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ガソリン車の今後


 ハフィントンポストによると、7/6にのフランスのニコラ・ユロ環境相が、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」を遵守する取組みの⼀つとして、2040年までに内燃機関を動⼒とする⾃動⾞の販売・⽣産を禁⽌すると発表したそうだ。現状でもハイブリッドカーやEVが増えているのは明らかで、今後そのような状況が加速していくことは誰の目にも明らかである。地球環境にとってもそれは望ましいことだろう。地域によってはEVが増えてもそのEVを走らせる為の電気は、その殆どが火力で発電されている場合もあり、内燃機関車からEVへの転換で全ての問題が解決される訳ではないにしても、排気ガスなどの問題が大きく改善することは予想できるし、トヨタやホンダが実現している水素を使用した燃料電池車など、単純なEVの更に先を見据えた技術も既に実用化され始めている。


 ただ、自動車各社のモデル開発や、モータースポーツからカスタムカルチャー、自動車の歴史などまで自動車文化全般に興味のある、自動車文化全般が好きな自分としては、内燃機関車の自由な販売には制限が掛けられても仕方がないとは思うが、生産まで禁止する必要があるのかは疑問だ。というのも、これまでの自動車の歴史の大部分はガソリン車・ディーゼル車によって生み出されている。自動車の文化を守るという視点で考えれば、主役の座は今後明らかにEVへ移っていくのだろうが、生産を禁止ということは技術を断絶させることでもあり、ガソリン車などは脇役であることすらも許されないという厳しすぎる施策に見える。言い過ぎかもしれないが、個人的にはこれまでの自動車文化を否定することのようにも思える。モータースポーツの世界でも、F-1やWEC・世界耐久選手権のトップカテゴリーで使用する車両のハイブリッド化が行われてから既に数年が過ぎているし、フォーミュラーEというEVだけで争われるシリーズも開催されている。今後も社会の動向に合わせてハイブリッドカーやEVが使用される競技は増えていくだろうが、それでも内燃機関の魅力はいまだに色あせず、根強い人気があるのも事実だ。

 2040年までにはそういった意識や状況も確実に変化はしていくのだろうし、確かに、モーターサイクル世界選手権が排気ガスなど環境への配慮を理由に、2000年代前半に2サイクルエンジンから4サイクルエンジンに移行する際、当時はより高出力化しやすい2サイクルエンジンの方が人気があり魅力も高かったのだが、レギュレーションを2サイクルエンジンの倍の排気量に設定することで、レースの迫力などの魅力を維持、若しくは拡大することに成功したことなど、環境への対応を行いつつ文化としても発展したという事案もある。
 しかし同じ2サイクルから4サイクルへの移行が絡んだ話でも、日本の50cc・原付1種では違った展開があった。日本の原付バイクも排ガス規制によって2サイクルモデルが実質的に販売できなくなり、現在は4サイクルモデルのみがラインナップされている。世界選手権ではそれまでの2サイクルモデルと同等の出力を維持するために倍の排気量が設定されたが、市販モデルは法令による免許の区分が排気量で定められている為、排気量を変更することができず出力は半減したままだ。原付1種のバイクにそれまでの2サイクルモデルのような高出力が必要かという話などもあるが、出力に余裕があることは魅力だし、現に原付1種が完全に4サイクル化されてからは、4サイクル化だけが原因ではないだろうが、販売される原付1種のモデル数は明らかに減った。スポーツモデル的な位置付けの車両は消滅し、そういったモデルを求める層は1ランク上の125cc・原付2種へ移行している。だが、原付2種は免許取得に原付1種のような気軽さでは臨めず、また普通自動車免許では運転できず、別に免許を取得する必要がある為、2サイクル時代の原付1種にあった盛り上がりというか文化のようなものがそのまま移行したわけではない。自分には環境対応の裏で日本に90年代まであった原付1種の文化が衰退したように見える。

 原付モデルの販売というのはバイクメーカーにとっては販売台数の多くを占めるかなり重要な分野だ。個人的には原付1種を4サイクル化する排ガス規制と同時に、普通自動車免許で乗れる2輪車を原付2種まで拡大するべきだったのではないかと感じている。原付1種のような気軽さで原付2種の免許試験を行うまでの必要はないのかもしれないが、多くの人が教習所で交通法規を学習することを理由にこれまで普通免許で原付1種の運転を許可していたのだから、4サイクル化で出力が下がったのなら原付2種まで運転を認めることに大きな問題があるようには感じられないし、それでバイク文化の裾野が維持できていたなら商業的にも文化的にも、また自動車よりバイクを選ぶ人が増えると考えれば環境的にも利益があることだとも思う。

 少し話しがそれてしまったが、環境を守ることは重要なことだと思うが、それと同様に文化を守ることも大事なことだと思う。例えば、電車の普及で蒸気機関車が衰退したように、時代に合わせて、衰退していくべくして衰退していくならそれはそれで仕方がないことかもしれない。しかし生産すら禁止なんてのは少し行き過ぎ、自分には迫害のようにも思える。個人的にはフランスはEU内にあるのだからフランスだけが禁止しても他地域で購入は出来てしまうのだし、あまり意味は無いようにも感じる。内燃機関車の生産を禁止するなんて方法ではなく、内燃機関車が減るべくして減るような、EVもしくはもっと先にある技術が魅力的になるような施策を行うほうが、よっぽど効果的なのではないかと思う。

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