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ナチスに対する感覚


 所謂リベラルな視点での活動で知られているジャーナリスト・津田大介氏がツイートで、サンドラ=ヘフェリンさんが書いた「ナチス・ヒトラー礼賛が絶対ダメなわけ」という記事を紹介していた。この女性を自分は存じ上げなかったがプロフィールによると、彼女はドイツ出身の日独のハーフで、日本におけるハーフに関する諸問題や、ドイツ的な視点での日本の見え方などについて執筆活動を行っているようだ。興味を抱き記事を読んでみたのだが、個人的には、つまらない記事だと言いたいわけではないが特に目新しさはなく、これまでも日本人のナチスやヒトラーに対する感覚の、ある意味での疎さ・悪く言えば無神経さに対する問題提起を行う内容だった。
 記事の中でも触れられているように、最近起きたナチス・ヒトラーに関する諸問題、アイドルグループがナチスの制服に酷似した衣装を着用して問題になった件、何かと世間を騒がせる実業家兼タレントが、ヒトラーの顔と共にNo Warと書かれた風刺と思われるデザインのTシャツを着てNHKに出演し問題視された件、政権の重要な立場にある人物が、頻繁にそして軽はずみにナチスやヒトラーに触れる件などを念頭において、そのような風潮に対して牽制する為にこのタイミングで書かれたのだろう。

 
 自分も記事の内容には概ね共感するし、前段で示した案件についてはどれもナチスやヒトラーに対する認識不足が背景にあると感じる。しかし彼女のドイツ人的な視点はやや日本人とは異なる感覚で、少し言い過ぎの部分もあるように感じた。誤解のないように再度宣言しておくが、自分もヒトラーやナチスを礼讃・礼讃とまで言えなくとも、消極的にでも肯定していると見えるようでも問題性があると感じるし、たとえ本人にそのような意識がなかったとしても、誤解を生む恐れがあるかもしれないとやや過敏なくらいに慎重になって扱うべき事柄だと思っている。それを踏まえた上で読んでもらいたい。

