スキップしてメイン コンテンツに移動
 

南スーダン日報問題の再燃


 南スーダン日報問題で、破棄されたとされていた日報が陸自内でも見つかっていたにもかかわらず、公表されなかった、言い換えれば隠蔽されていたのではないかという件について、稲田大臣がその事態を容認していたのではないかという疑惑が、共同通信などによって報道され、大きな波紋を呼んでいる。個人的にはこれまでの大臣の振舞い・発言から報道されているような事態を想像していたので全く驚きは無かった。むしろ明らかになるのが遅すぎると感じたぐらいだ。メディアのいくつかは、加計問題で現職の文科省職員らが、当初の調査で所謂総理のご意向文書は確認できないとされているが、実際は存在すると言い始めたのと同様に、大臣などに対する不満が防衛省内部の一部にあり、情報が漏れてきたのではないかという見解を示している。そのような可能性も大いにあるとは思うが、防衛大臣だけでなく政権全体に大きな不信を感じている自分は、既に複数の失態を犯し続投は在り得ないような状態で、今更問題点が増えても大差が生まれない防衛大臣に新たな火種を投下することで、近々開かれる閉会中審査の主たるテーマである加計問題へ向けられる疑惑の目・注目を分散させようという目論見で、政権側が意図的に情報を流したのではないかなどと邪推してしまう。勿論根拠はどこにもない単なる憶測でしかないのは言うまでもない。


 渦中の人である稲田氏本人は「報道のような事実はない」と否定しているようだし、官房長官も事実が明らかになっていない状況だとして明確なコメントは避けてはいるが「稲田大臣には本件の調査を行い、今後とも誠実に職務にあたってもらいたい」と発言していることから、稲田氏の否定の弁を信用するというスタンスのように思える。官房長官の姿勢は、これまで幾多の不祥事を起こそうとも一貫して稲田氏を擁護する姿勢を見せていたのと変わらない規定路線で、そこには何ら驚きはない。恐らくもし報道が事実でも、8/3に予定しているとされる内閣改造で大臣から外れるから、それを理由に批判をかわせると考えているのだろう。果たしてそんなに楽観的な見通しで大丈夫なのか少し心配になる。
 
 現状では共同通信などの報道や、その情報源とされる防衛省関係者が本当のことを言っているのか、稲田大臣やその周辺の防衛省幹部が言っていることが正しいのかは不明だ。しかし、稲田氏は日報に戦闘という文言があっても「戦闘だと憲法に抵触するのだから、法的には戦闘であってはならない」とか、「防衛省、防衛大臣、自衛隊としても(応援・投票を)お願いする」という旨の選挙応援演説をしても、誤解を招く発言だったなどと言い放ち、「防衛省、防衛大臣、自衛隊としてもお願いする」とは言ったが、そこに「防衛省、防衛大臣、自衛隊として応援・投票して欲しいという意図は無かった」というような、おおよそ元弁護士とは思えない弁明もしている。要するに、稲田氏には大臣としてとか国会議員として必要な資質どころか、根本的な日本語に対する理解や言葉選びのセンスが欠如していると言わざるを得ない。このような理解し難い言い訳を根拠にして自分の言動に関する責任を認めない人物に「報道されているような事実はない」と主張されて、鵜呑みにして信用するお人好しがどれだけいるのだろう。ただ、官房長官や彼女を処分してこなかった首相はとても人が良いようではある。防衛省の幹部たちも稲田氏と同じように報道を否定する主張をしているが、彼らも日報について、あったものをなかったとするような調査しか出来ない人たちであるし、信頼できるかと問われれば、無条件では信用し難い。

ないことを証明するのは難しいとか、悪魔の証明だとか主張する人もいるようだが、国政に携わる政治家・役人なら、この件でなかったことを証明するには、意思決定に関する記録を出来る限り残し、請求があれば積極的に開示する姿勢を常に示していれば、記録にないものは実際になかったのだなと思わせることが可能だと分かっているだろう。もし理解できていないのならそれこそ別の意味で大問題だ。それが出来ていない・してこなかったのだから、その発言が疑われるような事態に陥るのも仕方がないことのように思う。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。