警視庁高井戸署で2015年に行われた、中学生に対する万引きに関与した容疑に関する任意聴取の中で、到底容認できるものではないような高圧的な暴言・脅迫としか表現出来ないような、自白強要を迫る発言が行われていたことが、取調べを受けた中学生がボイスレコーダーで密かに録音していた音声から明らかになったことを、各メディアが一斉に昨日報道した。関与を疑われた中学生は2人で、その後の捜査の結果、関与があったという事実は認められなかったということだ。弁護士ドットコムの記事によると、2人は昨年この件について刑事告発を行ったが、その後訴えを取り下げたとのことだ。あくまで個人的な想像だが、要するに警視庁と当事者の間で、該当警察官が反省の弁を述べたか何かの形で示談のようなことがあったのだろう。当事者らも必要以上に事を荒立てて注目されることを嫌がったのかもしれないが、ハッキリ言って個人的には今後の為にも訴えを取り下げて欲しくなかった。と思いつつ、今回会見を通して中学生の両親がこの件を明らかにしたのは、今後の教訓にしてもらう為の苦肉の策だったのかもとも想像する。
文字ではなかなか伝わり難いかもしれないが、テレビ報道では実際に録音された音声を公開しており、高校受験を前にした中学生に対して「お前を高校に行けなくしてやる」「お前の首を取る」「人生終わりだ」「お前は社会を分かってない」などという台詞の口調は、まるで映画の中で描かれるヤクザそのものだ。しかもこれが中学生に向けられていた場が、任意聴取と言えども密室の取調室だったことを考えれば自白強要というか脅迫以外の何物でもない。少年らは刑事告訴を取り下げたということで、この件にかかわった警察官2名の処分は、1人はその後退職したものの、厳重注意だけだとも報道されている。この件は警察組織や警察官には自分達が特権を与えられた組織だという事を忘れ、はき違えた正義感を振り回すような側面があること、警察官が殺されたような渋谷暴動事件の犯人逮捕などでは執拗な捜査を行うのに、身内の犯罪には甘い組織である側面が否めないことを強く再認識させられる事案だ。
今年の通常国会では所謂共謀罪法案が、充分な議論も尽くされないまま可決されるという事態が起こっている。共謀罪法は実質的に警察や検察などの捜査機関の権限を強化をする為の法案だ。警察の不祥事なんてのは枚挙に暇がないが、警察官だって何万人といるのだから、絶対肯定したり容認することは出来ないが、不適切な人間が紛れ込むのはある意味では仕方がない。そう考えれば警察官・警察組織の不祥事は減らすことは出来てもゼロにすることは、どれだけ努力しようとも不可能だとも思える。また警察組織は犯罪者に対して数で圧倒するという対応を取ることが多いが、そんな対応をする側にいるとどうしてもこの記事のような「自分達はいつ何時も絶対的に正しい」とか「自分達には裁判官のように犯罪を認定し人を裁く権利を持っている」と勘違いを起こす人はどうしても出てしまうだろう。そんな組織に抑止力なく更に権限を与えることは果たして妥当なのだろうか。結局警察官・検察官と言えども私達と同じ人間で、起こして欲しくはないが間違いを犯す恐れがゼロではない。それは警察官らだけではなく、裁判官や弁護士、もっと言えば国会議員や国務大臣、首相でも同じことだ。だから何かしらのチェック機能や抑止力を常に効かせておかないと間違いが起こる恐れは決して少なくない。他人を信頼することはとても大切なことだが、過信することは出来る限り避けなければならない。