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政治参加に関する意識の差


 BuzzFeed Japanが掲載した、選挙情報サイト・JAPAN CHOICEに関する記事が興味深い。記事はサイトを運営する団体が活動を始めた経緯などについて、運営者にインタビューする形式で紹介している。サイトでは地図をクリックして選べる小選挙区の候補者比較や、経済や社会福祉策など争点別での政党比較、20問の質問に答える形式で考えが近い政党を紹介するコンテンツなどを掲載している。取り組み自体はとても投票先を選ぶ上で参考になるもので、活動は素晴らしいと思う。しかし個人的には、運営者の考えには違和感を感じる。

 
 運営者は学生時代から、同世代に「投票を呼びかけてきた」そうだが、2016年の米大統領選でその考えが変わったそうだ。サイトでは「投票に行こう」という文言は意識して使わないようにしているそうだ。その理由は、

投票を呼びかけるだけでは限界があるし、何より無責任だなと思った

からだそうだ。記事によると、彼は2016年の米大統領選で各陣営の選挙戦を観察し、政治家自らや、メディアが積極的に情報を公開している点が日本のそれと大きく異なる点だと感じたそうだ。その時に、

そうか、有権者は頑張らなくてもいいんだな

と思ったそうだ。そして彼は「毎日情報を追いかけるほど、今の人はヒマじゃない」とも言っている。日本で”投票に行こう”と啓発活動をしていることにアドバイスを、アメリカで求めると「ただ投票を促すのはおかしい、投票する側の意識に甘えるな」と言われ、自分がこれまで行っていた活動は無責任だったと反省したらしい。さらに彼は、

政治に興味を持て、勉強しろ、理解しろ、ってしんどいじゃないじゃないですか、そもそも頑張りたくない人が大多数なんですよ。2017年にもなって、なぜ政治だけは一生懸命勉強して”意識高く”いないと判断すら許されないんでしょうか?

求める情報に楽にアクセスできるようになったら、私たちはもっと合理的に意思決定できるはず。それはきっと、民主主義の前身につながると思うんです。

とも述べ、その台詞で記事は締めくくられている。

 まず、彼(ら)が各勢力・各政治家についての情報を分かりやすくまとめていることはとても素晴らしいと思うし、民主主義の前進に大きく貢献する活動だと思う。しかし、投票を呼びかけるだけでは無責任だと言うのならば、投票に行かなかったり、投票先を決める為の情報収集を行わないような、参政権を放棄する行為の方がよっぽど無責任だと自分は感じる。”無責任”という単語に感じる印象の差かもしれないとも思えるものの、「単に投票を呼びかけるだけでは無責任」という表現に自分は大きな違和感を感じる。
 それは選挙に関する情報の提供に関する話にも繋がる要素だ。確かに本音と建前をあからさまに使い分け、分かり難い話をする政治家や、放送法に定められた中立性を重視するあまり、中身が充実していない報道を行うテレビ局や、他のメディアでもそれに準じた情報しか伝えられない状況が少なからずある事は事実で、彼らのサイト・JAPAN CHOICEのような活動の必要性は高い。彼らの活動は確実に素晴らしいが、自分は彼らのコンセプト「投票前に10分だけ目を通せば投票先を選べる」サイトというのには強烈に拒否感を覚える。何故なら、まず政治団体や政治家が、掲げた公約を確実に実行するという保証はどこにもない。そしてどんなに中立性を重視しようが、人間が作る情報サイトである限り完全な公平性が実現できるなんてことはありえない。ということは、適切に投票先を選ぶのに、投票前に1つのサイトを10分見ただけで充分な情報を集められるなんてのは、絶対に実現しない理想論でしかないと思える。少なくとも複数のサイトを見て投票先を決めるくらいの努力は、有権者が最低限するべきことなのではないだろうか。
 そのような意味でも「単に投票を呼びかけるだけでは無責任」という表現に違和感を感じる。投票を呼びかけるだけでなく、投票先を選ぶ為の情報提供もするべきだというところまでは同意できるが、彼らは、自分達のサイトを10分眺めれば選挙に関する情報収集は充分だという主張をしているようで、それこそ無責任を通り越して、危険な考え方のように見えてしまう。彼らが提供する情報が万人にとって適切で公平で有益だとは限らない。
 今後政治に興味を持つきっかけ・入り口として、彼らがサイトを用意したと言うなら話は分かるのだが、彼は大多数の人は政治に関して興味を持つヒマなんてないという旨の主張もしており、それがこの結論のような印象を強く感じる要因にもなっている。
 
 確かに自分も、選挙や政治に関して興味を持っている人が、上から目線であまり興味のない人を批判しているのを見ると「誰もがあなたのような政治オタクじゃない」と言いたくなることがある。しかし一方で、政治に全く興味のない人に対して「税金払っているのに無駄遣いされて平気なのか?」と苦言を呈したくなることもある。
 「政治に興味を持て、勉強しろ、理解しろってしんどい」という主張には、それでは政治を趣味か何かと同列に思っているようで全く同意できない。自分は政治とは食事と同じようなものだと思っている。食事に対して興味が高く、食べるものを吟味する人もいれば、あまり食べることには興味がなく、食べられさえすれば何でもいいという人もいる。しかし食べることに興味がないから食べるのを止めましたなんて人はいない。興味が高かろうが低かろうが何かしらを口に入れなければ死んでしまう。
 政治に関しても興味が高い人、低い人がいて当然だとは思う。しかし興味が低かろうが、選挙で政治家を選ぶことは自分の住んでいる国・地域の行く末を変える可能性があるし、それについて悪い結果を及ぼす恐れもある。例えば、もし現在の政権が間違った行いをしようとしているのに、投票を棄権するということは、消極的にだが、その政権が間違った行いをすることに加担することと同じだ。自分が投票しなかったことが、大変な社会変革の引鉄になってしまう恐れもあるのに、政治に興味を持てなんて言われてもしんどいだけ、なんて呑気なことが言えるだろうか。そんな風に考えれば、政治は食事と同じぐらい我々の日々の生活に密着したもので、選挙権を行使しないなんてのは、食事に興味がないからこれから一切食べるの止めるというのと同じような話に聞こえる。要するに興味が低くても最低限死なない程度に食べるのと同様に、政治についても最低限の興味を持つのは当然のことだと思う。
 現在の日本社会では考えられないかもしれないが、権利を行使しない人が増えれば、権力がそんな権利は必要ないと解釈し、権利を消滅させてしまう恐れもある。参政権・投票して指導者を選ぶ権利なんてのはその最たるものだろう。今ある権利や社会の仕組みは当たり前のものではなく、自分たちの曽祖父やその前の世代の努力によって確立されたものだし、私達一人ひとりがそれらがこれからも維持されるように努力する必要性のあるものだ。
 
 最後に再度言っておくが、JAPAN CHICEのようなサイトを作ることはとても素晴らしい。しかし政治に興味を持てなんてのは多くの人にとってしんどいし、だから10分見れば投票先を充分判断できるサイトを作るなんて考え方は、自分の考え方が絶対的に正しいなんて言うつもりは毛頭ないが、民主主義の適切な発展に効果的だとは全く思えず、寧ろ後退にさせる恐れがあるとすら思えてしまう。

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