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政権与党の及び腰姿勢が示すもの


 7/28に公表された南スーダン日報隠蔽疑惑に関する特別防衛監察の結果を受けて、それについての閉会中審査をどのような条件で開催するか、与野党間で交渉・駆け引きが行われている。開催される時期は、8/3に予定されている内閣改造後になる見通しのようで、この投稿を書いている時点での交渉の焦点は、この件に関する責任をとるとして辞任した稲田元防衛大臣や安倍首相など出席者についてだと複数のメディアが報じている。野党は当然両者の出席を求めているようだが、一部の報道によると、現時点で与党側は安倍首相の出席については拒否、稲田氏に関しては判断を保留しているそうだ。

 
 安倍首相は、通常国会閉会後、一貫して国民に対する”丁寧な説明”が必要だと発言をしているし、議論の焦点となる特別防衛監察に関しては、結局明らかにされた内容が、陸自が日報を保有していたことが非公表とされたことについて大臣が関与した事実はないとしながらも、稲田氏に、陸自が日報を保有していたことが報告されていた可能性がないとは言えない、などという全く曖昧なもので厳正と言える調査だったのかはかなり怪しい。これでは厳正な調査を行ったとは言えない恐れが強いのに稲田氏は辞任したという事になりかねない。言い換えれば責任を放棄したとすら思える。このような状況は、稲田氏に厳正な調査を行い、責任をこれからも果たして欲しいとしていた安倍首相の意向とは確実に異なるもので、稲田氏の辞任を受けて安倍首相は「任命責任は全て私にある」という旨の発言もしている。ならば特別防衛監察を行うことを指示した調査の責任者である稲田氏や、彼女の任命責任があると認めた安倍首相が出席せずに一体どうやって議論を深めようと言うのだろうか。どうやって丁寧な説明が出来ると考えているのだろうか。個人的には安倍首相の出席を拒否したり、稲田氏の出席を即決出来ないこと自体が、既に丁寧な説明をする意思がないという本音の表れのように思えてならない。
 
 一部の安倍政権支持者らは、閉会中審査に誰が出席するのか決めるのは安倍首相ではなく党の国会対策委員なのだから、安倍首相の出席や稲田氏の出席に関して、安倍首相には権限がないとか責任がないなどと主張する人もいるかもしれない。しかし安倍首相は首相であると同時に自民党総裁でもある。5月に示した自身の憲法改正感に関する予算委員会での質疑に対して公然と立場を使い分けようとしたのだから、都合が悪くてもそのような言い逃れは出来ないだろう。そして前回の加計問題を巡る2度目の閉会中審査の条件交渉では、自民党の国対委員長が一度安倍首相の出席を拒否したにも関らず、直後に安倍首相自ら出席の意向を示したことで対応が一転したのも事実だ。要するに彼に決定権はないとしても、彼が自分や稲田氏の出席に関して前向きな意向を示せば、十中八九実現するというのは誰の目にも明らかだろう。彼が国民に対して”丁寧な説明”をしたいと望むならば、言い換えれば内閣支持率の下降傾向を改善したい・支持率を再び上げたいと考えるのなら、まず自身が閉会中審査への自身と稲田氏の出席の意向を示すのが第一歩のように思う。それをしないということが一体どういう事なのかは、多くの人が想像する通りだという事にしか成り得ない。

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