9/28、事前に宣言されていたように召集された臨時国会は何の議論もなく衆院の解散をだけでお開きになった。要するに衆院解散される為だけに召集されたことになる。加計学園問題に関する疑惑の追及・解明というかそれに関する議論を求めて、野党らは憲法53条のいずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があえば、内閣は召集を決定しなくてはならないという規定に基づき、臨時国会の召集を要求し続けていた。しかし内閣は期限に関する規定がないのを理由に毎年臨時国会の召集が慣例的に行われるこの時期まで先延ばししていた。そしてその臨時国会を全く議論を行わず衆院の解散で終わらせるという力技に出た。これについて安倍首相・菅官房長官らは憲法の規定に違反しないという見解を示した。確かに53条には「召集を決定しなくてはならない」としか書かれていないが、それは誰もが「召集を決定(して議論を行う場を設定)しなくてはならない」という意味であると解釈するだろうが、彼らはそう考えていないという事になる。このような憲法の精神を蔑ろにする人たちが政権を担うのは本当に問題がないことなのだろうか。しかも彼らは憲法改正の必要性を声高に訴えている。自分には彼らは国民の為でなく、彼らのような権力者のために憲法を改正しようとしているようにしか思えない。
昨日の解散後の会見で安倍首相は
北朝鮮の脅威、少子化、この国難を国民の信を得て、ご理解とお力を頂き乗り越えていかなければならない。そう判断して衆院を解散しました。
などと発言した。どう考えても民進党で離党者が続出し、小池氏の勢力が体制を整える前に選挙をした方が有利で、しかも臨時国会を避ければ加計問題などについても時間を稼ぐことができ、その間に世間の記憶から薄れさせる効果もあることなどから、このタイミングでの解散に踏み切ったとしか思えない。そう考えれば前述のように平然と言ってのけられるのは国民を馬鹿にしているとしか思えない。一体どれほどの人が彼のこんな考えを真に受けるのだろう。
こんな暴挙とも言えるような行動に出たのは、それでも選挙に勝てるという計算があってのことだったのだろうが、安倍首相の解散正式表明に被せるように小池氏が新党の代表就任を表明し、メディアの注目はそちらに多く集まっている。自分はこちらの新党についても全く期待はしていないが、現政権への対抗勢力としてメディアはそれなりに扱っているし、一部のメディアの調査では既にそれなりに投票先として選ぶ国民がいるという結果も示されている。しかも現在の最大野党である民進党の大部分がこの新党と共に選挙を戦うことになるような情勢で、確実にこれは安倍首相にとって大きな誤算だったはずだ。
安倍首相はこの小池新党など野党について、
選挙のためだけに看板を変える政党に日本の安全を、子供たちの未来を任せるわけにはいかない
と発言している。同じような台詞を都議選応援でも使っていたが、その都議選で大敗したことを彼は覚えていないのだろうか。それとも今回は都議選とは違うと思っているのだろうか。そして「選挙のためだけに看板を」という話も滑稽だ。彼が選挙のためだけに衆院を唐突に解散したと見ている国民が少なくないことを彼は知らないのだろうか。
確かに旧民主政権から自民・安倍政権に変わって、経済政策はある程度の効果を上げたが、結局その恩恵を受けたのは一部の大企業と関係者だけで、多くの国民にとっては大した変化がない。更には特定秘密保護法・共謀罪法案などの戦前回帰とも思えるような政策、今回の解散や集団的自衛権を一方的に容認するという都合の良い憲法解釈、トランプ政権に対するYESマン的な姿勢などを考えると、自分は現在の自民政権をこれ以上続けさせたいとは全く思えない。
確かに今回の解散を受けて野党側もかなり政策よりも政局重視に偏ってしまっていることは否定出来ないがそれに関しても、今回の唐突な衆院解散がされなければ起きなかった状況かもしれない。このように考えれば政策論争の形骸化を加速させる引き金を引いた彼こそが”国難”をもたらしている張本人とさえ思えてしまう。その張本人が”国難突破”などというスローガンを掲げているのはとても滑稽だ。所謂マッチポンプというのはこういうことを指す言葉なのではないだろうか。国民を軽視・馬鹿にするにもほどがある。