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ブラック部活動問題の焦点


 所謂ブラック部活動と呼ばれる状況について、Buzzfeed Japanが「「楽しいから、やめられない」 ブラック部活動はなぜ無くならないのか?」という見出しの記事を掲載した。この見出しの第一印象は、楽しくて止められないのなら”ブラック”という表現はそぐわないのではないか、ということだ。例えばTVゲームが楽しくて止められずに、親に叱られるなどという場合にブラックTVゲームとは言わないだろう。記事を読んでみると、記事にブラック部活動と言われるような状態でも、学生も教員も楽しくて止められないのではないかという記述もあるものの、それは全体のごく一部で、この見出しは内容からかなり離れた読者の気を惹きたいだけの不恰好な、若しくは少し言い過ぎかもしれないが、羊頭狗肉的な見出しのように感じられた。このようなスポーツ新聞的な見出しのつけ方は娯楽的な記事や、明らかに見出しを見た時点で大袈裟な見出しだと分かるものなら、ある程度容認も出来るが、シリアスな記事での、微妙なラインで内容との不一致を感じさせる見出しは、記事や筆者、さらには掲載されているメディアの信頼性を結果的に下げることにも繋がりかねない恐れもあり、好ましくないと考える。しかしその一方でこの記事の内容は、全面的に賛同するわけではないが学校の部活動の在り方について考えさせられるものだった。

 
 ブラック部活動とは、特に運動系の部活に多く、練習の質よりも量を重視する思考を背景に殆ど休みなく活動する部活を指す表現で、元々はそのような部活で疲弊する学生に関する問題として、ブラック企業から派生して使われ始めた表現だ。しかし教員の残業が過労死ラインを大きく上回るという実態が当事者らによって叫ばれ始めると、本来教員達がボランティア的な観点や自主的に務めるはずの部活動顧問について、学校の上層部から強制的に就任させられているという実態も問題視され始め、学生だけでなく教員も疲弊させられているケースが少なくないということも言われ始めた。要するに教員にとって部活動がブラック企業のような労働環境になっているという意味でもブラック部活動という表現が使われ始めている。
 既に一部の地域や学校ではこのような状況を打開しようと、学生に強制加入や退部させないなど部活動参加を強制しないのは勿論、部活動の指導を教員ではない外部コーチに依頼するなど、教員の負担も減らそうという対策が始まっているようだ。しかしそれでもまだまだ前述したような状況の部活動や、強制的に顧問をさせられている教員が劇的に減り始めているわけではない。BuzzFeed Japanの記事はなぜそのような状況が大きく変わっていかないのかについて名古屋大学大学院の内田良准教授の見解を基に考察している。記事ではブラック部活動をブラック企業の温床とし、本来自主的な活動であるはずの部活動への参加を学生にも教員にも強制され、学校側や保護者の高評価などを動機として、やりがい搾取にも似た状況が起こり、自主的な活動という建前(本当に自主的な活動の場合も勿論ある)を理由に際限のない活動、言い換えれば、質・量ともに我慢を強いることに主眼を置いたような練習が行われてしまうことが問題の本質だとしている。更に競技の経験が浅い、場合によっては一切経験がない教員が部活動顧問を強制的にやらされることが、知識のないまま指導に繋がり、それに端を発する怪我や死亡事故が起こったり、または体罰の温床にもなってしまうということも指摘している。流石にこのような事案を強調しすぎることは必要以上に不安を煽ることにも繋がりかねないが、このような事例が全くないかと言えばそんなこともないだろう。
 
