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自民の集中審議への対応と、蓮舫氏の国籍問題への対応


 昨日・7/14、自民党の竹下国対委員長が野党側が求めていた予算委員会の集中審議について、午後3時頃には拒否する意向を示したが、数時間後に一転して応じる姿勢を見せたことを複数のメディアが伝えている。方針転換した理由について、竹下氏は集中審議を拒否すると安倍首相に報告したところ、首相が自ら説明してもよいという姿勢を示したからだとしているらしい。まず自分がやや不信感を抱くのは、一部のメディアはこのような過程を報じているが、中には当初拒否の姿勢を示したことを省略し、”自民党、集中審議に応じる”というような見出しで報じているメディアもある。前回・7/10の閉会中審査でも、首相が宣言したような”丁寧な説明”がなされたようにはとても思えない状況なのに、国民に対する説明の場である審議を拒否する姿勢を一時的にでも示したことは、省略してもいいような情報ではないと思う。何故なら、拒否する姿勢を一時的にでも示したという事は”丁寧な説明”に消極的であることを思わせる重要な要素で、それを省略して”自民党、集中審議に応じる”とだけ伝えれば、あたかも自民党が積極的に審議に応じたように、言い換えれば積極的に説明しようとしていると見えかねないからだ。これが所謂”印象操作”に当る報道だと思う。


 次に短時間で覆された自民党の対応についてだが、複数の憶測が報道されているが、どれも憶測の域を出ないような情報で確実な判断の為の要素には出来ない。個人的には竹下氏の「審議を拒否する旨を首相に伝えたところ、首相が自ら審議の場で説明する意向を示した」という旨の発言にはあまり信憑性を感じられない。何故なら、内閣と国会とは別であり、国会のことは国会で決めてもらうなどと首相や官房長官らは建前上述べているが、党の総裁でもある首相に確認せずに審議拒否を野党側に伝えることがあまりにも不自然だからだ。審議を極力避けたいが胸を張って断る訳にはいかず、一度拒否の姿勢を示して様子を伺ったのではないかと思う。若しくは党側が拒否しようとしていた審議を、首相自らが積極的に行おうとする姿勢を示すというパフォーマンスかもしれない。そう考えている自分には、一時的にでも審議拒否姿勢を示したことは”丁寧な説明”をできればしたくない、避けたいという政府与党の思いの表れ、若しくは必要性の薄いパフォーマンスでそれらしい姿勢を強調するという、悪く言えばずる賢さを表明しているように見える。要するにどんどん自ら底なし沼の深みにはまりにいっているように見えてならない。

 一方、今井雅人議員のツイートを引き金に蓮舫代表の二重国籍問題が再燃している民進党だが、蓮舫代表が18日に記者会見を開き、すでに台湾の籍を有していないことが分かる資料を示す準備がある旨の発言をしたそうだ。
 自分は、蓮舫氏の国籍問題について強く問題視しているのは、一部の中国や韓国・朝鮮などに差別的な意識を持っている層と、そのような主張に感化されている事態をあまりよく考えていない人々だと思っている。しかし、この問題が浮上してから今まで蓮舫氏が明確な意思表示、説明をしてきたようにも思えない。かけられたのがあらぬ疑いであっても、野党第一党の代表という立場を考えれば、もっと積極的な対応(戸籍の公開をしなかったとしても、なぜ戸籍を公開するべきでないのかを論じる等)をこれまでにもするべきだったように思える。そのような明確な意思表示をしてこなかったのは、南スーダン、森友、加計、共謀罪などで歯切れの良い説明、言い換えれば”丁寧な説明”が全く出来ていないかの党と、ある意味では五十歩百歩の状況であるとも言えるだろう。
 
 蓮舫氏がこの方針を示した会見での「特に我が国において、戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、あるいは排外主義者・差別主義者の人たちに言われて公開することは、絶対にあってはならないと今なお思っています。前例にしてはいけないとも思っています」という発言の、”排外主義者・差別主義者の人たちに言われて”の部分に反応し、安倍首相が”こんな人たち”と発言して批判されたのと同じようなケースだと、民進党・蓮舫氏を批判する人が一部にいるようだが、自分には両者が同じようなケースだとは思えない。安倍首相が、”安部やめろ”などという野次を浴びせた人々を”こんな人たちに負けられない”などと発言した件については、まず”安部やめろ”という野次は決して行儀の良いものではないが、差別的なニュアンスはそこに含まれていない。しかし、蓮舫氏の二重国籍問題について過剰に問題視し、戸籍を公開しろというような主張をしている人々は、”出自で人を判断する”という差別が疑われる行為をしている恐れがある。蓮舫氏は野党第一党の代表として適切な対応が出来ていなかったかもしれないが、一方的に戸籍を公開しろと迫る行為の被害者でもあると考えられる為、そんな不当な要求をする人々を排外主義者・差別主義者と表現し糾弾することには、一定の正当性があるように思える。
 ただ、このような批判をする人々は、一部のメディアが前述の蓮舫氏の発言から「排外主義者・差別主義者の人たちに言われて公開することは、」の部分を編集でカットして報道していることも問題視しているが、それについてはある程度は理解できる。自分もこの部分を意図的に切り抜いて削除しているなら、印象操作的な意味合いが出てくると思う。各メディアがそれぞれ感じたこの件の要点を強調する為に、そのような報道を行うことが絶対的に不適切だとまでは言えないかもしれないが、個人的には発言をそのまま取り上げた上で、問題ない部分には触れないという方が良かったのではないかと感じる。

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