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小野寺防衛大臣の印象


 北朝鮮と米トランプ大統領の挑発合戦がまた激化し始めている。北朝鮮が残念なのは以前から何も変わっていないし、トランプ氏が残念な人なのも以前と同じだ。北朝鮮側は主張の内容には変化があるものの、必要以上に虚勢を張るような論調は相変わらずだ。評価するつもりは全くないが、姿勢の一貫性という意味ではある種の安定感がある。トランプ氏はあの北朝鮮よりも感情的であるし、北朝鮮の挑発に乗せられたのか乗せられたふりをしているつもりなのかは分からないが、ここのところは更に過激な発言に及んでいる。北朝鮮とトランプ氏のしていることが狐と狸の化かし合いならまだいいのだが、共にかなり危険な凶器をチラつかせながら威嚇し合っており、何かが少し間違えば戦争に突入しかねない。日中戦争だって局地的な些細な衝突で始まってしまったのだから、今の半島情勢でも似たようなことが起こらないとは決して言えない。


 
 前述のような状況を、「北朝鮮とトランプ氏のチキンレース」などとメディアは表現している。ハフィントンポストによれば、北朝鮮は、新たに防衛大臣に就任した小野寺氏が、敵のミサイル基地に反撃する能力・敵基地攻撃能力を検討する自民党のチームの座長だったことや、現在も敵基地攻撃能力の保有に前向きな姿勢を示している事などを踏まえて、日本に対しても「我が国への先制攻撃を正当化するための口実を確保することだ」「朝鮮民主主義人民共和国はすでに、日本列島を瞬時に焦土化できる能力を持っている」「日本の反動勢力は、軽薄でいたずらな行為をすると、核兵器による無慈悲な一撃で、日本列島が太平洋に沈没するかもしれないことをはっきりと理解するべきである」などと日本への核攻撃も示唆したようだ。北朝鮮はこれまでも在日米軍基地への攻撃を示唆したり、安倍首相が制裁強化に積極的な姿勢を示したことを受けて、アメリカや韓国だけでなく日本も攻撃の対象であることを示唆しており、以前と変わらない規定路線であるとも言える。しかし個人的には、敵基地攻撃能力検討を臭わせるという事は北朝鮮とトランプ氏の愚かなチキンレースに自ら参加表明するような考え足らずの行為にも思える。確かに今は対話のチャンネルをなんとか維持しつつも、圧力をそれなりに強化するべき時期であるとは思うが、敵基地攻撃能力検討のアピールなんてのは視点によれば武力による威嚇の示唆とも思える為、憲法に抵触する恐れもあるようにも思えるし、必要以上に敵対心を煽る事になり、防衛上逆効果になる恐れも強いと思う。
 
 自衛の為には攻撃能力の増強や軍事費の増強は必要だという考え方もあるのだろうが、それは一方で周辺国の不安や敵対心を煽り、結果的に自国に対する攻撃が行われる懸念を強める恐れもある諸刃の剣だと考える。抑止論を声高に主張する人々にはそのような視点が欠けているような気がしてならない。ハフィントンポストの記事によれば、安倍首相は「現時点で(敵基地攻撃能力)保有に向けた具体的な検討を行う予定はない」として、これについて慎重な姿勢のようだが、小野寺防衛大臣はそのようなことについてどのように考えているのだろうか。
 
 オーストラリアでのオスプレイ墜落事故を受けて、昨年12月の沖縄での不時着(墜落)も踏まえて小野寺大臣が米軍に飛行自粛を要請したが、それ以後も米軍は自粛する姿勢を全く見せていない。米軍が具体的に自粛要請を拒否すると返答したという報道も見ないし、そのような状況を受けて小野寺大臣が何かしらアクションを起こしたという報道もない。実際は水面下で何かしらの交渉が行われているのかもしれないが、それがわからない自分にとっては、結局小野寺大臣は就任直後という事もあり、意欲的な姿勢を示したいが為だけに”(何かしら)やってます”というスタンスを見せただけのようにも思える。前述の敵基地攻撃能力の件といい、オスプレイ飛行自粛要請の件といい、小野寺大臣はどうも空回りしている印象が強い。前任の稲田氏に比べれば相当マシであることも事実だ。しかし比べる対象が悪すぎただけに、マシであるなんて印象では到底”結果本意の仕事人”なんて言えないのではないだろうか。

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