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集中審議の結果


 「『李下に冠を正さず』という言葉がある。友人が関わることですから、疑念の目が向けられるのはもっともなこと。今までの答弁でその観点が抜けていた。足らざるざる点があったことは率直に認めなければならない。常に、国民目線で丁寧な上にも丁寧に説明を続けたい
 
 7/24・25に行われた集中審議の冒頭で、自民党の小野寺議員からのパス(質問)を受けて安倍首相が述べた、これまでの言動に関する反省の弁だ。通常国会閉会後これまで強調していた”丁寧な説明”に加えて”李下に冠を正さず”という言葉が出てきたが、まず”丁寧な説明”について考えたい。24日、集中審議の1日目を終えた時点で、複数のメディアが首相は言葉遣いや態度だけは丁寧になったが、質問に真っ向から答えるというような態度は感じられず、答弁の内容には丁寧さが感じられないというような皮肉とさえ思える論評を行っており、自分も同じような印象を感じた。彼の言う”丁寧な説明”というのは、(言葉遣いの)丁寧な説明だったと想像してしまう。結局”丁寧な説明”という言葉の本質を理解していないとしか思えない。
 また、わざわざ「丁寧な上にも丁寧に説明を続けたい」と宣言しているのも滑稽だ。通常国会後の会見で同じような宣言をした際も、個人的には「またいつもの口先三寸か」と感じたのだが、それは個人的な感情なのであれは改めて行った決意表明だと無理矢理肯定的に受け止めるとする。だが、あれからかなり時間が経っているにもかかわらず、その間これといった”丁寧な説明”もせず、野党にせっつかれてやっと開催した説明の場・集中審議で、これまでそぶりすら見せていない”丁寧な説明”をする努力を続けるなどと口にするのは、まさに口先だけだということの裏づけとしか言いようがない。もし本当に彼に”丁寧な説明”を行う意思があるなら、「丁寧な説明をします!」なんて宣言するよりも、そんな宣言がなくても国民の多くが”丁寧な説明”と感じるような話をするべきだ。それが出来ていないのから口先だけと言われても仕方がない。

 
 ”李下に冠を正さず”に関しても彼のこの2日間の答弁は滑稽だった。恐らく李下に冠を正していませんというアピールをしたいが為に、要するに、加計学園に自分が便宜を図ることは、自分が加計学園の計画を知ったタイミングから考えても時系列的に在り得ないとアピールしたいが為に、24日の民進党・大串議員の質問に対して加計学園の計画について「(今年の)1/20に初めて知った」と発言したのだろう。しかしこの発言は、5・6月に国会で行った複数の答弁の内容と明らかに矛盾し、25日には複数の野党議員から矛盾を指摘され、5・6月に国会で答弁は混乱した状態で行った答弁であるとして訂正する事態となった。これでは”李下に冠を正さず”をアピールしようとした発言で逆に発言の不安定さを露呈し、結局自ら”李下に冠を正した”ことをアピールしてしまうという間抜けな話ではないだろうか。こんなことすら予測できない人物が我が国のトップで大丈夫なのだろうか。驚異的なレベルで俺様キャラクターを悪びれずに振りまき続ける米大統領ほどではないが、相当深刻な状態だと思う。
 
 また、前述のように首相の発言が不安低だと指摘する記事や報道に対して、この件で追求した民進党の蓮舫議員も過去に二重国籍問題で話が二転三転したじゃないかとか、参考人として呼ばれた前川・前文科省事務次官も日付の記憶を誤って発言したと認めたじゃないか、などと安倍首相を擁護するような主張をする人がいるが、彼らも安倍首相と同じくらいの墓穴の掘り方だと思う。そういう主張をする人々は大体、蓮舫氏ら野党議員や前川氏の言う事は信用できないとしている人が多いが、それを首相の不安定な発言の擁護に用いるということは、首相も蓮舫氏や前川氏と同じくらい信用ならない発言をする人物だと認めることになりはしないだろうか。個人的には蓮舫氏の二重国籍問題に関して、国籍の状態が曖昧だったことには大きな問題を感じないが、蓮舫氏のこれまでの対応には一定の問題があると感じている。前川氏の発言にしても全部が出鱈目とは思わないが、彼の主観的な判断もいくつかあり、全てが状況を適切に表現しているとも言い切れないと思っている。首相を擁護したい人々は「批判している議員や参考人もその程度なんだから、首相が似たような錯誤をしても問題ないだろ」とでも言いたいのかもしれないが、個人的には首相だからこそ、野党議員や参考人(官僚)などよりも、もっとしっかりした答弁をしてもらわなければ困ると思う。要するに愚かな人々と同レベルの人に首相なんて重要なポストを担って欲しくない。
 同じような話は他にもある。例えば「加計問題はいくらやってもハッキリしないんだから時間の無駄」というような主張をする人もいる。恐らく野党らはハッキリさせられない追求しか出来ないんだからいい加減諦めろと言いたいのだろうが、逆に言えば、キッパリ疑惑を晴らす事が出来るような記録や記憶などを、提示できない首相や大臣、彼らの擁護をする参考人ら関係者達は本当にそれらのポストを担うだけの資質があると言えるのだろうか。自分にはそのようには全く見えない。

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