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コロンブスデーという名称について


 10月第二月曜日は、1492年10/12にコロンブスによるアメリカ大陸への発見および到着を祝う日として、アメリカでは「Columbus Day」(コロンブスの日)という祝日になっているそうだ。しかし近年、アメリカ先住民目線では、コロンブスのアメリカ大陸到達以降、欧州人による迫害と暴力による征服が始まり、決して祝うべき日ではないとか、祝日だとしても名称を変更するべきだという抗議活動もあるようだ。TBS Newsによると今年も同様の抗議活動が行われたそうだが、今年は8月の白人至上主義者による殺傷事件が起きた事もあり、人種差別をめぐる論争がいっそう過熱しているようだ。州によっては既に「Native American Day 」(ネイティヴ・アメリカンの日)とか、「Discoverers' Day 」(発見者たちの日)などという名称を使用している場合もあるらしい。また、Wikipediaによると、アメリカ合衆国以外のラテンアメリカ諸国でも、様々な名称でコロンブスの日が祝日になっている国があるようだ。

 
 自分がコロンブスを知ったのは、小学生の時に読んだ学校の図書館にあった世界の偉人伝的な本だった。正確な本の名称などまでは覚えていないが、ネガティブなイメージは殆ど描かれていなかったように記憶している。しいて言えば(実際にその時に読んだ本に書かれていたのか、学校の先生か誰かのウンチク話だったかは記憶が曖昧だが)、コロンブスはアメリカだとは知らずに辿り着いただけで、正確にアメリカ大陸を発見したのは、アメリカという名称の基にもなっている、最初に新大陸であることに気が付いたアメリゴ・ベスプッチだなんてネガティブ情報は書かれていたかもしれない。しかし”コロンブスがアメリカ大陸に到達したことによってアメリカ先住民への迫害が始まった”という側面には全く触れられていなかった。そのような負の側面を最初に知ったのは、中学か高校の世界史の授業だったように思う。アメリカ先住民をなぜインディアンと呼んだのかなんてこともその頃に知った話ではないかと思う。

 アメリカ合衆国でコロンブスの日が制定されたのは1907年のコロラド州が初めてらしい。それ以前もこの日を祝う風習は、コロンブスの出身国でもあるイタリア系住民を中心にあったようだ。兎に角この日が祝日になったのは征服者である欧州人・欧州民族の視点によるものだということは間違いない。それを考慮すれば、ネイティブアメリカンや非欧州系の住民などが不快感を感じることも理解できなくはない。ただ、個人的にはコロンブスの日という名称を変える必要性があるかどうかについては懐疑的だ。確かに先住民系の住民にしてみれば祝いたいような日でもないだろうし、コロンブスを偉人として受け止めることも難しいかもしれない。ただコロンブスが西回りで地球を回ることに挑戦しようとしたことは、当時の常識に反するような人類初の偉業だったことは間違いない。そしてコロンブスの到達に負の側面があることは間違いないが、それによって今彼らが居住している国があることも間違いない。
 もし自分がアメリカの非欧州系住民だったらどう思うかを想像してみた。自分だったら名称の変更などは訴えず、人種差別・少数民族への迫害・民族間の分断について考える日に認識を改めようということを訴えるだろう。なぜなら、イタリア系など欧州系住民にしてみれば、コロンブスを全否定されるようなことは決して好ましいと感じられないだろうし、そのようなニュアンスを感じさせるような行為は、結局民族間の溝を深めることに繋がる恐れもあると考えるからだ。だったらコロンブスによって何がもたらされたかということを、良い側面についても悪い側面についても考える日として、ただ単に祝う日からの変化を促す方が効果的なのではないかと思う。
 
 TBS Newsは「先住民を大量に虐殺した人物をたたえるなんてひどい人種差別だ」という、名称を変更するべきと考える人の主張を紹介している。個人的にはこのような意見は過敏すぎる被差別意識で、結局対立を深めるだけでしかないように感じる。当時の価値観が素晴らしいとか正しかったなどとは思わないが、当時の価値観と現在の価値観には大きな隔たりがあることも事実だし、コロンブスの日に、先住民に対する虐殺や迫害を祝おうなんて人は、一部の白人至上主義者は別としても、殆どいないと考える。
 TBS Newsは「コロンブスはアメリカの歴史上とても重要だから、名前をなくすなんて弊害が出ると思う」という名前は残すべき派の主張も掲載している。自分も名称を消したところで大きな変化は起きないと思うし、過去の歴史から考える為にも”祝う日”かどうかは別として残すべきだと思う。名称を残すこと=コロンブスを全面的に称えること、ではないように思う。単なる歴史の事実を示す日と考えればよいと思う。
 
 確かにアメリカには民族差別について深刻な事態もあるのだろうが、あまりにも過敏になり過ぎることには悪い影響もあると思う。昨日の投稿・ダブの広告の件でも触れたように、人種差別に該当するかどうかについては冷静になって適切な判断をすることが重要だと思う。

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