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給食食べ残し問題について


 神奈川県大磯町の中学校で、昨年から給食が導入されたが、食べ残しが多く発生していると複数のメディアが報道した。今朝・9/15のMXテレビ・モーニングCROSSでもこの件を、読売新聞の記事を引用する形式で取り上げていた。読売新聞の記事によると、

生徒から「味や見た目が悪い」という”致命的な欠陥”を指摘する声が相次いでいる

そうで、多いときは半分以上が食べ残される場合もあるらしい。これを受けて番組では、これまでも指摘されていたし、先日の横浜市長選の際にも話題になった、神奈川県の中学校における給食導入率が全国最低の27.1%であることも交えてこの件を紹介し、コメンテーター陣らは「給食導入に積極的なことは評価できることだが、やっつけ仕事とか、給食をただ出せばよいという浅はかさが窺える」とか、「この件がどうかは分からないが、競争入札で給食業者が決めらていることもあり、安かろう不味かろうになっているケースもある」とか、「栄養を重視しすぎると、味や見た目が悪くなる場合もある」などの旨の発言で、学校や町なのか、給食業者を想定しているのかは定かでないが、提供する側の問題点を指摘していた。


 この件の報道で使用されていた食べ残しの写真を見ると、それぞれの学校で給食が作られているものではなく、弁当形式で提供されているように見える。自分はこれを見て、中学校時代に所属していた部活動の学校合宿を思い出した。自分も神奈川県の中学校に通っていたので中学では給食はなく、親が作ってくれる弁当を持参していた。しかし部活動の夏合宿は学校で行われ、その時の食事は丁度この件の給食と同じような弁当形式だった。所謂仕出し弁当業者が毎食学校に弁当を届けてくれていた。しかしこの弁当の評判はすこぶる悪く、みんなおいしくないと文句を言いながら食べていたのを覚えている。それでも運動部の夏合宿ということもあり、みんな腹は基本的に減っており食欲旺盛で、文句を言いながらも食べ残しは殆どなかった。誰かが嫌いなものは、不味いといいながらも別の誰かが貰って食べていた。そんなことも思い出しながら感じたのは、とても昭和的な考え方なのかもしれないが、たとえ「見た目・味の悪さ」が理由だったとしても、半分以上食べ残すような状態は、自分には食べ残す生徒の側にもある程度問題性があるように思える。一言で言ってしまえば、食べ物を粗末にするなと思ってしまう。

 少し前まで持参弁当で好きなものを食べ、嫌いなものがそもそも昼食のメニューに並ぶことがなかったという状況だったことも、この件には影響しているかもしれない。多くの生徒が自分が小さい頃から食べている母親の作る味と、大量生産される仕出し弁当(実際に仕出し弁当という表現が適当かはあくまで推測の範囲)を比べたら、仕出し弁当が負けるのは仕方がない。そして中学生の年頃は兎に角斜に構えたくなる年頃でもあるし、誰かが「こんな不味いの食えない」と食べ残せば、多くの者が同調し始めるということも想像できる。しかしその一方で、味よりも価格重視とか、周囲に他に競合相手がいないなどの理由から、不味い弁当を提供する仕出し弁当屋が存在することも事実だし、そんな業者が学校給食業者に選ばれていた恐れがあるかもしれないという想像も理解できる。自分はある大きな建設現場で働いていたことがあるが、そこは周囲にコンビニや飲食店もなく、食事は仕出し弁当を前日に注文しておくか、競争率が異様に高く買えるかどうかわからない移動販売者のパンかカップ麺しか選択肢のない現場だった。昼休みに売店に並ぶのは面倒で誰もが避けたがり、短期で現場に入るような業者や、現場初日の労働者以外は殆ど仕出し弁当を頼んでいた。弁当屋は元受の建設業者に抱きかかえられて独占的に弁当を供給しているような業者で、競争は殆どないと言ってもよい状態。建設現場ではとてもよくある話だ。競争はないから価格は大して安くもないのに味も決してよくない。よくないどころか不味いと思う日も多かった。そんなことを考えれば、冒頭の件で中学生が食べ残したことを一方的に責めることもできないとも思える。

 昨今、子供の貧困対策や健康管理を理由に学校給食のメリットが強調され、特に公立中学校の給食導入率が低い神奈川県はそれを強く指摘される。そんな状況を背景にしたのか、その前から訴えていたのかはわからないが、このブログで8/19に紹介したように、弁当否定・給食賛美をかなり強硬に主張する者もいるようだが、自分はそれに強い違和感を感じる。自分がこの一件からも感じる事は、給食が確実に弁当持参より優れているわけではないということだ。勿論給食にもメリットはあるが、同様にデメリットある。
 そしてこの件に関して言えば、提供する側にも問題はあるだろうし、残す側にもそれなりに問題があるように思える。例えば、TBSでは実際に当該校の中学生にインタビューをしていたが、その中に「おかずが冷たい」などの声があった。冷めたおかずは不味いと感じるかもしれないが、おかずが冷たいのは個々に弁当を持参したとしても同じはずだ。提供する側には出来るだけ質の高い食事を提供するようにして欲しいし、勿論給食をより良いものにする為に、味などに生徒が要望を出すことは何の問題もないと思う。しかしそれでも不味い・見た目が悪いという理由だけで食べ残すのも、ある意味贅沢に慣れすぎた結果で、決して褒められたことではない。おいしくない食事を一方的に供給することが食品ロスを招いているとも考えられるが、食べ残す生徒達には世界中で注目されている食品ロス・食料配分の格差など食糧問題のことも、もっと考えてみて欲しいと思う。

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