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徳島県警の誤認逮捕から考える


 徳島県警がツイッター上で起きたチケット売買詐欺事件で、実際には犯人でなかった愛知県の女性を逮捕し19日間拘留していたことを、9/10にいくつかのメディアが報じた。これを受けてなのか、元々予定されていたのかは分からないが、徳島県警は10日に女性宅を訪れて謝罪し、11日に会見を開いて事の顛末を発表した。実際にチケット売買詐欺事件が起きたのは2016年8月頃で、その後被害者が徳島県警に被害届を出した。2017年5月に愛知県の女性が詐欺容疑で逮捕されたが、女性は容疑を否認。女性は19日後、処分保留で釈放される。その後京都市の女子中学生が愛知県の女性になりすまし、詐欺事件を起こしたことが発覚し、徳島県警が誤認逮捕してしまった女性に謝罪した、というのが大まかな流れのようだ。

 
 報道では愛知県の女性に対して謝罪したとだけしか表現されていないが、もし実際の徳島県警の事後対応がそれだけだとしたら大きな問題だ。当然そんなことはないのだろうと信じたい。この女性がどのような職業なのかなどは一切報じられていないが、もし女性が一般的な企業に勤めていたのだとしたら、逮捕され、19日間も拘留されていたら解雇されてしまう恐れも大いにある。個人的には逮捕拘留即解雇なんて対応を取る企業にも大いに問題があると思う。何故なら逮捕の時点ではまだ犯罪に関与した疑いがあるだけで、犯罪者と決まったわけではない。厳密に言えば犯罪が確定するのは裁判の判決が出てからだ。確かに捜査の中で犯罪を認める自供があればそのような対応も構わないかもしれないが、逮捕=犯罪者確定ではないのだからそんな処分を行うべきではない。日本社会に蔓延している、逮捕されたら犯罪者のように扱う風潮、逮捕されたことを犯罪者確定かのように報じる報道の態度にも大きな問題があると自分は感じる。
 しかしその一方で、例えば少人数で運営されている企業などでは、急に19日間も欠勤されたら仕事が回らなくなってしまうことも考えられる。もし女性が個人事業主だったとしたら、その期間に予定していた仕事を履行できず、取引先に影響が及ぶ恐れもある。そう考えると19日間の拘留によって、と言うか、何日後に戻ってこれるかなど逮捕された時点では分からないのだから、雇い主が苦渋の決断で逮捕された人を解雇し新しい人を雇うという対応をしたり、取引先が付き合いを解消するなんて対応をすることが全く認められないとまでは思えない。だからこそ誤認逮捕なんてことはあってはならないことなのだとも考えられる。そんな意味では、実際に徳島県警が誤認逮捕・19日間の拘留に関して謝罪だけで済ませたのだとしたら、彼らの考えは軽すぎるとしか言いようがない。
 なぜもしかしたら彼らが実際に謝罪だけで済ませたかもしれないと感じるかと言えば、都内の幹線道路を車で走っていた際にパトカーに止められ、車内検査・持ち物検査を要求されたが、自分はある音楽イベントに参加する為に移動しており、時間に間に合わないからと拒否しようとしたが、「やましい事がないなら対応できるはず」などと、半ば強引に検査を強制された経験がある。その問答の中で「何もなかったらどうするんですか?」と聞いたら、警察官は「それは謝るしかない」と言い放ち、実際に検査後「すいせんでした」と軽く謝っただけで去っていた。勿論イベントの開始時刻に自分は間に合わず、関係者に迷惑を掛けることになってしまった、という経験があるからだ。こんなことがあってからは、”警察は自分の面子と都合重視で動いている組織”という印象がかなり強まった。勿論真っ当な警察官も多くいるだろうが、警察という権力組織に所属することで、自分がすることは正義の為に行っているのだから、少しくらいの行き過ぎた行為も大抵大目に見てもらえるとか、何かの特権を有しているなんて勘違いしている警察官もそれなりにいるのだと思っている。この徳島県警の件に限らず、警察による不祥事が報道されるたびにそれを再確認させられている。
  自分は警察も人間なのだから間違いを起こすこともあるとも思っているし、誤認逮捕などは出来る限りなくして欲しいが、誤認逮捕などを恐れすぎれば、適切な捜査が難しくなってしまうとも思っている。見込み捜査のような決め付けを前提に行われる警察権力の不当な行使などは言語道断だとは思うが、人間なのだから絶対に間違わないなんてことが実現できるはずがないことも事実だろう。問題なのは、間違いを起こした際の対応で、無実の人を逮捕拘留しておいて謝罪だけで済ませるなんてのはあり得ないと思う(再確認だが、冒頭の徳島県警が実際に謝罪だけで済ませたかどうかは分からない)。
 
 9/3の日本テレビ・NNNドキュメントでは「死刑は正しかったのかII 飯塚事件 冤罪を考える」というタイトルで、殺人事件の容疑者として逮捕された男性が、一環して無実を訴えていたにもかかわらず死刑判決が確定し、判決から2年後に死刑執行された事件を取り上げていた。この事件では判決の大きな理由となった証拠について、不審な点が複数指摘されており、容疑者も無罪を主張し続けていたにもかかわらず、死刑が執行されている。現在も容疑者男性の遺族が裁判のやり直しを訴えている。番組では目撃証言の不自然さ、当時のDNA鑑定の不備について指摘し、見込み捜査が行われていた懸念や、そんな捜査を基にした死刑判決への疑問を呈していた。
 徳島県警の事件のように誤認逮捕を認め、少なくとも謝罪だけはした(その他の対応は不明)事案は、警察の事件への謝った対応、その後の事後対応に関しても、もし不適切であるなら、何かしらの保障を今後行うなど、対応のやり直しがある程度は出来ると言える。しかし飯塚事件が本当に冤罪事件だったとしても、死刑を執行してしまってからでは、容疑を掛けられた男性の名誉だけは回復することは出来るかもしれないが、男性が被った冤罪による死刑執行についてはどうすることも出来ない。
 
 このようなことから考えると、警察組織には「自分達は決して完全無欠でなく、間違いを犯すこともしばしばある」と認識してもらう必要があるし、私達一般的な市民も、逮捕=犯罪者確定を強くイメージさせる報道に惑わされず、逮捕=疑い、という認識をしっかり持つようにしなければならない。飯塚事件が起きた1992年当時の報道や世論がどのように事件を見ていたかは覚えていないが、捜査や判決に報道も市民も大きな疑問を感じなかったから死刑が執行されているのだろう。そう考えれば、警察や司法機関だけでなく、私達も緩やかに冤罪事件にかかわっている恐れがあるかもしれないと考えられないだろうか。
 多くの場面で警察は正しいし、善良な市民に不利益を与える恐れは低い。しかし、警察の言動は絶対的に正しい、間違うことはないという過信を、警察自体も一般市民も決して持ってはいけないのだと自分は考える。充分な議論もされないまま成立してしまった共謀罪による、捜査機関の権限強化が間違った方向に進むことのないように願うばかりだ。

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