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連帯責任の副作用


 9/22、朝日新聞が「消防士がアダルトビデオ出演、同僚がネットで見て発覚 懲戒処分に」という記事を掲載した。この記事を見て感じることはいくつかあるが、まずこの件が記事化された理由に”アダルトビデオへの出演”ということがあると想像できることについてだ。この件の問題点は公務員の副業規定に違反する点だと感じるが、行った副業が飲食店でのアルバイトなどだったら記事化されただろうか。自分にはされなかったと想像出来る。ということは、アダルトビデオ男優に対する色眼鏡を通した認識が記事の背景にあるとも想像できる。明確ではないが記事化した記者に差別的な認識があるのではないかと懸念してしまう。そうでないなら、他の副業規定違反事案と同じような扱いをするべきではないだろうか。

 
 地方公務員法には「職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない」という規定もあるようで、もしアダルトビデオ出演がそれに該当するというなら、個人的には、それは職業差別に当ると考える。自分はアダルトビデオに出演していたとしても、消防士としての能力には一切関係ないし、停職6ヶ月の懲戒処分を男性消防員が受けることについては適当だとは思えない。しかし一方で、副業禁止規定には違反していることには違いないだろうから、何らかの処分を受けることは仕方がないとも考える。
 記事によると当該の男性消防士だけでなく、彼の上司ら5人にも訓告処分が行われたそうだ。これについて自分は処分が行われる必要があるのか疑問を感じた。部下の起こした不始末が職務中に起きたなら、もしくはその不始末によって法外な悪影響が起こったなら、監督する立場にある人間も何らかの責任を問われても仕方がないように思う。しかし今回の案件は、職務時間とは別のプライベートな時間に起きたことだろうし、果たして上司らがそれを積極的に防ぐことが出来たかと問われたら、それはかなり不可能に近いと思う。そんなことの責任まで問われることが本当に必要だろうか。訓告処分は、言い換えれば注意みたいなもので決して重い処分とは言えないが、訓告も重なれば戒告相当になる場合もあるようで、訓告と言えども処分は避けたいというのが人の心情というものだろう。このような連帯責任的な処分が必要以上に行われれば、不祥事自体を組織的に隠そうとする風潮が生まれることにもつながりかねないと自分は想像する。
 
 福岡県警で警察官が酒気帯び状態でパトカーを運転した恐れがあることが、9/21に発覚し複数メディアがそれについて報道した。NHKによると、朝近くまで酒を飲んでいた警察官が翌日の勤務でパトカーを運転し、同僚がこの警察官が酒臭いことに気が付いた。しかし飲酒検査は行われず、呼気に含まれるアルコールが基準値を超えていたかについては確認していなかったということだ。他のメディアでは当該警察官だけでなく、一緒に飲酒していた同僚や、呼気検査を行わなかった上司らも処分が検討されているようで、警察の身内に甘い体質を指摘しているメディアもある。警察が身内に甘い組織体質だということは、これまでも多数の案件で指摘されており、自分もそのように感じるが、身内に甘い組織体質が醸成される原因には、必要以上に監督責任を重視し連帯責任的に上司が責任を問われることにもあるのだと思う。
 誰でも部下の不始末に自分のキャリアを邪魔されたくないと思うだろうし、それを避ける為に不祥事が起きても揉み消してしまえなんて考える風潮が起こりかねない、本末転倒な事態が警察などにはあるのではないかと考える。特に警察はこのような連帯責任的な懲罰が多いと自分は感じる。このような状況では何時までたっても警察などの不祥事は減らないのではないだろうか。不祥事が減らなければ、自分のように不信を感じる人は増えてしまうだろう。

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