8/3に発表された内閣人事で「人づくり革命担当大臣」なるポストが新たに増やされた。BuzzFeed Japanの記事によると、人づくり革命とは安倍首相が6/19に行った会見で示した、今後の主要な政策として新たに打ち出した方針らしい。主な具体的な内容として、高等教育の無償化、幼児教育における「こども保険」、待機児童問題などに取り組むという方針で、それらを統括するのが人づくり革命担当大臣だということなのだろう。ハッキリ言って自分は安倍内閣に対しては不信しかないので、彼らが高等教育無償化を持ち出した理由は憲法改正の為の足がかりでしかないと思っているし、待機児童問題にしても、2016年当初の積極性を欠いた態度を批判されると、あわてて対応を始め無理な目標を掲げたものの、結局達成出来ずに達成時期を延期するという行き当たりばったりな状況で、この手の政策に関しても実行力や真摯な対応は期待できないと思っている。ただ、そのような不信感を度外視して考えれば、全く姿勢すら示さないよりはまだマシとも思える。彼らに実行力があるのか、彼らが実効性のある政策を掲げているかは別として、少なくともそちらにも目だけは向けているという消極的な視点での評価だけは出来る。
ただ、これらの教育分野に関する問題を「人づくり革命」なんて分かり難い表現で括ろうとするセンスの低い言葉選びは全く評価出来ない。以前の「一億総活躍」なんてのも、個人的には戦前の「国家総動員」的なニュアンスを連想してしまう、かなり酷いセンスのネーミングだったが人づくり革命とやらもどんぐりの背比べだ。そう感じさせる背景には当然政府に対する不信感もあるのだろうが、人づくり革命という表現に質の悪い自己啓発本・自己啓発セミナーのようなイメージを感じてしまう。大体”革命”をつける必要性があるのだろうか。恐らく”革命”という言葉で抜本的な制度の刷新とか、これまでにない発想の全く新しい制度設計なんて雰囲気を醸し出そうとしているのだろうが、それよりも胡散臭さの方が強調されているように思う。”革命”を外して”人づくり担当大臣”としたとしても言葉選びのセンスがよいとは思えないが、革命なんて単語がなくてもニュアンスは大して変わらないし絶対ないほうがマシだ。
このネーミングについてはテレビなどでも多くのコメンテーターが首をかしげる場面をよく目にした。その多くは「革命とは元来、現政府・体制を覆すことを意味する言葉で、政府側が用いるのに相応しくない言葉なのではないか」という主張をしていた。朝日新聞によれば、共産党の小池氏も、
内閣改造があったが、革命という言葉をね、軽々しく使わないでほしいと思います。人づくり革命(担当相)と。革命っていうのはもう政治権力が変わるわけですよ。ある階級からある階級に政治権力が変わるような重い言葉だと思う。人づくり革命なんだったら、やっぱり政権交代するしかない。共産党が政権についてこそ本当の人づくり革命なんじゃないですか。
と似たような主張を記者会見で披露したようだ。言いたいことは理解できるが、個人的には小池氏の発言も革命という言葉の一側面だけを捉えた短絡的なもので、彼にも、人づくり革命というネーミングを行った政府と同レベルの、言葉に関するセンスの低さを感じてしまう。”革命”本来の意味は小池氏が言うようなものであるのは事実だが、ここでの革命はそういったニュアンスではなく、前述したように単に抜本的な刷新というニュアンスで用いられていることは容易に想像することが出来ると思う。それが理解出来ないのであれば、言葉を使った議論を生業にする政治家・国会議員には適していないとも思えてくる。テレビのコメンテーターが皮肉交じりで発言したり、政治家であっても記者会見などの公でない場で、冗談交じりにした発言というならまだ分かるが、記者会見で大真面目にするような話だとは到底思えない。要するに小池氏の主張は単なる”揚げ足取り”と指摘されても仕方がないと思える。
いくら政権与党への不信感が社会的に高まっても、このような発言をしている限り、野党側に支持が回ってくることはないのではないだろうか。