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ステルスマーケティングの線引き


 今朝・9/20のMXテレビ・モーニングCROSSで、アメリカ連邦取引委員会が21人の有名人に対して、ステルスマーケティングに関連して調査を行っているというロイターの記事に触れ、この日のコメンテーターでスマートニュース・メディア担当ディレクターである松浦茂樹氏が解説をしていた。ステルスマーケティングとは何かを大雑把に言えば、広告であることを明示せずに行われる商品・サービスのPR活動を指す。例えば有名モデルが特定の化粧品をブログやSNSで取り上げたとする。この時にモデルが自ら商品を購入し、それを気に入ってブログやSNSで褒めていれば単なる個人的な投稿になるが、その商品を無償で提供されていたり、金銭などの見返りが発生していたりすると広告活動に該当する可能性が出てくる。ステルスマーケティングとは実際には後者であるのにそれを明示せず、前者であるかのような振舞いで行われる広告活動のことだ。要するに受けて側を騙しているという懸念が生じる為、問題性があるのではないかというのが、ステルスマーケティング・所謂ステマに関する問題の焦点だ。

 
 松浦氏は、番組MCの堀潤氏がツイッターなどで自身の出演するテレビ・ラジオ・ネット番組などの宣伝を行っていることを例に挙げ、どこまでが問題がなく、どこからが問題になるのかという事を説明していた。彼の見解は、堀氏の番組宣伝も自身の生業に絡んでおり、彼の金銭収入に絡む話だが、堀氏の場合はそのツイートを見る多くの人が宣伝される番組によって堀氏が収入を得ていることを理解している為問題がある恐れは低い、というものだった。自分はこの説明を聞いてある程度理解できるものの、明快な線引きとは思えなかった。
 例えば、現在スズキの小型車のCMにジャニーズ事務所のTOKIOが起用されている。確かにTOKIOがCMに出ているのは芸能活動上の契約で出演しているだけで、実際に彼らがその車を愛用している訳ではないと多くの人が理解しているだろうから、何の問題もないということは確かだ。しかしTOKIOが出演していることを主な理由としてこの車種の購入を決めた人は少なからずいるだろうし、その中にはもしかしたらTOKIOがこの車を愛用していると思ってしまった人もいるかもしれない。愛用しているとは思っていなくとも、仕事とは関係なくTOKIOがこの車を気に入っていると思う人は決してゼロではないだろう。この状況と所謂ステマの差は全くないとまでは言わないが、自分には決して大きな差があるとは思えない。もしステルスマーケティングの規制が強まれば、タレントが出演するタイプのCMの全てに「出演者は単純に演者として出演しています」のような端書が付くようになるのではないだろうか。只でさえ人を馬鹿にしたようなうざったい端書がCMには多いのに、更に増やされたら輪をかけてウンザリさせられる。
 
 タレントにとってCMはおいしい仕事の一つとされ、多くのタレントがCMに起用される可能性を高めるために(それだけが動機ではないかもしれないが)、高感度を気にしたり、テレビ番組で特定の商品・サービスに触れた際に褒めたりする。確かに本当にその商品・サービスを気に入って愛用していたことがきっかけでCMに起用される場合もあるだろうが、CM起用を狙って大して興味もないのにその商品についてブログやSNSで褒めるなんて場合もあるかもしれない。所謂ステマとは順序が逆だが、この場合は投稿が行われた段階では、投稿に対する見返りは何もない。その為ステマの定義からは外れるだろうが、ステマと同様に大して興味もない商品を利益目的で宣伝する行為であることには違いない。このような場合はステマを規制しても排除できないだろうし、ということはステマ規制が強まれば、見返りの提供方法や提供されるタイミングが変わるだけなのだろうとも想像出来る。

 有名人とは別の方法によるステルスマーケティング、例えば一人が複数のアカウントを使うなどの方法で、大勢が商品を褒めているふりをするなどは、何らかの方法で規制されるべきだと自分も思う。しかしたとえ有名人を使ったステルスマーケティングが行われていようが、有名人らが広告にかかわり、商品をPRすることで収入を得ることを生業にしているのは多くの人が理解していることだし、商品・サービスについての評価に嘘や明らかな誇張がないのなら、厳密には受けて側が騙されたわけではないと自分は考える。何故なら多くの一般大衆は、ステルスマーケティングかどうかとは関係なく有名人の乗っている車、着ている服のブランド、使っている化粧品などを気にするだろうし、であるならば、例えばテレビ番組でタレントがスタイリストによって着せられている服だって、ステルスマーケティング的だ(ドラマなどではエンドロールで衣装提供などが表示されるが、バラエティ番組などでは表示されない)とも自分には思える。
 このように考えると、有名人などのブログ・SNSへの投稿が広告活動なのか、個人的な感想の投稿なのかの線引きは難しいし、金銭などの見返りがあったかどうかの厳密な判断も難しい。そしてどこかで線引きをしても抜け道を完全に塞ぐことは出来ないだろう。確かに広告活動に関して、道徳的な観点で何らかの線を引くことは必要だ。しかし自分はステルスマーケティングに関する規制は最低限の留め、それよりも投稿された内容または広告の内容が嘘・大袈裟かどうかの方により注目すべきだと思う。有名タレントのステルスマーケティングへの関与より、明らかに都合の良い部分だけを誇張して制作された、通販系CMなどの愛用者の声的な再現VTRの方が大いに問題だと自分には思える。

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