スキップしてメイン コンテンツに移動
 

民族・国籍差別への疎さ


 沖縄・宮古島で交通課の警察官が「通訳をパッと(事故)現場に向かわせきれない言語の方には貸さないでいて頂ければ」と、レンタカーを中国人や韓国人に貸さないで欲しいという見解を、レンタカー業者との意見交換会で示したことを沖縄タイムスなどが伝えている。この件に関して当該の警察官が所属する沖縄県警宮古署は「発言は(当該警察官の)私見であるとはいえ不適切であると言わざるを得ず本発言により困惑された方々におわび申し上げる」というコメントをしているそうだ。同署は当該警察官には差別的な意識はなく、通訳不足に対応する為に示した説明だったとしているようだ。しかし自分は意識的な差別はなかったとしても、この警察官には無意識的な差別意識があったと想像する。無意識的に差別的な発言に及ぶということは、ある意味では意識的にそのような発言をするよりも根が深く、性質が悪いようにも思える。

 
 ここ数年で外国人観光客が急激に増えているのは宮古島に限った話ではなく全国的な傾向だ。しかもその多くを中国人や韓国人が占めているので、実態としては中国人・韓国人観光客が急激に増えたとも言えるだろう。急激に観光客が増えれば様々な問題が起こるのはある意味仕方がないことで、それらの問題には適切に対応をしなければならない。今回の件で問題視されている”通訳が足りないから、意思の疎通が図り難い種類の言葉しか話せない人にはレンタカーを貸さない”なんて対応は確実に不適切な対応で、しかも警察官という立場の人間が公にそのような姿勢を示すなんてことはあってはならないことだ。
 民族的な偏見の強い一部の人々の中には、中国人や韓国人観光客のマナーの悪さを指摘し、彼らのマナーが悪いのだからそのような対応をされても仕方がないという見解を示す者がいる。しかし、もし一部の観光客のマナーが悪いことが事実だとしても、民族差別的な行為が正当化される理由にはならない。もし日本で民族差別的な対処が許されるとしたら、中国人・韓国人のマナーの悪さと同じくらい、もしくはそれ以上に、第三者から日本の愚かさを非難されることにもなりかねない。果たしてそれは適切な問題の解決と言えるだろうか。自分には全くそう思えない。例として適切かどうかという話はあるかもしれないが、マナーの悪さと言えば、近年都市部を中心に自転車のマナーの悪さが度々指摘されている。これについてマナーが悪い比率が高いのは10-20代の若年層の場合が多いように感じられるが、その解決策として10-20代に自転車を売らないとか、10-20代は自転車禁止なんて対処が適切だと考えられるだろうか。的外れだという批判が起こるとしか思えない。
 マナーの悪い観光客(中国人・観光客に限らず)には自分も遭遇したことがある。しかし、バブルの少し前あたりぐらいから、日本でも海外旅行が一般化し始め、ある種のブームになり始めた頃は、日本人も同じように海外でのマナーの悪さを指摘されていた。勿論過去に自分達も通った道だから大目に見ろとは言えないが、例えばその頃の日本人の評判を理由に、海外で「日本人お断り」なんて対応をされたらどのように感じるだろうか。確実に釈然としない気分になるだろう。
 
 今月の始め頃にも中国人客のマナーの悪さを理由に、宮古島の海水浴場でパラソルの貸し出し料金を中国人だけ通常の10倍に設定した業者が現れ、市が注意を行うという事があった。日本ではお見合いパーティーや所謂相席居酒屋など、男女別の料金設定がある程度認められていることを考えれば、全ての業者がこのような料金設定をすれば、それは明らかな差別という事になってしまう懸念があるが、一部の業者が個別の理由でこのような料金設定をすることは、個人的には全く賛同しかねるし、一般的な賛否はあるにしても、絶対的に否定することは難しいのかもしれないとも考えられると感じる。
 しかしレンタカーの件は、警察官という権力を持つ人間が、多くの事業者、というか恐らく宮古島のほぼ全ての事業者に中国人・韓国人への貸し出し自粛を要請するという事態で、パラソルの件に比べて差別の懸念がかなり強い事案だということは確実だ。たとえ警察官が治安の維持や円滑な業務遂行を目指していたとしても、それは許されるべき発言・思考ではない。
 
 宮古島と言えば日本でも有数の観光地であり、宮古島だけでなく沖縄の基幹産業の1つは観光である。沖縄だけでなく日本全体で今後の産業の柱として観光に強い期待を抱いているような状況だし、観光客を蔑ろにするということは今の日本にとっては死活問題にもなりかねない。しかも現在外国からの観光客の大半を占めるのが中国人や韓国人だという事を考慮すれば、彼らは最も重要な存在だとも言える。ただ、だから観光客のマナーの悪さを大目に見ろだとか、我慢しければならないなんてい言うつもりは全くない。郷に入らば郷に従えという言葉が示すように、観光客でも日本では日本の法令に従い、ある程度日本人の感覚に合わせてもらう必要性があると思う。
 しかし国籍や民族で人を判断し、若しくは線引きし、一方には融和的な、一方には強硬な対応をすることは確実に適切なことではない。まず、自分が国外で同じ対処をされたらどのように思うかを考えてみるべきだ。中には「自分は海外に行かないから関係ない」などと思う人もいるかもしれないが、あなたがそのような考えを基に外国人に傍若無人な振舞いをすれば、他の日本人がそのとばっちりを受けるということを考えたほうがいい。それはマナーの悪い観光客と同じような、かなり自分勝手な考え方だということに気付き、ぜひ考え直して欲しい。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。