スキップしてメイン コンテンツに移動
 

テレビで視聴者ツイートを取り上げることと、その影響


 今朝・8/28のMXテレビ・モーニングCROSSで、北朝鮮がまたミサイルを発射したという事や、韓国強襲を想定した訓練を金正恩委員長が視察したことなどをトップニュースとして取り上げた。これに対する野田稔氏や小林至氏らコメンテーター陣は、経済制裁等の圧力は必要だが、何かしら対話のチャンネルを維持しておかないと、太平洋戦争に至った当時の日本のように暴発しかねず、最悪の結果を招きかねないという見解で一致していた。その後番組内でこの見解に対する反論と思われる「日本のように追い詰められたらっていうけど、勝手に核開発してミサイルうっている国と当時の日本を同じ目線で見てもいいのかな?当時の日本は大量破壊兵器の使用も研究もしていないよ。この差は大きいよ。」という視聴者ツイートが画面に流れた。ハッキリ言ってツッコミどころが多すぎて反論するにも値しないような妄言してと無視してもよいのだが、このようなツイートに関して複数思うところがあったので敢えてツッコミを入れてみる。

 
 このツイートを投稿した視聴者は確実に当時の日本にとって、又は自分の主張に関して都合の悪い歴史上の事実から目を背けている。もしくは単に不勉強過ぎるだけなのかもしれない。なぜ当時の日本が経済封鎖されるような事態に至ったのかと言えば、満州国建国や日中戦争の開戦に至った一連の流れがある。確かに当時は欧米諸国も植民地経営をしており、日本が植民地を拡大することに対する牽制として、満州国の建国を非難したという側面も無いとは言えないだろう。しかし満州国の地域住民に日本による傀儡政権の樹立が全面的に好意的に受け入れられたということが決してないということは現在主流の歴史評価だし、その地域で日本の陸軍が襲撃されたかのように見せかける自作自演の事件を起こしたことも、現場の局地的な衝突が日中戦争に発展してしまったことも、共に現在主流となっている歴史評価だ。要するに現在の歴史の評価では、欧米による植民地支配も好ましい状況でなかったし、それと同様に日本が強引な手法で植民地を拡大しようとしていたことも正当性を欠いた行為とされている。そして、そんな日本に対して行われた強硬な経済封鎖が日本を太平洋戦争の開戦に向かわせた大きな理由の一つであるということも、多くの有識者らが認めていることだ。
 
 このツイートをした人は、当時の日本は核やミサイルというような大量破壊兵器を開発(彼は使用とも書いているが、現時点では北朝鮮もまだ使用はしていない)していなかったのだから、当時の日本と今の北朝鮮の状況は明らかに異なり、圧力を強めることは適切だと言いたいのだろう。しかし前述したような歴史評価を勘案すれば、北朝鮮が国際社会に対して”止めます”と言いながら核開発を継続し、嘘をついてたように、当時の日本は傀儡政権ではないと言いながら、実質的には傀儡政権を樹立し植民地化したり、自作自演の事件を起こし中国に攻撃されたと主張するような嘘を、国際社会に対してついていたという点に注目すれば、それぞれの状況には大差がないとも言える。そして満州では日本軍の731部隊が生物兵器の研究を行っていたことが複数の根拠から明らかになっている。生物兵器だけを理由に日本に対する経済封鎖が行われたわけではないし、核に比べれば殺傷能力は限定的かもしれない。だがこれに関しては人体実験も行われていたという非人道的な行為があったことも指摘されている。それでも当時の日本が、現在の核と同様に、当時から国際法上認められていなかった生物兵器の研究を進めていた状況が今の北朝鮮と大きく異なると胸を張って誇れることだろうか。そしてそれ以前に、当時の日本の状況と今の北朝鮮のそれが似ているか否かに関係なく、軍事的だけではなく経済的な圧力でも、そればかりを重視し過ぎれば、追い詰められ「窮鼠猫を噛む」的な暴発が起こらないとは言えないことも想像出来るだろう。
 このような都合の良い解釈を基にした主張が行われる背景には、広島に原爆投下された日終戦記念日の投稿でも触れたように、日本が戦争に至った歴史、戦争中の状況などに関して、過剰に美化して捉える思考があるのだろう。それは彼らが自分の主張に都合の悪いことに目を向けていないことからも明らかだ。
 
