ネット上での個人間売買仲介サービス・メルカリに夏休みの宿題用としての使用を想定した読書感想文や工作・自由研究向け作品などの出品が行われていることを、朝日新聞などが取り上げている。メルカリにこの手の出品が行われていることが取り上げられたのは始めてかもしれないが、近年夏休みの宿題や、大学の論文作成の代行サービスがビジネス化しつつあることは以前から報じられており、決して目新しい話題ではない。朝日新聞の記事によれば、運営会社は「法律や規約に触れていないので販売は可」という見解のようだが、その一方で記事では有識者の「子供の勉強にならない上、親が買って渡すのなら倫理教育上も問題。運営会社も認めないで欲しい」という見解も紹介している。当然のように記者も全く問題ないと思えないから記事化したのだろうし、自分には運営側の規制をかけるつもりはないという見解も理解できるし、有識者が示す問題があるから規制をかけて欲しいという見解も理解は出来る。
例えばメルカリでは今年の初めに現金が額面以上の設定価格で出品され問題になった。これについては複数の点で法に抵触する懸念があったため、運営会社は規制に踏み切った。またメルカリに限らずネットオークションなどにコンサートなどイベントのチケットが正規価格の何倍もの設定価格で出品される、所謂チケット高額転売問題もここ何年もの間問題視され続けている。これについてもダフ屋行為にあたる恐れなど、法や条例に抵触する恐れが指摘されている。しかし今回問題視されている読書感想文や工作などはそれらの場合とは異なり、法に触れるような出品である恐れは限りなく低い、というか運営会社も判断するように全く法に触れない可能性の方が強い。
確かに夏休みの宿題の性質を勘案すれば、それを金で解決したり、他人がやったものをまるで自分がやったもののように提出する行為は倫理上問題のある行為かもしれない。確かに自分も、この手のものを親が子供に買い与えることは勉強になるならない以前に、子供に適切とは思えない価値基準を持たせることに繋がると考えるので、絶対にしたくない行為だと思う。しかし、20年前に比べればまだ良くはなっているかもしれないが、日本の義務教育、特に国語の授業やテストでは自由な発想よりも、先生やテストの作成者の考えを忖度することを求められるケースが多すぎるとも思える。そういった教育方法に対して疑問を持ち、読書感想分についても模範的な感想を求められるだけで意味が無いと感じる親がいても、それが絶対的におかしいとは思えない。というか寧ろ自分も似たような考えを持っている。前述のように自分はそれでも決してこの手の商品を買って子供に与えようとは思わないが、そのように考える親が読書感想分を書くために課題図書を読む時間や感想文を書く時間を無駄と捉え、その時間を別の活動に費やしたいと考えているなら、それを全面的に否定することも出来ない。そして運営会社が過剰に違法でないものについて規制をかけることは、メルカリのサービスの規模を勘案すれば、ある道徳観・倫理観を顧客に押し付ける行為にあたる恐れもあるだろうから賛成できない。
ハフィントンポストも同じ件を記事にしており、その中で都内の私立校で教員をしている男性の声を掲載している。彼は「ゴーストライターの作品を生徒が出してきても、語彙力や構成力などで教員は一発で見破れますよ」という見解を示している。勿論そう言われて「マズい」と思うような考え足らずの親もいるだろうが、前述のように考えてこの種の商品を利用する親は、現在の教育に関する疑問を声高に学校などで訴え、波風を立てて子供が学校に居づらくするのも無駄と考えて、ある意味の落とし所として捉えているのだろうから、宿題の替え玉提出でいい成績がもらえるなんて最初から思っていないのではないだろうか。
しかしこの教員の男性は「こういうサービスが出てくるということは、先生も親も、学ぶことの魅力を十分に伝えられていないのかもしれません。自分が将来どういうふうになりたいか、どう変わりたいのか。人というのは変われるものですが、その魅力を伝えきれていない」とか、「『倫理的問題がある』という意見はもちろんありますが、『そもそも夏休みの宿題って本当に必要なの?』という段階に入っているのかもしれません」とも述べている。彼もこの手の宿題替え玉商品に手を出すような親にも、短絡的で愚かな親もいれば、現在の教育に疑問を持っており、いろいろな影響を考慮した上で使用を選ぶ親もいるという想定をしているのだろう。
この教員の男性が言うように「そもそも夏休みの宿題って本当に必要なの?」という段階になっているのかもしれない。記事の中でも触れられているように、日本の学生が夏の終わりに宿題で苦しんでるとか聞くと、海外の親達は驚くということもあるようで、国や地域によっては日本のような夏休みの宿題なんてない地域もあるだろうし、それでも夏休みの間全ての子供がダラダラ過ごすような大きな教育上の問題が起きないのも事実だろう。ただ、個人的には夏休みの宿題があったほうがいいのか、ないほうがいいのかなんて画一的に判断できる話ではないように思う。夏休みの宿題云々以前に、どこの学校も、特に公立の学校は特色に乏しく、画一的な教育しか選択肢がないことが問題なのだと思う。確かに最近では過疎地の学校が都会とは違う環境を求める一部の人たちの為に彼らを受け入れるケースもあるようだが、そういった環境の違う学校を選ぶことはまだまだ一般的ではない。個人的には学区制をもう少し緩和し、それぞれの地域に特色のある公立校をいくつか作り、その中から親や子供が自分にあった学校を選べるような仕組みが必要なのではないかと考える。そうすれば各校の間にそれぞれの特色を打ち出そうとするある意味での競争が生まれることにもなるだろうから、そうなれば不適切な教員も淘汰されていくように思える。そのような状況が実現すれば夏休みの宿題が必要だと思う親は、そういった学校に、そうでない親は夏休みの宿題のない学校に子供を進学させられるようにもなるのではないだろうか。
画一的な教育しか選べない状況、それは学区で通う学校が決まってしまったり、文科省が教育の内容を縛りすぎていることなど、日本人が持っているおかしな平等感がこのような問題の根底にあるように自分には思える。