加計学園問題に関する、所謂”総理のご意向”または”官邸の最高レベルが言っている”文書について、文科省内の再調査をすることが発表された。再調査とは言っているが、以前から異論を唱えていた前川前事務次官だけでなく、現役の文科省職員が文書は存在していたのに「確認できない」とする政府の見解は適切ではないという見解を示したと複数のメディアが報じていることを勘案すれば、実質的に文書は存在したと暗に認めたと同じことだと感じる。再調査の結果、再び文書は存在しないというニュアンスで政府が見解を示すことはしないだろうし、もしするならば現政府への不信感はかなり高まることになりそうだ。文書が存在したことが真実だったとしても、そこに書かれていることが現実を反映したものか、要は本当に総理のご意向という圧力があったのかとは別の問題なのだが、政府が文書を隠そうとしたことはほぼ事実で、もし隠そうとしていないのだとしたら、南スーダンの日報の件もあり初めてのケースではないので、彼らには調査能力がないということになる。それはそれで由々しき事態がだが、隠そうとしていたと考えるほうが自然だ。何故隠そうとしたのかを考えれば、それが明るみになることは都合が悪いと、首相自身、若しくは政府内の誰かが考えたからだと思うのがごく普通の受け止め方だと思う。
政府に寄り添って考えれば、本当は総理のご意向はなかったが誰かが総理の威厳を利用しそのような文言を使ったのに、その濡れ衣を総理本人に着せられるのは困るということで文書自体を隠そうということになったのかもしれないが、それにしたって組織の管理が出来ないということになるだろうし、いずれにしろ都合が悪いから臭いものに蓋をしたということで間違いないだろう。
政府が一度無いとした文書が、一転して「ある」ということになった(厳密には加計学園は「ありそう」)のは、前述したようにこれが初めてではなく、南スーダンの日報の件もある。それについても、誰がかは特定がなされていないが隠蔽されていた疑惑がかなり高い。短期間に複数回このようなことが起こるのに、政府に特定秘密を適切に管理していく能力があるとか、今議論されている共謀罪を恣意的に運用しないなんて事にどこまで信憑性があるのだろうか。意図的ではないのかもしれないが、悪い事態が起きることは絶対ないとはどうやっても思えない。
今回発表した再調査に関しても、政府内や官公庁内で起こったことを自ら調査ことになるだろう。近年はなにかしらの不祥事が疑われた場合、第三者委員会なる当事者と利害関係にないとされる者によって調査が行われることが多い。しかし第三者とされる者による調査だって選任したのが当事者、又は当事者と関係の深い人物だった場合、適切とは言い難い結果が報告されるなどの問題は起こる。にも関らず当事者による一回目の調査が不適切だったから行う再調査をまた当事者が行ったとして、その結果にどれだけの信頼性があるのだろうか。本来、三権分立を謳っている我が国では、政府や官公庁などの行政機関に抑止力を働かせるべきなのは、立法機関である国会や司法機関である裁判所のはずで、調査は国会議員が主体となって行わうべきだし、裁判所も何かしらの判断を自主的に下せるようにするべきだ。確かに国会において野党による追求は行われてはいるが、与党の議員らの多くは政府に対して右に倣えで到底抑止力なんて言える状況ではない。南スーダン日報の隠蔽疑惑についても有耶無耶のままにされているように感じる。
そんな状況下で、国内だけでなく国外の専門家からも市民の人権を不適切に制限する恐れが指摘されている共謀罪法案を成立させることに不安を感じる人がいるのはとても当然なことだと思う。組織犯罪を予防することは勿論大事なことだが、その権力を行使する組織を牽制する仕組みが適切に構築されていなければ、権力が不適切な行いをした際に誰が止めるのだろう。加計学園問題について本当に総理のご意向という圧力が文科省などにかけられたのかはまだわからない。それを解明する為に文書があったかなかったかは大事なことだが、それとは別に文書が政府によって意図的に隠された疑いが非常に強まったことはもっと大きな懸念を感じさせる事態だ。