 そしてもう一点別の点で気になっていることがある。モーニングCROSSはNHKのニュースチェック11と並ぶ、視聴者ツイートが画面に表示される2大報道番組だ。しかも個人的な感覚では、ニュースチェック11ではある程度画面に表示するツイートを問題性の低いツイートに選別しているように感じられるが、モーニングCROSSでは番組が掲げるスローガン”タブーなき意見”を実践しているのだろうが、前述したような適切な主張とは言えないようなツイートも、敢えてかどうかは分からないが画面に表示される。
 偏見や間違った歴史観などに基づくツイートを画面に表示するか否かはとても難しい問題のように思う。それは、メルカリに夏休みの宿題向け商品が出店されるのを規制するべきか否かという話とも、とても似ている。確かにテレビ局は公共の電波を使用していることを理由に中立性が求められている為、様々な主張を取り上げるべきだとは思う。しかしここ最近モーニングCROSSで表示されるツイートは、所謂ネット右翼的な偏った考え方が多くなっているように思える。テレビで表示されるということで、ネット上で声の大きい方が集まりやすいという側面があるような気がしてならない。自分は何か調査を行ったわけでもないし、何かの調査結果を精査したわけでもない。当然モーニングCROSSのハッシュタグのついたツイートに関しても統計を行ったわけでもないから、このように感じられるのは、自分が偏っていて、若しくは強硬過ぎて不快と感じるツイートがより印象に残るというだけのことかもしれない。
 モーニングCROSSは、決して所謂ネット右翼と呼ばれるようなタイプの人々が好むような保守的な傾向の強い番組ではなく、個人的にはあまりに過激な主張にはどちらかと言えば否定的な番組だと感じている。しかしなぜそこにそのようなツイートが集まってくるのかと言えば、自分のツイートがテレビ画面に表示され、広く視聴者の目に触れるからだろう。ハッシュタグを付けずにツイートするより、確実に多くの人に自分の主張を見せることが出来る。確かにそのようなツイートでも視聴者の意見の一つであることには何ら変わりはない。単純に中立性を考えるならそのような意見であっても選別せずに画面に表示するというのはあながち間違いではないとも思う。さらに、少し前にコメンテーターのにしゃんた氏が、”あたまがおかしい”という文言が含まれる視聴者ツイートを紹介しようとしたところ、MCの堀潤氏が制止しようとしていたことから判断すると、全くツイートの選別を行っていないわけではなく、明らかに誹謗中傷に当る表現を含むツイートは画面に表示するツイートから除外していることが窺える。
 
 だが、それでも民族差別を感じさせるようなツイートや、戦争に好意的だと思えるようなツイートが番組中にしばしば画面に表示される。番組の方針とは確実に違うように思えるが、頻繁にそのようなツイートが表示され、出演者がそれについて不快感を示すことや、反論することを明確にしなければ、視聴者によってはその種の主張を番組が容認しているようにも見えてくるのではないだろうか。自分にも、実質的には偏見などを拡散するのに一役買ってしまっているように思える。そのように受け止められることは番組や、番組だけでなく社会にとって果たしてプラスになるだろうか。アメリカで8/12に起こった事件に対してトランプ大統領が明確に白人至上主義を非難しなかったことに対する懸念と、同じような懸念がそこにあるように思える。
 確かに番組の中立性を考えれば、極端に一方の視聴者意見を選別して除外することは厳密には適切ではない。しかしテレビというメディア、たとえそれが独立系局の番組であってもその影響力はかなり大きく、しかもモーニングCROSSはネットで同時配信も行っている為、キー局ほどではないにしろ一般的な独立局の制作番組以上の影響力を持っていると想像する。そのような番組内で視聴者ツイートを表示するなら、適切ではない懸念のあるツイートについては、もっとその問題点に触れる必要があるのではないだろうか。それが出来ないのであれば、捌ける範囲の分量に表示するツイートの量を減らすべきだと思う。要するに責任が持てないのであれば、常に画面に視聴者ツイートを表示するのは止めるべきだ。
 
 確かにツイートを画面に出来る限り分け隔てなく表示することによって、多くの意見が集まり、ハッシュタグがついた投稿同士による議論が生まれることも事実だろう。しかしテレビでそれを取り上げる以上、画面に表示することがどのような影響を及ぼすかについても、ある程度の責任を負う必要があるのではないだろうか。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。