 彼女は記事の冒頭で、

・日本人の中には、ナチスを称賛する人がいたり、ナチスを連想させる「グッズ」を使用する人がいることに驚く。

・「ドイツ刑法典130条」の民衆扇動罪は、ヒトラーやナチスドイツを礼賛したり讃美したりする言動や、ナチス式の敬礼やナチスのシンボルを見せることを禁止している。

・唯一の被爆国である日本は国際社会の一部であり、人種差別撤廃条約に加盟している。ヒトラー礼賛が如何に多くの人を傷つけるかわかるはずだ。

とまず彼女の結論を述べ、その後にその理由を示している。3項目のうち最後の項目には別段異論はないのだが、最初と2つ目には小さな違和感を感じた。

 まずは最初の項目について。日本人の中にナチスを礼讃する人がいることに筆者が驚くことは当然だろう。日本人である自分もそんな人がいれば、間違いなく強く反論したくなる。しかし自分が気になるのは「ナチスを連想させるグッズを使用する人がいることに驚く」という部分だ。確かにネオナチのファッションなどは日本人にとって、どこかパンクロック的に見えてしまう部分もあり、無頓着に鍵十字やSSのエンブレムを模したデザインを身につける者が一部にいる。自分の高校時代の同級生にも政治的な意識はないのだろうが、ファッション的にそのようなことをする者がいた。確かにそんなことはドイツだけでなく欧米諸国では絶対にあり得ないことだと思うし、日本でも控えるべきことだとろう。前段で上げた事例で言えば、アイドルグループの件や風刺Tシャツの件がこれに該当する案件だろう。アイドルグループの件は確実に無頓着にナチスの制服的なデザインを強く取り入れており、全面的に非難を浴びても仕方がないことだと思う。しかし風刺Tシャツの件に関しては、配慮が足りなかったとは思うものの、絶対着用するべきでないデザインだとまでは感じられなかった。
 ヘフェリンさんは「ナチスを連想させるグッズ」と書いているが、正確には”ナチスやヒトラーを礼讃していると連想させる”のが不味いのであって、”ナチスを連想させる”ことだけでは必ずしも不適切とは言えないのではないか。何故なら、ナチスやヒトラーを連想するものはそこらじゅうに溢れている。最もポピュラーなものを上げれば、自分はフォードの自動車からヒトラーを連想する。何故なら創業者のヘンリー=フォードはヒトラーを支持していた反ユダヤ主義者という一面を持っていたからだ。同じような理由でナチスに接近することで生き残りを図ろうとしたココ=シャネルのブランド・シャネル、ナチスの親衛隊の制服のデザイナー・ヒューゴ=ボスの名を冠するブランドからも自分はナチスを連想する。しかしこれらは現在欧米でも「ナチスを連想させる」として強く批判・非難されることはない。それは現在これらのブランドがナチスを礼讃していない事が明らかであると認識されているからだろう。
 話を風刺Tシャツに戻そう。あのTシャツを着用した本人は、平和を祈願するという意味が込められた風刺デザインだとしている。しかし傍から見てあのデザインに嫌悪感を抱く人が居ることも理解できる。個人的には、その理由の大きな部分に着ていた実業家兼タレントの、傍若無人なイメージが強いキャラクター性があると思う。ハッキリ言ってそれでは単なる個人攻撃でしかないので、誰もそんなことは言わないが、あのTシャツが不適切に思える理由の1つには確実になっているだろう。それは別としても、ヒトラーがNo Warと言っているように見えるデザインは、人によっては、ポーランドに侵攻して戦争を始め、ヨーロッパ各地で現地住民を虐殺し、何百万人という単位でユダヤ人らを処刑したが、実際はヒトラーは平和主義者だったというメッセージに見えるかもしれないとも思え、例えば出演した番組の中で、着用していたTシャツに関して、彼がどんな思いで着用しているのかを説明するような事があれば、特に問題ではなかったのかもしれないが、そうではなかったので問題視されたと自分は考えている。
 しかし逆に言えば、そのような説明があったなら着用には問題がないとも考えるため、ヘフェリンさんが主張する「ナチスを連想させるグッズの使用」自体に驚くというのは、当事者的な意識があり、当然日本よりそのようなことに過敏なドイツや被害を受けたヨーロッパ諸国では妥当な感覚かもしれない。だが、やや心情的にも物理的にも距離のある日本でも同じような過敏さを持つべきだということについては、欧米の感覚を押し付けられているようで少し違和感を感じる。正しくはナチスを連想させることが不適切なのではなく、ナチスへの礼讃を連想させることが不適切、ということだと考える。
 
 2つ目の項目についても、同じような欧米的感覚の押し付けの懸念を感じる。まずドイツ刑法典130条の民衆扇動罪についてだが、その法令を批判したり否定するつもりはなく見習うべき部分もあるのだろうが、あくまでそれはドイツの法令で、そっくりそのまま日本でも同じような法令を作るべきだということにはならないと思う。最も象徴的なのはナチス式敬礼に関してだ。ドイツでは学校などで挙手をする際、日本で一般的な挙手の仕方ではナチス式敬礼を連想させるという理由で、人差し指だけを立てて挙手をする。彼女も流石に日本の教育現場ではナチス式敬礼を小学生の頃からさせているという批判はしていないし、問題視もしていないだろうが、ドイツや欧米の感覚が優先されるべきなら、明らかに日本方式の挙手にナチス礼讃の意図はないのに、その内拡大解釈されて問題視される恐れもあると考える。
 最近外国人観光客の増えている日本では、外国人にも分かりやすい地図記号の改善が度々話題になるが、日本で寺院を表す地図記号・卍(まんじ)が鍵十字を連想させるという理由で、使用を控えるべきだなんて主張も耳にする。鍵十字の方が後から作られたもので、卍は、日本では仏教的な意味を示す記号(文字)としてそれよりもずっと前から使われてきたものだ。欧米では当然用いられる頻度が著しく低かっただろうから、鍵十字に見えてしまうのは仕方がないが、だから使用を控えろというのは欧米の価値観の強制ではないだろうか。強く言えば日本やアジアの文化を否定していると考えられなくもない。
 
 自分はサンドラ=ヘフェリンさんが書いた「ナチス・ヒトラー礼賛が絶対ダメなわけ」という記事には概ね賛同するものの、このような欧米感覚の押し付け的なニュアンスも感じてしまった。何度も言うがナチスやヒトラーを礼讃したり、暗に肯定することにも強い懸念を抱くが、彼女の主張のように、タブー視しすぎることもまた適切ではないと思える。勿論ドイツを始めとしたナチス・ヒトラー・ユダヤ人迫害の加害者・被害者になった国ではより触れ難い問題だろうから、それらの地域でもタブー視することはおかしいなどと言うつもりはない。しかし日本やアジアはナチス・ヒトラー問題に関しては、ユダヤ人の国民も少なく、ある意味第三者的な立場でもある。当事者感覚は何があったのかを知る為にはとても重要だろうが、ニュートラルな視点での認識という意味では第三者の感覚も同様に重要なのではないかと自分は考える。

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