人気漫画を週刊誌が発売される前に入手しインターネット上に公開する行為、所謂ネタバレサイトと呼ばれるサイトに掲載してアクセスを集める手法で、多額の広告収入を得ることにかかわっていた複数の男女が摘発されたことを複数のメディアが報じている。無断で他人の著作物を広く公開すること自体が明らかに著作権法に抵触するグレーでもなんでもない真っ黒な行為であり、似たようなことはこれまでもあったが、今回は掲載誌の発売前に先取りして無断公開していたという点が注目を集め、大きな話題になっている。主にネット上などで、スポーツの結果やストーリーなどの詳細に触れることをネタバレなどと呼び、例えばスポーツをリアルタイムで観戦できなかったが、放送を録画してそれを楽しみにしている人や、公開された映画などをまだ見ておらず楽しみにしている人などは、楽しみを奪われるなどとしてネタバレ行為を嫌悪する風潮が一部にある。今回の件で話題になっているのはどちらかと言えば、他人の著作物の無断使用より所謂ネタバレについての方のように思う。
まずネタバレよりも何よりも、他人の著作物を無断で利用するような行為でもアクセスさえ集められれば、莫大な広告収入が得られてしまう現在の状況にも大きな問題があるのだろうと感じる。これは昨年来問題視されているフェイクニュースとも同種の問題だと思う。勿論、かの大統領が一方的に一部のメディアをフェイクニュース認定しているのはまた別の話で、所謂フェイクニュースと呼ばれるような正しくない情報だろうが、悪意のある情報だろうが、アクセスさえ集めれば収入に繋がる状況は決して好ましい状況とは言えない。フェイクニュースをばら撒く人の中には政治的な動機で行う人も居るが、金銭的な動機で行っている人も多いという事が明らかになっている。今回報じられたネタバレサイトも一部の報道によれば数億円単位の収入を集めていたらしい。直接的には共犯ではないが、広告システムを提供していた会社は実質的には犯罪を助長しているとも言えそうだ。広告会社も広告を仲介したことで利益を得ているのだろうから、実質的には緩やかな共犯であるとさえ考えられると個人的には思う。ネットが普及し始めて既に20年だが、まだ20年とも考えられる。自動車だって普及が始まってから安全対策が本格的に進み始めるまで相当時間がかかったし、ネット社会はまだまだ過渡期であるとも思えるが、そろそろこのような社会へ悪影響を及ぼしかねない構造は何とかしなければならないのではないだろうか。
そして、ネット上で様々な意見が飛び交っているネタバレについてだが、自分が小学生の頃、まだネットなどない頃の話だが、ドラゴンクエストなどの人気ゲームの攻略本が問題になったことがあった。ゲーム制作会社に話を通さずにある出版社がゲームの進め方を最後まで載せ、最後のボスの画像まで掲載した攻略本を発売したが、ゲーム会社がゲームの面白さを損なうとして攻略本の販売差し止めを求めた。裁判があったのか、示談で済んだのかは良く覚えていないが、その後攻略本はゲーム制作会社に話を通して発売されるようになり、ゲーム発売から少なくとも1ヶ月、おおよそ大体数ヶ月の時間を置いてからでないと発売されなくなった。更に90年代中期頃には、ゲーム制作会社が自ら攻略本を作って発売し、その攻略本が出た後に他の出版社が続くというような状況だったと記憶している。
しかしネットが普及し始めるとゲームユーザーと、ネットやネットを閲覧する端末に対して積極的に興味を示すユーザーは大きく重なっていたという背景もあり、ゲームに関する情報というのは、真っ先に紙メディアからネットで個人が発信した情報を閲覧するものという状況に変わった。ゲームに関する出版に関しては出版業界全体よりも先に衰退が始まり、いち早くネットに活動の場を移した会社や最王手とされる一部を除いてほぼ絶滅したような状況だ。要するに情報の流通の場がネット主体になたことで、情報を出す側も受ける側も所謂ネタバレなんてことを気にする人は紙メディアの頃に比べて相当少なくなった。ネットの特性に合わせて、情報を知りたい人は積極的に検索するし、とりあえず自分でゲームに挑戦したい人は積極的にそれらの情報を避けるという認識が一般化したと言ってもいいだろう。
スポーツの結果や公開されたばかりの映画や発売されたばかりの小説などのストーリーに関しても同じことが言えるかと問われれば、自分は概ね同じことが言えると考える。勿論そうではないと考える人を全否定しようとは思わないが、まずスポーツの結果に関しては、ネット普及以前も結果が出ればスポーツニュースでその結果は伝えられていたし、リアルタイムで見られずに録画などで楽しみにしている場合は極力ニュースを見ないとか、日を跨いでしまう場合はスポーツ新聞の見出しを見ないように、コンビニ・キオスクなどでも細心の注意を払うことが必要だった。結局ネットが普及しても状況は本質的には変わらないだろうから同じ対応をする必要がある、という事だと思う。ただ、総合ニュースサイトなどで不意に目にしてしまうこともある為、見出しに最終結果を書かないでもらえれば不慮の事故を防ぐことが出来るのに、と感じたことは何度かある。逆に言えば、そういった配慮の出来るサイトは、そんな理由で敬遠されることがなくなるというメリットもあるように思えるが、スポーツ記事の核心である結果を見出しに掲載することによって、クリックを稼ぐという考え方もあるだろうから、やはり最終的には個人が自己防衛をするしかないと思う。
映画や小説のストーリー等に関しては、冒頭で触れたネタバレサイトのように無断で撮影した映画を公開したり、小説をそのまま掲載するような行為は容認できないというのは言わずもがなだ。また、製作者が内容について極力ネットで公開されたくないと思う場合もあるだろうが、見終えた人や読み終えた人などが、それぞれの感想を述べてお互いにどう感じるかを知る為にはある程度内容に触れるのはごく自然なことだし、そのような受け手同士のコミュニケーションについてもそれぞれの文化の一部だと個人的には考えている為、制限することが望ましいとは思えない。制限するとしても一体どのタイミングまでネットでは一切内容に触れないとするのが適切かは人それぞれ感覚が異なるだろう。極端なことを言えば、例えば竹取物語をまだ読んでいないのに、ネットであらすじを知ってしまってとても残念な気分になった、なんて言う人がいたらどうだろう。多くの人が知りたくないならそんなサイト見るなと言うだろう。ネットでストーリーを知ったことで映画を見るはずだった人が見ないで済ませたり、あらすじを知った人が小説を買わずに済ませたりということを懸念する人もいるだろうが、結局その程度で済ませられる人はその程度の興味しかない人であって、実際は元々お金を払って映画を見るつもりも、本を買って小説を読むつもりもなかった人だと考える。大体そのようなことを指摘するなら図書館なんて存在できないと思う。
このように考えるので、自分は全てのネタバレが不適切だという考え方には賛同できない。所謂ネタバレ、著作物をそのまま無断で公開することはネタバレでもなんでもなく、単なる著作権の侵害であり別の問題とするとしても、スポーツの結果や公開済みの作品の内容に言及するという意味でのネタバレ行為に、自分の楽しみを奪われたくないと考えるなら、積極的にそのような情報を避けるという防衛方法を取るしかないと思う。まだ作品などを楽しんでいない人のことを重視して、全ての情報を規制しようとするのは、自分にはネット普及以前のやや古い感覚のように感じられ、どちらかと言えば現在の状況には適さない考え方のように思う。