠で、頑なに法制化に消極的だ。G7で同性婚もしくは同等の制度を持たないのは日本だけなのに。つまり現在の政府や与党には、同性愛等への差別を解消しようという気がないのだ。
それが如実に表れていたのが、「差別は許されない」という趣旨の文言を含む、LGBT等性的少数者への理解増進を図る法案に、差別的な見解を示して反対する自民党議員が多数いたこと(5/21の投稿)、それを党幹部らが処分も批判もせず、また与党なので主体的に会期延長できるにもかかわらず、議論する時間の足りなさ、会期末が近いことを理由に、法案の今国会への提出を見送った件だ。
自民のLGBT法案提出見送りに抗議 差別発言撤回と謝罪を…党本部前で24時間座り込み:東京新聞 TOKYO Web
話を経産省のトランスジェンダー女性の裁判の件に戻す。前述のハフポストの記事にはこのように書かれている。
北澤純一裁判長は判決で「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上保護された利益である」と示した。 しかしトイレ使用制限に関しては、経産省は「先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる」などとし、違法性を認定しなかった。
文章が悪く分かり難いが、恐らく、経産省による「先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる(ので女子トイレの使用制限は違法でない)」という主張を認め、裁判官は違法性を認めなかった、ということなのだろう。
もしこの記事の内容、判決の解釈が妥当なのであれば、同じ様に女子トイレの使用制限を行ったとしても、先進的な取り組みがしやすい民間企業では違法、しかし官庁は先進的な取り組みがしにくいので違法とは言えない、ということになる。そんな根拠で違法性の判断が変わるのは、果たして妥当と言えるか。全く公平な判断とは思えない。
そもそも、国こそが差別や偏見解消の旗振り役となるべきなのに、なぜ経産省は「先進的な取り組みがしやすい民間企業とは事情が異なる(ので女子トイレの使用制限は違法でない)」などと言っているのか。前述のような法整備が不十分であっても、例えばトイレから男女の別を無くし、全てを個室化して問題の解決を図る、なんてことも出来るだろう。
経産省、いや他の省庁も似たり寄ったりだろうから、中央官庁は自民党政権に毒されているとしか言いようがないし、その主張を妥当と判断する裁判官も異様だ。これでは自民党政権だけでなく、狭義での行政機関、つまり中央官庁も、そして行政を牽制し監視する役割を持つ司法も、差別や偏見を解消する気がないと言えるだろう。
旗を振らない旗振り役は、果たしてリーダーと言えるのか。リーダーシップがあると言えるのか。勿論言えるはずがない。しかし今の日本では、差別や偏見の解消という旗を振らない旗振り役がリーダー顔してのさばっている。
トップ画像には、民衆を導く自由の女神 - Wikipedia を使用した。次の画像は、トップ画像がからコピーを無くした、同絵画を16:9にする為に、右方向へコラージュを用いて広げたバージョンである。