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東名高速追突事故について


 今年・2017年の6月に東名高速道路で起きた追突事故に関して、追突されたワゴン車の進行方向を妨げて、停車させた車の運転手が逮捕された。詳細はハフポストの記事などに書かれているが、端的に言えば、追い越し車線を自分が運転している車で故意にふさぎ、追突されたワゴン車を停車させ、そこにトラックが突っ込む事故を起こすきっかけを作ったことでの逮捕だろう。
 重大な死傷を伴う交通事故の処罰には過失運転致死傷と危険運転致死傷があり、過失運転よりも危険運転の方がより責任が重い。記事に寄れば、過失運転は注意不足・危険運転は危険な行為による事故に適用されるそうだ。逮捕に踏み切った神奈川県警の見解は「危険運転致死傷罪容疑の適用も検討したが、容疑者の妨害行為が事故に直結したわけではないと判断した」ということのようで、過失運転致死傷での処分を検討しているようだ。


 個人的には「容疑者の妨害行為が事故に直結したわけではない」という神奈川県警の判断に強く疑問を感じる。遺族の証言や報道が適当なら、容疑者が追い越し車線に進路を妨害する目的で故意に自分の車を停車させたことが、事故をが起きてしまった最も大きな要因だろうから、事故に直結していると言えると自分は考える。これについては、報道によれば容疑者も概ね認めているようなのに「直結したわけではない」という判断がされているのは不可解だ。また追突してしまったトラック運転手も過失運転致死傷で書類送検されるとTBSなどが報じている。トラック運転手が避けきれずに追突したことで死亡事故が起きているので、何らかの処分が課されるのも仕方がないように思うが、自分にはトラック運転手よりも今回逮捕された容疑者が追い越し車線に故意に停車したことの方により重大な責任があるように思える。そのように考えると2人が同じ罪状であることには疑問を感じてしまう。更に言えば、事故というより事件なのではないかとさえ思えてくる。
 
 ハフポストは別の記事で、この件についてタレントのカンニング竹山さんがフジテレビの番組内で述べた意見を取り上げている。番組では容疑者の知人が「人が死んでいるのに容疑者が笑っていた」と証言したことなども取り上げたようで、竹山さんに「普段から(容疑者に)そういう風な粗暴なところがあったと(思うか)?」と司会者が問いかけると、彼は

あると思いますね。
適正試験もあるんですよ、(運転)免許証ね。なぜ、それパスできているのかって、ここまでの性格の持ち主が。
そこもちょっと問題なのもあるし、あと、車って割り込みの問題とかあるけど、僕なんかいっつも思うのは車を乗っていて、そういう風に煽ったりとか無理矢理割り込んでくるっていうのは、意外とね、ちょっと言い方悪いんですけど、「僕、バカですよ」って自ら手を上げて言っているようなことだと僕は思うんですよ。「社会のルールが守れませんよ、僕」って。


などと述べたそうだ。自分は番組を見たわけではないので詳細なニュアンスは分からないが、記事によると怒った表情で意見を述べたそうなので、他の番組などでも見せるいつものと似たような調子だったんだろうと想像する。

 まず「人が死んでいるのに容疑者が笑っていた」という容疑者の知人の証言を番組が取り上げたことについて、それを取り上げること自体は問題性は低いと思うが、ツイッターでこの件に関するトレンドワードなどで検索すると、そこだけを切り取って容疑者を罵倒するような投稿がとても多く出てきた。確かに反省を感じさせるような態度ではないかもしれないが、容疑者が何について笑っていたのかも良く分からないし、個人的には話が少し過剰になりすぎているように思う。そのような意味では、テレビ番組がそんな風潮を煽るような伝え方をしているのならば、問題があるようにも思う。
 そして竹山さんの発言についてだが、自分が違和感を感じたのは、煽ったり割り込んだりする奴は「僕バカですよ」と宣言しているという話についてだ。確かにマナーの悪いドライバーは決して少なくはなく、運転する機会が多い人はしばしばそのような人に遭遇してしまうだろう。自分も周りを威嚇するような運転態度は、安全運転義務違反に該当する恐れもあるし、決して適切だとは思わない。しかしそれでもこんな感情的な表現を、テレビで声高にするべきではないとも思う。何故なら事故と直接的に関係があるような見解かと言えばややずれていると自分には思えるし、また、煽られるような運転をする側も適切な運転が出来ていないことがしばしばあると感じるからだ。
 
