8/30に横浜市で行われた麻生派の研修会で、麻生副総理が講演の中で、
「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」(朝日新聞の記事より)
と述べた事が大きな波紋を呼んでいる。確かに文脈上麻生氏が明確にヒトラーを肯定的に捉えているとは言えないことは明らかで、誤解が生じかねないという見解はやや言い過ぎ、麻生氏に好意的な立場の人からすれば揚げ足取りのように感じられることもある程度は理解できる。しかし個人的には、国会議員、しかも副総理兼財務大臣というかなり重要な立場であることを考えれば、ナチスやヒトラーに関する話題がかなりセンシティブだということをもっと考慮するべきだったとも思う。
例えば、彼が普通の一般的な私人だとか、副総理という責任重大な立場でも、発言したのが公の場ではなく明らかに私的な状況なら、この発言に誤解される懸念があると批判するのは揚げ足取り的だと断定することも出来るかもしれない。しかし副総理という立場で、麻生派の研修会という場面では副総理というより派閥の長という側面の方が強いかもしれないが、それにしたって国会議員としてその場に立っていることには変わりはないし、それは言い換えれば公人としての発言であることにも変わりはない。そしてテレビカメラも入った講演という公的な場での発言でもあるのだから、状況に相応しくなかったと言われても仕方がない。
朝日新聞の別の記事によると、彼は一応ヒトラーを例に挙げたのは不適切だったとして発言を撤回するとしてはいるものの、
「私がヒトラーについて、極めて否定的にとらえていることは、発言の全体から明らかであり、ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らかである」
と、インタビューである種の報道に対する不満も吐露している。注目すべきは「ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らかである」という部分で、これは問題になった発言の「ヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」という部分と明確に矛盾する。元の発言から”ヒトラーが政治家になった動機は正しかった”と彼が言っていることはその文脈上明らかである。このような矛盾する発言を言い訳がましくしてしまうことは、恥を上塗りしているとさえ思える。それでは副総理という立場の持つ影響力を正しく認識しているのかと疑問を持たれても仕方がないし、彼は自分の発言に対する責任感に欠ける人物だと思われても仕方がない。それでは彼や、彼が副総理を務める内閣の信頼感が下がることはあっても上がることはないだろう。
しかも今年に入ってから特に、彼が副総理を務める内閣内で多くの失言が取り沙汰され、辞任に至った者もおり、他にも理由は多くあるが、その影響で内閣支持率は大きく下がり、首相がそれに対して反省の弁を述べ、引き締めを行っている最中という状況を考えれば、このような脇の甘い発言や、その発言とは明らかに矛盾する責任感の薄い言い逃れの、不細工さ加減は更に強調されるように思える。
要するにこの件の一番の問題点は、誤解を受ける恐れのあるヒトラーに関する発言ではなく、それについての乱暴な火消しの図り方にあるのだと自分は感じる。不適切な発言と認めて発言を撤回したにもかかわらず、何故このような矛盾する不適切な言い訳を繰り返してしまうのだろうか。これでは彼が「本当は不適切とは微塵も思っていないが、周囲がうるさいし面倒なことになりそうだから撤回だけはしておこう」と思っているように見えてしまう。要するに結局この件も、反省、真摯な説明などと口ばかりの安倍内閣の性質を象徴する出来事としか思えない。更に強硬に表現すれば、内閣改造などで支持率低下が止まりやや回復基調であることで、これまで控えていた傲慢さが再び顔を出し始めたとすら思えてしまう。
どうしてもヒトラーを例に挙げたかったのなら、彼が、ヒトラーがどのような動機で政治家になろうとしたと認識しているかを具体的に説明するべきだったのだろう。その内容によっては誤解されるという懸念も生まなかったかもしれない。勿論あまりにも的外れな説明だったらそれも批判を浴びる理由になったのだろうから、やはり”君子危うきに近寄らず”でヒトラーなどに言及しない方がよかったようにも思える。
このことについて今朝のMXテレビ・モーニングCROSSの中でコメンテーターの古谷経衡氏が触れており、彼は
「東京新聞か何かが『(ヒトラーが政治家になった)動機とは何か』と(麻生氏に)聞いたら、彼は『ドイツの繁栄』と答えた」
と発言していた。さらに古谷氏はヒトラーが政治家になった動機は決してドイツの繁栄の為ではなく、アーリア人というありもしない優れた人種による支配という幻想がその動機で、そのアーリア人に最も近いのはゲルマン民族だとし、優生思想に基づく社会の実現を目指したのだという趣旨の説明をしていた。また麻生氏が言うように、ヒトラーが政治家になった動機がドイツの繁栄の為であるならば、ドイツ国民であるユダヤ人を虐殺したことと大きく矛盾するとも付け加えた。確かにドイツの繁栄を望んだのならユダヤ人であることを理由に国民を虐殺したことは上手く説明できない。古谷氏の見解が絶対的に正しく、麻生氏のヒトラー感が絶対的に間違いであるとは断言できないかもしれないが、逆に古谷氏の見解が大きく間違っているとも言えないことは事実で、そのようなセンシティブな事柄にわざわざ触れる必要があったのかと考えれば、やはり例に挙げたこと自体が間違いだったというのが適切な見解だろうし、それが副総理という重要な立場にある人間に求められる振舞いであると考えられる。せっかくそれについては不適切だったと麻生氏も認めているだけに、余計なその後のインタビューでの発言が更に残念に感じられる。
ハフィントンポストによると、8/26に行われた人気ゲームシリーズ「龍が如く」の最新作の新作発表会で、ゲームに出演した俳優の寺島進氏が、
「今日、ステージに上がっている何人かは朝鮮人なんで、あのー、ほんと朝鮮からミサイル飛ばさないように願っているだけでございます。よろしくお願いします」
と発言し、こちらも波紋を呼んでいる。どうも同じくゲームに出演した白竜氏などが在日朝鮮人であることを念頭において、冗談のつもりで発言したようだが、こちらも麻生氏のヒトラー関連発言と同様、センシティブな話題に不用意に触れるという愚かな行為としか思えない。一部の韓国メディアなどが”朝鮮人という表現は韓国人を蔑視する目的で使われている”などと見当違いな批判を行っているようだが、それは行き過ぎた被害妄想だと切り捨てるとしても、緊迫している東アジア情勢や、微妙な状態にある日韓関係を考慮し、さらにそのような話題がゲームの内容と殆ど関係ないことも考慮すれば、明らかに新作ゲームの発表会という場面には適さない話題であることは明らかだ。単なる冗談のつもりだったとは思うが、もし彼が本当に朝鮮半島情勢を憂慮しているのなら、こんな冗談ではなく、適切な場所でもっとシリアスに持論を展開するべきだろう。またそうではなくユーモアを披露したいのならば、別の話題でそれを実現するべきだっただろう。
麻生氏の件では一般的な私人であれば発言は問題ないかもしれないという個人的な見解を述べたが、やはり私人であっても、特にメディアへの露出が多い、影響力をそれなりに持っている人などは場面を考えて発言するべきだということなのだろう。勿論メディアへの露出など無い一般市民だって同じように考えるべきなのは当然で、これらの件を反面教師とし、適切な判断力を身につけるべきだという事を、誰もが再確認するべきではなだろうか。
私達は究極的には自分の価値観でしか物事を判断することが出来ないのだろうが、そのように開き直ってしまえば個人間、民族間、国家間に存在する軋轢はどうやっても解決することが出来なくなってしまう。冗談やユーモア、説教として触れるのに適する話題かどうかについても人それぞれ感覚に差があるのは事実だが、自分の感覚だけを優先しすぎることの無いように心掛けたい。