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臨時国会先延ばしと共謀罪


 先日首相が会見で「指摘を真摯に受け止め、その都度丁寧に説明する必要がある」という趣旨の発言をしたが、政府与党は野党が要求する閉会中審査や臨時国会の開催に応じる姿勢を見せていなかった。
 都議選での大敗を受けて政権与党はやっと閉会中審査を受け入れたが、前述のような閉会中審査に応じるまでの過程、説明する責任があると述べた当人であり、閉会中審査の主題である加計問題についても決して関係性の薄い人物とは言えない首相が出席できない開催日を提案したことなども「指摘を受け止め丁寧に説明する」という姿勢からは乖離したものだと感じる。しかし今回自分が注目するのは、政権与党が受け入れる姿勢を示したのが臨時国会の開催ではなく、より規模の小さい閉会中審査だったことだ。


 憲法53条では、衆参のいずれかの議員の1/4以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならないと定めている。野党4党は6/23に憲法53条に基づく臨時国会の召集を求める要求書を衆参両院に提出した。これに対して菅官房長官は「政府は召集義務を負うが、憲法上期日の規定はない」と主張し、例年臨時国会が開催される秋まで対応しなくても問題はないというような、実質的には臨時国会開催要求に応じない姿勢を見せている。確かに憲法53条に期日の規定はないので秋まで開催から逃げ続けても、明らかに憲法に抵触するとは言えない。しかし自民党は改憲草案で、53条に20日以内という期日を設けることを提案している。ということは、開催要求があろうと即時開催する必要はなく先延してもよい、要するに先延ばしは憲法の趣旨から外れるものではないと彼らが考えているとは思えない。
 そのようなことを考慮すれば、彼らの臨時国会開催を先延ばししようとする態度もまた「指摘を受け止め丁寧に説明する」という首相の発言とは矛盾すると感じる。

 しかし自分が、政府が憲法の記述を理由に、その趣旨に反し臨時国会開催を先延ばしにする態度から最も懸念するのは、権力の性善性に期待した法整備の危険性だ。この件は権力による都合の良い法解釈は確実に起こるのだから、不備のある法は決して見逃してはならないという事を如実に物語っている。
 何が言いたいのかと言えば、先日成立してしまった共謀罪法案で、政権与党や法案支持者らがその正当性を主張する中で論じた、「もし万が一共謀罪法案に権力や捜査機関が拡大解釈できるような不備があったとしても、日本は民主主義なのだから、濫用するような政権は選ばれないだろうし、捜査機関が濫用しようとしても歯止めが掛かるはずだ」という話だ。これは要するに、少なくとも日本では共謀罪の制度を拡大解釈し悪用するような政権が現れる恐れは低いという見解に基づく話だ。この話は自分にとってはかなり説得力のない話だったが、明らかに行政権に機能が偏りその機能は弱まっていると個人的には思うものの一応三権分立という制度は形式上は運用されているし、完全に見当違いの判断だとも言い難い。しかし、菅官房長官が臨時国会開催を先延ばしにするために、憲法53条に期日がないことを理由に持ち出したことは、法に不備があれば権力は都合よく解釈することを明らかに証明している。それは共謀罪に関して将来的に悪意を持った政権が誕生し悪用する恐れどころか、現政権にすら共謀罪を濫用する懸念があることを示した格好だ。

 特定秘密保護法や安保法制の議論・可決についても個人的には政府与党の強引な対応に懸念を感じていたが、今年に入ってから、言い換えれば南スーダン日報問題や森友学園問題が取り沙汰され始めてから、以前にも増して強引というか傍若無人と言ってもよい振る舞いが目立つようになった。たまには反省、真摯な受け止め、丁寧な説明というような発言で誠実さをアピールするものの、それらの言葉は殆ど実態が伴わず、言わばスタンスを示しているに過ぎないと多くの人が感じていることだろう。そのような強硬な姿勢が当たり前になってしまっているから、共謀罪の正当性を訴える際に持ち出した話と矛盾するような、臨時国会を即開催しない理由を堂々と主張することが出来るのだろう。

 ネットで見かけた「安倍支持派は安倍を辞めさせてその後どうするんだと言うが、もしチンパンジーがトラックを運転していたらとりあえず止めて降ろすだろ」という趣旨のツイートを見て、乱暴な例えだがそれなりの説得力もあると感じた。チンパンジーがトラックを運転しているという例えは適切ではないかもしれないが、安倍政権は、安全運行に支障をきたすレベルで体調が悪い人が旅客機を操縦しているぐらいには表現できる状態に陥っているように自分には思える。

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