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ミサイル発射と報道


 今朝・8/29の午前6時ごろ、北朝鮮がまたミサイルを発射し、今回は日本の上空を超えて北海道の東側の太平洋上に落下した。最近はミサイルが発射されることが、ある意味日常茶飯事になっており、発射されるとメディアなどのそれなりの反応はあるものの、メディアにも国民にも「またか」というような慣れがあったのは事実だ。しかし今回はミサイルが日本の上空を超えるという、直近では最も深刻な事態だ。今朝は多くのテレビ局が災害発生時のように放送画面に帯をつけて常にミサイル発射に関する情報を表示していたし、大きな駅などでは新聞の号外も配られていたようで、これまでよりも大きな反応が各所に見られる。

 
 このミサイル発射の情報を見て自分がまず想像したのは、昨日の投稿でも触れた、「対話の為の対話では意味が無い」という首相らの主張を拡大解釈し、北朝鮮には対話は通じないのだから対話など行う必要はなく、経済的圧力の徹底、さらには武力による威嚇・実力行使しか道はないというような、好戦的な論調で北朝鮮問題に対処しようとする過激な人々がますます付け上がるだろうということだった。確かにこれまで北朝鮮との間で対話路線を模索してもことごとく裏切られ続け、拉致問題も10年以上進展がなく、その延長線上に今の状況があるのだから、相手の性善性を前提にした対話というのは、確かに首相やその話を拡大解釈する人々が言うように意味がないのは事実だ。しかし対話を全く止めてしまったら、経済的な圧力や武力による威嚇で相手を折れさせるか、実力行使に出て力ずくで相手に言う事を聞かせるしかなくなる。首相は後者のように力ずくで実力行使とは、もし頭の片隅にそのような思いがかすかにあったとしても、憲法に抵触する恐れがかなり強いので、口が裂けてもそのようなことは流石に言えないだけでなく、聞く者にそう受け止められることすら不味いような状況なのだから、彼が「対話の為の対話では意味が無い」としているのは、対話より圧力を重視するという意味であり、圧力で相手を折れさせようと考えていると想像する。

 しかし果たして対話は効果が低く、若しくは効果がないので、圧力をどんどん強めるべきだという考え方が本当に適切なのかを考えると、個人的には北朝鮮を必要以上に追い込み、暴発する危険性を助長しているだけのように思える。一部の好戦的な論調の人々にしてみれば、北朝鮮を追い込み暴発してくれたほうが好都合なのかもしれない。彼らは武力行使も辞さない、というか武力で北朝鮮を制圧するべきだと考えているのだろうから、日本が防衛を理由に武力行使できる状況、またはアメリカや韓国などが北朝鮮に武力攻撃を行う口実が出来た方が望ましいとさえ思っていると想像する。しかしそれでは確実に日本にも、アメリカ・韓国にも何かしらの被害が出る。人数や規模は分からないが当然犠牲となる者も出るはずだ。好戦的な論調の人々がそれについてどう考えているのかは想像すら出来ないが、自分はそんなことは極力避けるべきだとしか思えない。
 経済的・政治的な圧力、演習や迎撃できる装備の配備などある程度の、実質的な部分を含む武力的な圧力は必要かもしれないが、これまで北朝鮮がミサイル発射をしたり、核実験に踏み切る度にそれらの圧力を強めても、事態が好転するどころか寧ろ悪化していることを考えれば、「対話の為の対話では意味が無い」のと同じように「圧力の為の圧力でも意味が無い」とも思える。要するに対話は一切止めて圧力一辺倒で対応しても、問題は解決するどころか好転すらしないことはこれまでの経緯からも明らかだ。
 
 対話か圧力か、という話とは別だが、個人的には今回のミサイル発射を受け、メディアは必要以上に大騒ぎしているようにも感じられる。勿論政府が広範囲で警報を鳴らす措置に踏み切ったのは初めてだし、北朝鮮が通告なくミサイルを日本上空を通過させる飛行ルートで発射したのは異例なことなので、大きく扱われるべき事案だとは思うし、適切な情報を国民らに提供する必要性は当然あるだろうから、これに関する報道が全く必要ないとは言わない。しかしこれまでのミサイル発射に比べて、テレビが倍以上の規模で時間を割いたり、新聞が号外を配るなんてのはやりすぎだと思う。繰り返しになるが、これまでより確実に一段以上高い懸念が感じられる事態だということは理解出来るし、ネット環境がない高齢者への配慮だと考えればテレビや新聞がより高いレベルで注意喚起を行うことを全否定することは出来ない。しかし日本政府や日本のメディアがどのような反応を示すのかは当然北朝鮮当局も注視しているだろう。彼らの目に過敏に反応している日本人がどのように映っているかも少し考えたほうがよいのではないだろうか。個人的には、過剰反応はかえって相手を付け上がらせるだけだと考える。
 
 自分には韓国との間にある慰安婦問題でも、日本人は過敏に反応しているように思える。それは逆に相手側の被害者的な感情をかえって煽り、冷静に対処するより問題解決から遠ざかっているように思える。それとはやや性質が異なるものの、北朝鮮を巡る諸問題、特に度重なるミサイル発射についても同じようなことが言えると個人的には考えている。それは楽観的であるべきだということではなく、落ち着いた対応をすることが必要だということだ。現在の米大統領は北朝鮮の将軍様と同レベルの発言を行い、愚かな煽り合戦をしていると世界中の多くの人が感じている。日本の首相もその酷い煽り合いにあからさまに参加しているとまでは言うつもりはないが、片足を突っ込み始めているようには思える。自分にはメディアの過剰反応もそれと同じようなことのように感じられる。首相もそうだし、政府、メディア、さらには国民も必要以上に過剰な反応をすることなく、私達は何があっても動じないという姿勢を見せることが、所謂対話や圧力以前に必要なことだと個人的には感じている。

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