「出来ることはすべてやる」。菅官房長官は先週九州で起きた大雨による被害に関する会見で、激甚災害指定に関して「被害状況の把握を迅速に行う」ことなどで対応するとした。その会見の中で「出来ることはすべてやるとの思いで、1日も早い復旧復興に取り組んで行きたい」と述べた。この「出来ることはすべてやる」という台詞は”全力で取り組む”とか”最大限の努力をする”という決意表明の意味合いが強い文言だ。この会見に関してはこの台詞について特に可も不可もないだろうが、その字面から裏を返し「できないことはやらない」と捉えられ、消極的な姿勢の表明なのでは?などと揚げ足を取られることもある。
例えば、6/23の沖縄戦の戦没者追悼式の挨拶で、安倍首相も沖縄の基地負担の軽減に関して「できることは全て行う」と述べている。そうは述べたものの、普天間飛行場返還に関する対応が沖縄県民の多くが望んでいる県外移転へ変更されるわけでもなく、政府の方針は普天間返還・辺野古移転のままだ。この状況を踏まえて「できることは全て行う」という台詞を聞いても前向きに受け止めようとは思えないだろう。「できることは全て行う」という台詞の裏に「県外移転は出来ないことだからやりません、だから「できることは全て行う」としか言えません」という思いがあるのだろうと想像できる。もっと言えば「出来ることはすべてやっているのに、それでも沖縄県民に不平不満を言われる」とさえ思っているかもしれないなんて邪推もしてしまう。
元来、政治家が公約の為や国民の為に「出来ることはすべてやる」なんてのはごく当然のことで、逆に言えば「できることをすべてやらない」政治家は投票したいと思えないタイプの政治家だ。勿論できないことばかり言っているようなタイプの政治家も信頼できないのは確かだが、それでも「出来ることはすべてやる」なんてごく当然のことを、声高らかに宣言するのもどうなのだろう。自分には実際は表明できる中身がないのに、イメージをよくする為だけにこの台詞で胸を張っているようにも見えなくない。冒頭で触れた菅官房長官の大雨災害に関する会見での「出来ることはすべてやる」については、流石にそのようなネガティブな印象はあまりないが、揚げ足取りの場合も多くあるにせよ、首相の戦没者追悼式典での挨拶のように単なる稚拙な揚げ足取りとは思えない「出来ることしかやらないのか」という批判の対象になる場合もあるだろうし、そのような批判をあらかじめ避けるということを念頭において「出来ることはすべてやる」という台詞ではなく、同じような意味の「全力で取り込む」などの表現を使用したほうが賢いのではないかと感じた。