 内田氏はこの状況を改善するには「(活動に)上限を設けること」が必要だと主張している。確かに本当に自主的に望んで楽しいが為に無茶をしすぎている場合もあるし、本当はやりたくないのに、学生は内申点・教員側は管理職や保護者の評価など何かしらの動機を理由に無理をしている場合もあることを考えれば、歯止めを掛ける為には活動に上限を設けることも必要かもしれない。例えばモータースポーツ界隈ではアメリカでは80年代後半から、ヨーロッパや日本などでは90年代以降、車両の開発競争が過熱しすぎて開発にかかるコストが膨大になりすぎて、ついていけずに撤退する自動車メーカーが多発し参加メーカー・チームが減った結果、競技やイベント自体が成り立たなくなって衰退が始まったという過去がある。00年代以降はそのような過去を踏まえて、コストが大きくなりすぎないように競技規則で厳しく開発や車両に規制を設けて、競技・イベントを維持するようになった。そのような事例を考慮すれば、部活動も健全な状態を維持する為にはある程度活動に制限を設ける必要もあるのかもしれない。
 しかし部活動は記事でも指摘しているように本来自主的な、言い換えれば個人的な判断で自由に行う活動だ。課外であっても学校の管轄内で行われていることを考えれば、実質的には差はあるのかもしれないが、本質的には放課後学生達が有志で集まり何かをして遊ぶことと似たようなことだと個人的には考える。それを円滑に、又は安全に行う為に学校や顧問の教員などが補助をするのが部活動という体裁なのだと思う。確かにそのような本来の姿から外れた部活動が蔓延していることを正すの為には、制限が必要だという考え方も理解できるが、それでは実際に望んで自主的に活動しているあまり問題のない部活や学生にまで規制をかけることになる。やりがい搾取を正す為に、本当にやりがいを感じている学生や教員達のやりがいを奪うことになるかもしれないようでは本末転倒になりかねない気もする。
 
 学校の部活動に、例えば時間的な制限をかければ、その結果部活動の校外化が起きるのだろうと思う。現に甲子園を目指すようなコアな中学生は、中学部活動で行われている軟式野球ではなく、硬式野球をプレーする為にリトルシニアやボーイズリーグなどのクラブチームに所属することが、一部地域では当たり前になりつつある。学生の課外活動が部活動からクラブチーム主体になれば、学生に対する部活動参加が強制されるような状況も減るだろうし、教員の負担も減ることが予想できる。学校の部活動は同好会的な位置付け、もっとシリアスに本気で取り組みたいならクラブチームという空気が広がれば、それはそれでよい結果が生まれるかもしれない。
 しかし、例えばゆとり教育を推し進めても、ゆとりを重視しようという空気が社会に生まれず、学習塾通いが減らなかったように、単に部活の校外化が起こるだけのようにも思える。部活動が校外化しクラブチームが主流になれば、公共性の強い学校との関係性が薄れるのだから、学習塾と同様保護者らの経済的負担が増えることが予想される。そうなれば部活動にも経済格差が生まれるという新たな問題を生んでしまう恐れもある。更に現在、本来自主的な部活動への実質的な参加強制が行われているように、部活動が校外化しても、今度は学生はクラブチームに所属するのが当たり前だという空気が生まれるだけかもしれないとも想像出来る。それで教員に関するブラック部活動問題は解決するかもしれないが、学生に関しては単に問題の起こる場所が変わるだけにしかならないのかもしれない。更に悪く考えれば、経済的な理由でクラブチームに参加できない学生が、それを理由に蔑まれるような空気が生まれる恐れもあるだろう。そのような事態になってしまえば、結局部活動に上限を設けるという対策は短期的には効果があるかもしれないが、問題の本質を解決するには至らない恐れもある。
 
 自分は部活動は自主的な活動としながら、過度に干渉するという対策が適当だとは思えない。ブラック部活動問題の本質は、際限のない活動なのではなく、本来自主的な、自由な参加のはずの活動へ学生も教員も強制的に参加させられることにあるのだと思う。問題解決の為に何かを規制するのなら強制参加させることを規制するべきではないだろうか。内田氏の際限のない活動を規制するという考え方も、恐らく最終的には同じことを目指し、社会的な空気感を変革させる手段としてそのような対策が必要だとしているのだと思う。ただ個人的にはその方策で必ずしも状況が正しい方へ向かうとは思えず、それよりも地道に「自主的な活動なのだから学生にも教員にも参加を強制するべきではない」という事を多くの場面で訴え、根本的に社会的な意識を変えていくほうが長期的には効果が出る可能性が高いと考える。

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