8/10に開かれた南スーダンの日報が隠蔽されたという疑惑についての特別防衛監察に関する閉会中審査には、結局野党らが求めていた稲田元防衛大臣の出席はなかった。自民党側は稲田氏や黒江防衛省事務次官、岡部陸上幕僚長ら当時の防衛省・陸自の首脳が辞任という形で責任を取ったのだから、後は小野寺新大臣が説明を行えばそれで幕引きできると考えているようだが、特別防衛監察の結果報告はイマイチハッキリとしない表現でしかなかったし、それで果たして本当に再発防止が出来るのかはかなり疑問だ。小野寺大臣は再発防止策として、情報公開請求に適切に対応するための情報公開査察官なるポジションを新設するとしているが、昨年7月の所謂南スーダンで戦闘が起こった日の日報が公開されるまでのあまりにも不透明な経緯やその後発覚した隠蔽疑惑、特別防衛監察の曖昧な表現を用いた報告を考慮すれば、防衛大臣を含む防衛省・自衛隊内に本当に自浄能力があるのかが疑われているような状況でもあるので、情報公開査察官なんて役職を内部から任命しても果たして機能するのか疑問だ。
朝日新聞の記事によると小野寺氏は閉会中審査の中で、「(日報が陸自にも存在していたことを)大臣に報告をしたかどうかは意見が分かれた。ただ、(報告をした事実が)『ない』とした方は明確に『なかった』と終始一貫している」「『したかもしれない』という方は複数回意見を聞かれているが、意見が二転三転し、あいまいなところもあった」などと発言している。恐らく小野寺氏の言いたいことは、このような曖昧な事実しか特別防衛監察では分からなかったから結果報告も曖昧な表現になっている。何が曖昧だったのかと言えば、陸自内に日報が存在していたと稲田氏に報告があったと主張する人々の方が曖昧なことを言っているのがその主な理由、ということなのだろう。個人的には防衛省や陸自に隠蔽体質がない、若しくは改善された・されると証明する為には、曖昧な表現で発表された特別防衛監察なんてものではあまり意味が無く、日報の隠蔽に稲田氏がかかわっていなかったのならキッパリそう言うべきで、キッパリ言い切るだけの根拠を示せるような調査を行うべきだ。にもかかわらず小野寺大臣は適切な調査が行われたとして、再調査は必要ないという姿勢を示している。このような話の組み立てを見ていると、彼らに真実を追究し状況を改善させようという積極的な姿勢があるとは思えず、そんなことより兎に角さっさと幕引きしたいと内心では思っているようにしか思えない。
このような姿勢は、通常国会終了後、安倍首相が再三口にする”丁寧な説明”だとか”真摯な受け止め”とか”反省するべきは反省”などと合致するのだろうか。それともこの件は反省するべきことではないということだろうか。さらに言えば、小野寺大臣が選任された8/3の内閣改造での会見で首相はそのような姿勢を再び、しかも今までで最も強く示した直後というタイミングなのに、前述のような小野寺大臣の対応があるわけだ。朝日新聞によると菅官房長官も8/8に、愛媛県と今治市の担当者が2015年4月に首相官邸を訪れた際に、同行した学園幹部も首相の秘書官と面会していたとされる報道に関して「しっかり国民に説明する準備はないのか」と記者の問われ、「国会で述べた通りだ」と繰り返し、さらに「ここは質問に答える場所ではない。政府見解を、事実に関連して質問していただきたい」などと述べたそうだ。8/10の会見でこの発言について問われると、「(記者会見は)全てのことについて答える場ではない」と主張し、記者が「質問に答える場ではないと言ったら、会見全体が崩壊するのではないか」と問うと「全く違う」と反論したらしい。確かにあまりにも稚拙な質問や、誰が聞いても揚げ足取りとしか思えないような質問には答える必要はないと思う。しかしこの記事で取り上げられている質問がそのような種類の質問だと明確に言えるかは疑問だ。もし菅氏がそのように感じたのだとしても、このような質問の捌き方しか出来ないのなら、彼も小野寺大臣同様”丁寧な姿勢”とか”真摯な受け止め”とか”反省”なんて意識がないとしか思えない。要するに安倍首相が8/3に宣言した反省(のスタンスを見せよう)キャンペーンは1週間も経たずにいつの間にか終わっているのだろう。もしそうでないなら安倍首相は彼らに姿勢を改めさせなければならないだろう。もし彼らが、彼ら以外の大臣も同じだが、今後もこのような以前と同じような姿勢を変えないのであれば、それは安倍首相や彼が選んだ大臣・閣僚達は反省という言葉を口にしても、実際はそんな気持ちは毛頭無いということを証明してしまうことになりそうだ。