 ここからの話は東名高速の追突事故とは全く別で、自分にはその件の容疑者を擁護するつもりは全くない。彼の行為は割り込みとか煽り行為なんてのとは別次元の話だ。
 自分は仕事などで平日も頻繁に高速道路を利用する。関東全般だが首都高や関越道の東京群馬間などが比較的多い。自分が感じるのは平日と土日休日のドライバーの差だ。平日に走っているドライバーは仕事や通勤で日常的に走っているドライバーが多いからか、追い越し車線を不必要に走らないドライバーが多いが、休日になると不要に追い越し車線を走るドライバーが途端に増える。要するに平日のドライバーは追い越し車線など通行帯を状況に応じて適切に選ぶ傾向が強いが、休日は運転に慣れていない所為か「どの車線を走ろうが自由」と考えているとしか思えないようなドライバーが急に増える印象がある。100km/h制限のところ、80km/hで追い越し車線を不必要に走っているドライバーなども見かけることがある。追い越し車線とは自由に走ってよい車線ではなく、基本的に追い越しの際のみ走行ができる車線だ。そして追い越しは基本的に右側から行わなければならない為、追い越し車線をゆっくり不必要に走られると、追い越しが出来ずにその後ろに小さな渋滞が起きるなんてことも、2車線区間などでは特によくある。実際に通行帯違反の取り締まりも行われており、左側の走行車線が空いているのに追い越し車線を数キロ以上不必要に走っていると違反切符を切られることもある。これらは誰もが免許取得の際に学んでいるはずのことで、免許を持っているなら知っていることが前提の話だ。
 
 何が言いたいのかと言えば、煽る行為も安全義務違反ではあるが、場合によっては煽られている側が通行帯違反で走行しているにも関らず、頑なに走行車線に戻ろうとしない場合もあるのだから、竹山さんの表現を借りれば、そのような場合は煽られている側も煽る側と同様にバカだということになると自分は思う。
 勿論追い越し車線ではない走行車線で執拗に嫌がらせのような運転をしたり、追い越し車線走行中でも走行車線に進路変更し難い交通量がある状態で、後ろから煽るような行為は確実に適切ではないだろう。しかし個人的には行為自体は適切ではないとは感じるものの、煽る側の気持ちが分からないでもない場合もあったりする。先を急いでいるわけでなくても誰でも円滑な走行を望んでいるだろうし、適切な走行車線を守らないドライバーによってそれが阻害されたら、モヤモヤしたりイライラしてしまうのではないだろうか。そんな不快な気分は事故に繋がる恐れを高めてしまうので、多くの人がそう感じなくて済むように、前段のような追い越し車線などの通行帯の利用ルールが決められていると自分は考える。

 要するに竹山さんの主張は言語道断とか完全な間違いではないものの、やや乱暴な話なのに、悲惨な死亡事故と誰もが嫌悪感を抱いてしまうようなその容疑者に結びつけて語られることで、それが見え難くなっていることに懸念を感じる。個人的には前述の「容疑者が笑っていた」という証言への反応と同じような過剰反応を誘発する恐れのある話のように思う。
 確かに東名高速の事件については自分も理不尽さを感じるのは前述の通りだが、竹山さんや彼の出演していた番組は感情的になりすぎているように思えてしまう。決して影響力の少なくない地上波キー局番組であることを考えれば、もう少し冷静さを備えた番組制作をして欲しいと感じる。

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