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電動アシスト付きベビーカーに関する経産省のリリースについて


 昨日の投稿の中で、電動アシスト付きベビーカーは軽車両に該当する為、車道を通行すること、と経産省が発表したという記事を取り上げた。自分は自動車ジャーナリストの国沢光宏氏の記事を参照し、経産省の役人は庶民感覚に欠けていると批判した。自分が取り上げた記事だけでなく多くのメディアで似たような論調の記事が掲載されているが、そのような論調は適切とは言えないのではないか、と主張する記事をハフポストが、市川衛氏という医療ジャーナリストがYahoo!ニュース個人に投稿した記事を転載する形式で9/13に掲載した。この記事には、経産省が軽車両に該当するとしているのは、全ての電動アシスト付きベビーカーではなく、一部の条件に合致しないタイプのものだけではないのかという見解が示しめされている。市川氏はこの問題の発端になった経産省のニュースリリースの、”照会のあった”電動アシスト付ベビーカーという表現に注目し、経産省は全ての電動アシスト付ベビーカーが軽車両に該当するとは言っていないと考えたようだ。そして実際にそうであるということを経産省に確認したとしている。
 この記事を読んで最初は、昨日の投稿で自分が「経産省の役人は著しく庶民感覚に欠けている」と主張したのは少し言い過ぎだったかもしれないと感じた。しかしこの記事や、経産省のニュースリリースを再度確認してみた結果、昨日の時点で感じていた経産省への不信感は誤解である可能性が強く、昨日の投稿での指摘は適切でないかもしれないかもしれないが、昨日指摘したもう一つの件・プレミアムフライデーの話もあるし、また、電動アシスト付きベビーカーに関する件でも昨日の指摘とは別の点で、やはり庶民感覚の欠如はあるのではないかと思えた。

 
 経産省のニュースリリースは率直に言って、そんなに長い文章ではないので読んでもらえば直ぐに感じるだろうが、決して分かりやすい内容ではない。寧ろ誤解を生みやすい不親切な内容だとさえ思える。ニュースリリースは誰かが照会したこと、言い換えれば質問したことに対しての回答のようだが、どのような照会だったのかについては記載が全くない。その中で”照会のあった”電動アシスト付ベビーカーは軽車両に該当し、車道を通行するべきとしている。確かに市川氏が言うように、このような文面を基にメディアが報道するなら、照会のあった電動アシスト付きベビーカーがどのようなものなのかを確認する必要があったかもしれない。
 しかし、このニュースリリースを閲覧するのは報道関係者やジャーナリストだけではない。一般市民も閲覧出来るようになっている。ならば経産省は照会のあった電動付きベビーカーがどのようなタイプだったのかについて、簡易にでも触れるべきだったのではないだろうか。経産省が発表したニュースリリースには記載がないので、照会を行った者にしかどんなタイプが該当するのか分からず、誤解を生む恐れがあると言える。と言うか、照会を行った者にしか分からないような形式で公にニュースリリースを出す必要性がどこにあるのかよく分からない。照会を行った者にだけ分かればよいのであれば、ニュースリリースを誰もが閲覧可能なWebサイトに掲載する必要はない。照会を行った者に直接回答を送ればよいのではないか。このように考えると、経産省の出したニュースリリースは、余計な指摘をされることを避ける為に、且つ情報公開に消極的と言われない為に、公にニュースリリースは出すが最小限のことしか書かないという、とても不親切で典型的なお役所仕事感覚に溢れているという懸念が感じられる。言い過ぎかもしれないが、情報公開請求に対して黒塗りで提出される、所謂”のり弁”などと揶揄される資料と似たような印象すら感じる。このように考えれば、”全ての電動アシスト付きベビーカーは車道を通るべき”という主張を経産省がしたというのは誤解だったとしても、その誤解が生まれたのは別の意味での庶民感覚の欠如が経産省側にあったからだとも思える。
 
