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海水浴場のあり方


 鎌倉市・由比ガ浜海岸に出展が計画されていた相席居酒屋形式の海の家が一度は出店を認められていたのに、開店の直前・3日前になって、形式上は自主的な出店断念という形式だが、事実上、鎌倉市の「⾵紀の乱れや過度な飲酒につながりかねない」という理由での出店中止申し入れによる半ば強制的な出店中止になった、ということを読売新聞などが報じている。近年この近隣の海岸では海の家が⼤⾳量で⾳楽を流す「クラブ化」のほか、砂浜での飲酒などが問題視されている。確かに自分も問題が全くないとは言わないが、この記事で紹介されている、この出店中止に至る元になった市への市民からの要望にもある「海は泳ぎに来る場所。健全であってほしい」というのは絶対的に優先すべき考え方なのかと言われたら、素晴らしい考え方ではあるだろうが、その考えを強制されたくないという思いの方が強い。


 ここからは相席居酒屋形式の海の家に限らず海の家・海水浴場全体のことを想定して考える。まず「海は泳ぎに来る場所。健全であってほしい」というのは絶対的な社会的な規範ではない。この場合の海とは海水浴場を指すが、自分は海水浴場=泳ぐだけの為にある場所とは思わない。例えば競泳用プールなら=泳ぐ場所で間違いないだろうが、海水浴場では日光浴だけをしにくる泳がない人もいる。それに健全とはなんなのか。音楽を聴きながらはしゃいでお酒を飲むこと、体を動かす行為が健全でないなら、盆踊りなどの多くのお祭りも健全でなくなるように思う。確かに静かなことを好む人もいるだろうが、静かさが好きな人が健全で、騒がしいことを好む人が健全ではないなんて決して言えないと思う。勿論音量・飲酒量などに限度はあるだろうが、一律に判断できるような話でもない。相席居酒屋形式の海の家に対して市側が示した「風紀を乱れや過度の飲酒につながりかねない」という話も、男女の出会いが風紀の乱れだと言うなら、海水浴場でのナンパ行為を一切禁止しなければならないだろうし、個人的にはナンパ行為を一切禁止した上で、特定の相席居酒屋システムを採用した海の家だけで男女の出会いを認めるほうが、よっぽど彼らの言う”風紀の乱れ”はなくなると思う。過度の飲酒への懸念という話も変だ。酒の提供があればどこにでも過度の飲酒をしてしまう危険性はあるだろうから、こういった指摘をするなら全ての海の家での酒類の提供を一切合切禁止するべきではないだろうか。

 相席居酒屋形式の海の家や海水浴場のあり方に限った話ではないが、ある価値観の一方的な押し付けのような主張はされるべきではない。相席居酒屋形式の海の家の件を扱ったあるテレビ番組では”海の家の所謂クラブ化が風紀を乱す恐れ”なんて表現を行っていたが、それではまるでクラブ=風紀の乱れの権化のような偏見を肯定してるように見える。自分には盆踊り・夏祭り、花見などでも風紀を乱すような行動をする人はそれなりにいるのに、クラブだけを槍玉に挙げたい人の気持ちを理解できない、というかしたくもない。結局価値観の多様化を認めることが必要だなんて言いながら、自分の価値観や従来の価値観に捉われ過ぎるあまり、他人の価値観は尊重しないのに、自分の側の価値観はぐいぐい押し付けようとする人が未だに少なくないことには失望する

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