「ロレアル、トランスジェンダーのモデルとの契約解除 その理由に波紋広がる」という見出しの記事をハフポストが9/4に掲載した。記事のさわりを説明すると、化粧品ブランド・ロレアルが「All Worth It(全てに価値がある)」というイギリスでのキャンペーンのモデルに、トランスジェンダーを公言しており、ジャマイカ人の父を持つマンロー・バーグドルフさんを起用していた。彼女が起用された理由の一つには、彼女の持つ前述のようなキャラクターがキャンペーンの趣旨である”多様性の尊重”と合致していたことがあるようだ。しかし彼女が、8/12にアメリカ・バージニア州で起きた白人至上主義者と反対派の衝突で犠牲者が出た事件を受けて、Facebookに”すべての白人が人種差別主義者だ”と投稿したとデイリーメール紙が伝えたそうだ。実際は”すべての白人が人種差別主義者だ”という文言は使用していない様だし、明確にそう述べてもはいない様だが、投稿は確かにそれを示唆するような内容で視点によってはかなり強硬な主張だと思える。ロレアルはこのような状況を勘案し、バーグドルフさんの発言はロレアルの価値観とは大きく異なるとして、彼女を降板させるという処置を行った、というものだった。
まず個人的に大きな違和感を感じるのは、見出しで彼女を”トランスジェンダーのモデル”と表現していることだ。確かにロレアルが多様性を重視し、彼女がジャマイカ人というバックグラウンドを持つことや、トランスジェンダーと公言していることはこの記事が取り上げた事案の中ではある程度重要性のある要素ではある。しかし自分には問題の本質は、彼女の主張・”白人全てに人種差別主義者である疑いがある”ではないだろうか。要するに注目すべきは彼女がトランスジェンダーか否かではなく、彼女の強硬な主張にあると思える。そう考えると、見出しで彼女がトランスジェンダーであることを強調する意味があるとは思えない。決して記者にそんなつもりはないだろうが、このようなトランスジェンダーである事を強調した見出しを見てから記事を読めば、人によっては「トランスジェンダーだからこんな強硬な主張をしている」という偏見を記者は持っているのかもしれないなんて感じる恐れもある。自分は、最近トランスジェンダーへの不当な権利侵害をなくそうという機運が盛り上がっていることがあるので、見出しにその文言を使用し注目を集めようというような記者の下心を感じてしまう。
話を自分がこの事案の本質と捉える彼女の主張に戻す。その主張が適切か不適切か、そこまでハッキリ判断できないとしても望ましいか否かと問われれば、自分は決して望ましいものではないと思う。彼女の主張は、例えばイジメに主体的に関らず、傍観しているだけでもイジメられている者からすればイジメに同調しているように見えるし、何の助けも差し伸べないのでは一緒になってイジメているのと同じだ、という話と同じようなニュアンスなのだろう。そのような意味で、現在のイギリスを始めとした欧米諸国では、差別と明確に断定できないこともあるだろうが、白人というだけで有利に働く、非白人というだけで不利になるような社会制度・状況がまだまだ多いのが実情なのだから、そのような社会に異論を唱えず、白人に有利な状況の恩恵を受けている白人は、白人至上主義や人種差別を明確に主張していなくとも、実質的には無意識・消極的にかもしれないが人種差別に加担している恐れがある、という訴えなのだろうと自分は想像する。
確かに彼女はこれまで理不尽な扱いもしばしば受けてきたのだろうと想像できるので、そう言いたくなることも理解できなくはない。だが、このような強硬な主張をしてしまえば、そして他の非白人がこのような主張に強く賛同してしまうような事態が起これば、最早問題は白人と非白人の単なるマウンティング合戦になってしまい、本来差別的な意識の薄い白人の人々とまで敵対することになりかねないし、結局それではもし白人に有利な状況が解消されても、今度は非白人が白人を排除しようとするなんて事にもなりかねない。それでは問題解決に至らないどころか、現在以上に問題を複雑化・深刻化させるだけだろう。そう考えると彼女の主張は、差別を非難しているのに別の差別を誘発する懸念がある、という矛盾を感じさせる主張に思える。
記事でも実際に彼女を支持し、彼女の起用を取り止めたロレアルをボイコットしようという動きがネット上の一部にあると伝えている。こうなってしまうと彼女は差別を無くす為に主張したが、その所為で価値観の異なる人々の間にある溝を余計に深めてしまってるようにも見える。それではやはり差別の解消は余計に遠のくだろう。
自分の考えを誰もが率直に主張できることはとても素晴らしいことだと思う。そのような意味では彼女が自分の思いを多くの人に伝え、問題提起を行ったことまでは素晴らしいと思う。しかし感情的になり過ぎてしまえば、このような決して望ましいとは思えない結果に繋がり得ることがあるということを、彼女だけでなく、主張を行う誰もが知っておくことは大切なことだろう。