 ”照会された”電動アシスト付きベビーカーがどのようなものだったのかについては、前述のように経産省はこれについて全く説明していない為、想像で考えるしかない。冒頭で取り上げた記事の中で市川氏は独自に、2015年1/27に警視庁交通局が示した「駆動補助機付乳母車の取扱いについて」という資料に注目している。この資料ではどのようなタイプの電動アシスト付きベビーカーがベビーカー(警視庁の資料では”小児用の車”と表現)の範疇に収まるのかについての記述がある。もっと噛み砕いて言えば、歩道を通行できる電動アシスト付きベビーカーの条件が書かれている。その条件はいくつかあるが、市川氏はこれを基に、サイズが大きすぎない、速度が速すぎないなどの条件を満たせば、軽車両と見なされることはないと経産省も考えていると推測し、経産省に問い合わせ、そのような解釈で間違いないと担当者に確認したとしている。
 しかし経産省のニュースリリースには「警視庁の見解を参考にしました」というような旨の注釈などは一切ない。確かに市川氏の言うように、全ての電動アシスト付きベビーカーが軽車両に該当すると経産省が判断したという論調は正しくないかもしれない。しかしどのようなタイプが軽車両に該当しないかについての記述が一切ないのだから、自動車ジャーナリストの国沢氏が示しているような、保育士が複数の園児を連れて散歩をする際に電動アシスト付きベビーカーを使用するなら園児を連れて車道を歩け、と言っているのかもしれないという懸念が示されても仕方がないとも言えないだろうか。もしこれが屁理屈だと言うのなら、同時に、そんなことは察すればわかることだとでも言いたげな、経産省のニュースリリースは言葉足らずだと評することも出来ると思う。

 市川氏は、記事の結論で「リリースを出す・読むことの難しさ」と題し、彼自身も経産省のニュースリリースを読んだ段階では「これは問題だ」と感じたが、誤った理解を広めないために、きちんと根拠を調べ、その重要性を改めて確認した、としている。しかし自分には読みにくく分かり難いリリースを出している経産省にも改善すべき点は大いにあるように思える。市川氏も当初「これは問題だ」と感じたとしている点もその裏付けになると自分は思う。少なくとも一般消費者と向き合っている民間企業ならこんなニュースリリースを出すことはあり得ない。何故ならこんなことで余計な誤解を生めば、確実に企業イメージが悪化し、業績に影響が出るという想定を多くの人が当然のように考えるからだ。
 確かに市川氏が苦言を呈しているのが報道関係者・ジャーナリストだけなら、市川氏のように、不明な点を直接確認し自分の主張の裏付けとする必要があるという主張も理解できる。しかし、経産省のリリースはジャーナリストや報道機関にだけ向けられたものではないのに、市川氏は経産省の分かり難いリリースの問題性には一切触れていない。確かに医療ジャーナリストという肩書きで活動している彼にとっては、厳密にはそのようなことは専門外の分野なのかもしれない。また、現在の誰もがSNSやブログで個人の見解を主張できる状況においてはジャーナリスト以外もそのような能力をみに付ける必要があるとも言えるだろう。しかし、それでもジャーナリストを職業としている人とそうではない人の間には、情報収集に掛けられる時間について大きな差があることも事実だ。だから市川氏がジャーナリストという肩書きを使うならば、経産省のニュースリリースはジャーナリストだけでなく、一般市民に対しても公開されたものなのだから、誰にでも分かりやすいものにするべきだという事に触れて記事を書いた方がより適切だったのではないかと自分は考える。そして、そんなことはないとは十中八九ないとは思うが、彼がもし経産省は概ね間違ったことはしていないと思っているのなら、自分は賛同できない。ただ、彼の記事や結論を見ているとどことなく、「官僚はお役人仕事が当たり前なんだからもっと配慮してあげないといけない」と言っているようにも思えてしまう。

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