現在、マン島のTTレースを題材にしたドキュメンタリー「Closer to the Edge」が、JSportsのスポーツドキュメンタリー番組・The Realとして放送されている。マン島TTレースとは、イギリス(厳密にはイギリス領ではなく、自治権を持ったイギリス王室の属領)の島・マン島の公道サーキットで毎年行われているモーターサイクルレースだ。かつては自動車レースで言うところのF-1、モーターサイクルレースの世界最高峰年間シリーズ・現在のMotoGPの前身であるWGPの中の1戦で、ホンダなどの日本のバイクメーカーも企業単位で挑戦したこともあるレースだった。公道で行われるレースなので路面はレースに適しているとは言えないかなり荒れた状態だし、ランオフエリアが充分に用意されているわけでもないので、転倒すると壁に衝突したり、斜面から転げ落ちたりするので深刻な負傷を負う者も多く、死亡事故も後を絶たない。そんな理由からWGPに参加するライダー達がマン島TTレースで走ることを拒否する事態が1973年に起こり、1977年からはWGPのレースではなくなったが、その後も伝統的なレースはプライベーターを中心に市販車ベースのマシンで続けられ、現在も世界で最も過酷なモーターサイクルレースと評されている。
このドキュメンタリーの中心的な存在になっている、マン島TTに参戦し続けているライダー・ガイ=マーティンが作品の冒頭で述べた、
ライダーは頭がおかしい。ネジがいくつか緩んでいる。ライダーは見た目で分かる。みんな頭が悪そうな奴ばかりだ。
という台詞に考えさせられた。と言っても、死亡事故が高い確率で発生するような危険なモータースポーツを伝統だからと続けることは妥当なのかなど、モータースポーツ的な視点で考えさせられたわけではなく、彼の言葉を文脈と関係なく字面だけで受け止めれば、ライダーは愚か者だと言っているように見えるが、実際は、マン島TTに参加する、若しくは過去に参加したライダー達を決して貶している訳ではなく、全肯定するわけではないだろうが、危険を超えて挑戦する姿勢を評価する・称賛するという意味合いの方が強い。それは前述の台詞の直後に
俺も(まだ)勝てていないが、(マン島)TTで勝つまで(本当の)ロードレーサーとは言えない。
とも言っていることが裏付けている。要するに、主張と字面は必ずしも一致しないということを考えさせられたという事だ。
例えば「ライダーは頭がおかしい」「ライダーはみんな頭が悪そうな奴ばかりだ」という台詞を、モータースポーツに関する大した知識もないワイドショーのコメンテーター的な人物が述べれば、それはレースに参加するプロのライダーに対する侮辱、場合によっては一般的なバイク愛好家全体に対する侮辱として受け止められ、非難の対象になりかねない。しかしマン島TTに参加しているライダーが、ドキュメンタリー作品の中という文脈で同じ台詞を述べると、それは一転してプロライダーに対する、勿論一部で危険に自ら寄って行く愚かさに対する自虐的な意味も無くはないだろうが、一定の称賛を表明していると多くの人が受け止めることになる。同じ台詞でもそれを口にする人によって印象は異なるし、その台詞が発せられる状況、述べる時の口調、前後の文脈、さらには受け止める側の心情や状況によってもニュアンスは微妙に、場合によっては180度変わることがあるという典型的な例だ。
ここから自分達が学ばなければならないのは、字面だけを見て短絡的に受け止めてしまうと、間違いが起こる恐れがあるということや、勘違いを元に批判すれば所謂揚げ足取りになってしまうかもしれないということだ。しかし視点を変えて考えれば、ドキュメンタリー作品という、ある意味文学的な要素を持ち合わせたものの中では、誤解される恐れがある表現でも、より印象を強める為にこのような表現を用いることも比較的肯定的に受け止められるのかもしれないが、政治家などの国会での答弁や、裁判などでの陳述など誤解を極力排除するべき場面では、出来る限りそのような表現方法をしないほうが好ましいとも言える。言い換えれば、時と場合、状況にあったより適切な表現方法を選べることが好ましいと思える。
ここ半年くらいの間、大臣や閣僚らが何らかの釈明を行う際に「誤解を招きかねない表現があったことを反省する」という旨の発言を再三行っているが、こう何度も連発されると誤解を招きかねないとした発言は実質的には誤解を招く発言ではなく、うっかり漏らした本心を批判され、単にそれを取り繕っているだけだとしか思えなくなる。確かに言葉尻を捉えた批判を野党や一部のメディアが行っている場合も無いとは言えないが、逆に考え足らずの発言を政府関係者が全くしていないとも言えないだろう。