ハフィントンポストによると、作家の百田尚樹氏が7/4に外国特派員協会で「日本に於ける言論の自由」をテーマに記者会見を行ったらしい。このテーマは恐らく一橋大での彼の講演が中止されたことを念頭に置いて設定されたのだろう。その件に関しては、大学側の対応にも賛否の声があるのは事実だ。百田氏はいくつかの、講演中止が自分に対する差別的扱いであるとする理由を述べ、学生団体が百田氏の過去の発言をヘイトスピーチに当ると指摘したことについても「これまでヘイトスピーチ、並びに差別煽動発言は一度も行っていません」と反論し、講演が中止されたことの不当性を主張したようだ。
ここでは百田氏の過去の発言について詳細に振り返ることは割愛する。しかし、ヘイトスピーチの定義・解釈には様々な見解があるとは思うが、個人的には百田氏が行った過去の発言について、ヘイトスピーチに該当する恐れは複数の発言であると感じる。
一橋大学での講演中止の件については、百田氏がもし問題のある人物だということが事実であっても一度招待を決めたのだから、彼に講演をさせた上で、学生らがそれに対する懸念を指摘したり反論を行う場を設けた方がよかったのではないかとも感じるが、問題発言をする懸念の強い人物を呼びたくないという思考に基づいた中止判断が、差別だとか、言論の自由を侵害する行為だとか、言論弾圧に当るという主張は見当違いだとも感じる。例えば百田氏がメディア露出もしていないような一橋大学の一学生であれば、言論弾圧というのは言い過ぎかもしれないが、そう反発したくなる気持ちも分からなくもない。しかし百田氏は多くのメディアで活動している作家で、一橋大学の講演が中止になっても他にいくらでも主張を行う場所はあるだろうから、それは差別でも言論の自由を侵害する行為でもないとしか思えない。このような理由から彼は被害者意識を過剰に持ちすぎているように見える。
この会見では、都議選投票日前日に安倍首相が応援演説で発した「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という発言についても触れている。この発言について自分は以前に投稿したように首相がするべき発言ではないと思うし、数週間前に「国民の指摘を真摯に受け止める」と発言したことを考えれば、タイミング的にも最悪だったと感じる。
誰もが想像するように百田氏は当然のようにこの発言を擁護し、「帰れコールを受けた安倍首相の対応は上手ではなかった。アドバイスは」と記者に問われると、 反対派ばかりをメディアがクローズアップしており、報道の仕方が不当だという持論を示した。さらに「私(が首相の立場)ならもっと汚い言葉で罵っています」とまで言っている。
報道の仕方が不当だという主張に対して「現場を実際に見た上での判断か」と問われると「(現場には)行っていません」と答えたようだが、それではメディアは不当な報道をしているという見解は根拠のない思い込みで、感情的で不正確な見解である恐れがとても強いと言わざるを得ない。
「私ならもっと汚い言葉で罵っています」という発言も全く建設的ではない。例えば百田氏が作家という私的な立場で「もっと汚い言葉で罵っています」というなら、自分は嫌悪するが、それが彼個人の主張なのだろうから、必ずヘイトスピーチに直結するとは言い難い。単に言葉遣いの下品な作家という評価に留まる可能性もないとは言えない。しかし百田氏がもし首相という立場でも「もっと汚い言葉で罵る」というのなら、この発言自体はヘイトスピーチには当らないかもしれないが、首相が、非支持者であっても国民を汚い言葉で罵るなんてことはあってはならないだろうから、自分には彼が自分が首相だったら(彼はヘイトスピーチには当らないと言うだろうが、)ヘイトスピーチを行うと示唆しているように思える。若しくは首相へのアドバイスをという問いに対する返答であることを考えれば、安倍首相にヘイトスピーチを行えとけしかけているようにも思える。
これらの発言を踏まえれば、過去の発言にも同じような思い込みによる差別的な意識があったのではないか、本人はヘイトスピーチではないと言うが、実際はヘイトスピーチだったのだろうという懸念は更に強まる。要するに彼はヘイトスピーチに対する許容範囲が広すぎるから、「これまでヘイトスピーチ、並びに差別煽動発言は一度も行っていません」なんて台詞が出てくるのだとしか思えない。
感覚がおかしくなっている人は殆どの場合において、自分の感覚がおかしくなっているとは気が付かない。もし気が付いても、それまでの自分の行為を否定したくないという思いが働き、認めるまでにはそれなりの時間が掛かるだろう。自分には彼がそういった状況に陥っているように見える。
時事通信によれば菅官房長官も、首相の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言について、「全く問題ない」との認識を示し「極めて常識的な発言だ」とも述べたようだ。自分は確実に不適切な発言だと感じるが、例えば、菅氏が「適切とは言えないが、重大な問題ではない」などの表現にとどめたのなら、その見解には賛同はできないが完全に不適当な見解とまでは言えないように思う。しかしどう考えても、国民に対して一国の首相が、たとえ非支持者だとしても「こんな人たち」なんて表現することは、”全く”問題がないはずはないし、どう考えても”常識的”ではない。言い過ぎかもしれないが、政権に反対する者は弾圧すると言っているようにも思える。それではどこかの国の共産党と同じではないだろうか。実際はそのような意図がなかったとしても、そう聞こえてしまいかねない発言が、”全く”問題がないはずはないし、”常識的”でもあるはずがない。
今年に入ってから特に官房長官は、自分の主張を明確な根拠を示さず強硬な姿勢で訴える場面が明らかに増えている。自分には、それが「安倍政権絶対正義論」みたいな考えに基づいた結果ありきの主張に見えて仕方がない。彼らも百田氏同様、感覚がおかしくなっていることに気付かない、若しくは認めたくないだけの愚か者に成り下がっていると強く感じる。「国民から指摘があれば真摯に受け止め、その都度丁寧に説明する」と首相が宣言したにも関らず、都議選で大敗するまでそんな姿勢は一切示さず、大敗を受けてやっと閉会中審査を受け入れたものの、そんな宣言をした首相本人が出席できないタイミングでの開催を提案したことも、”政権全体の感覚が狂っている”という懸念は懸念に留まらない事実である、という思いを更に強める。