広島に原爆が投下された8/6には今年も平和記念式典が行われた。式典で広島市長は、核保有国と、それらの国と関係性の深い国は軒並み賛成しなかったものの、その他の100ヶ国以上によって7月に国連で採択された核兵器禁止条約に触れ「各国政府は『核兵器のない世界』に向けた取り組みをさらに前進させなければなりません」と述べたのに対し、安倍首相は条約には触れずに「真に核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」という発言をしていたのが対照的で興味深かった。核兵器禁止条約の議論にすら参加しなかった国の首相が、主導的な立場を担う決意だなんて言えてしまうことに大きな矛盾を感じる。日米同盟があるから条約に賛成し難いとか、それについて言及し難い立場であることも理解は出来るが、そのような背景を重視するならそれなりの発言に留めるべきで、首相の発言はその気もないのに耳障りの良い言葉をただ並べただけにしか思えなかった。沖縄の基地問題にしろ原爆や核兵器の問題にしろ、首相は一体誰に向かって政治を行っているつもりなのだろうか。
話は少し変わるが、8/6や8/9など原爆が投下された日も重要な日ではあるものの、関東に住んでいる自分にとって戦争について考える最も象徴的な日と言えば終戦記念日・8/15だ。実質的な終戦が一体いつだったのかという話もあるが、玉音放送やポツダム宣言を受けいれる無条件降伏が公になった8/15が、多くの日本人が戦争が終わった日として認識している日だろう。自分の世代の祖父母は皆、大正から昭和初期に生まれた世代で、当事者として戦争にかかわった世代だ。二十歳前後までは毎年この時期になると、祖父や身の回りの祖父母世代から戦争の話を聞かされた。彼らの話は軍国教育を受けた影響なのか、そう思わないとやっていられなかったのか、一部戦争を美化していように感じられる部分もなくはなかったが、結論は「戦争なんて絶対やるもんじゃない、関るもんじゃない」と心の底から訴える話だった。満州で警官をしていた母方の祖父の話も、南方で兵士として終戦を迎えた父方の祖父の話も、本土で工場に動員され、空襲に怯えていた両祖母の話もそれは同じだった。そして自らの経験を語っているということにはとてつもない説得力があった。
今年の平和記念式典の報道を見たり、記事を読んだりして改めて感じたのは、戦後72年ともなると、彼らのような強い説得力のある話を出来る実際に被爆した人や戦争を経験した世代は確実に減っているということだ。時間が経過すればそうなっていくのは仕方がないことでもあるが、当事者世代から話を聞いた経験がある自分には、戦争経験のない世代の話はどうしても説得力が薄いように思えてしまう。こんな投稿を書いている自分にも当然同じことを感じてしまう。しかし、それでも彼らから聞いた経験に基づく思いを風化させてはならない。個人的に感じるのは、彼らから聞いた話を次の世代に伝えるのに、必要以上に演出をしようとしてはならないと思う。出来るだけ聞いた通りに率直に伝えるべきだと思う。何故なら演出を加えれば加える程、話のリアリティは薄まり、どこか作り話のように聞こえてくるからだ。そういう意味では、今年の広島市長のスピーチも自分の心には強くは響かなかった。昨年米大統領として始めて広島を訪れたオバマ氏のスピーチにも同じような印象を感じた。
演出を出来るだけ省き、その上で戦争や核兵器の非人道性を最大限に伝えることはとても難しいことだと思う。しかし出来る限りそれをする努力をしなければ、実際の戦争や核兵器について、映画やドラマの中の戦争と似たような印象を抱く人が増えてしまう恐れがあると思う。終戦から時間が経てば経つほどそのような恐れは膨らむだろう。それはとても難しいことかもしれないが、そのような努力は私達がしなければならない最優先事項であるように感じる。ても難しいことかもしれないが、そのような努力は私達がしなければならない最優先事項であるように感じる。