「性暴力とセックスはどう違う? 性的同意について私たちが知っておくべきこと」という記事をハフポストが掲載している。セクシュアル・コンセント(性的同意)の教材をつくって大学生の性被害をなくしたい!という活動に取り組む女性にインタビューする形式で、このプロジェクトの目的や日本の性教育の課題、海外の取り組みなどについて書かれている。記事の内容はある意味ではごく当然で何か目新しいことがあるわけではない。しかしそんな当然のことが理解されていなかったり、守られず性的な被害を受ける人がいるという状況は確実にあるので、こうした問題提起は確実に必要だと自分も思う。
性に関する問題をちゃんと直視しようという啓発活動はとても素晴らしいし、もっと広がるべきだと自分もも思う。しかし、何事もカウンター的に逆方向に振れ過ぎることはある。例えばこのBuzzFeed Japanの記事のように。
フォーエバー21 ナチス想起のTシャツ販売→物議→謝罪
フォーエバー21のシャツのデザインがナチスのプロパガンダではないか、という懸念について書かれた記事で、そのような懸念を抱く人がいてもおかしくはないだろうが、自分にはこじつけに見える。リンク先を見てもらえば分かるだろうが、問題になっているデザインの一体何がナチス礼讃なのか疑問だ。これでは88や稲妻のモチーフは未来永劫誰も使えなくなってしまうのではないだろうか。過敏すぎる反応としか思えない。
冒頭で紹介した記事の中にも気になる点はいくつかある。その一つは、
>学校だけでなく、家での性教育も乏しいと思います。性をタブー視し、子どもときちんと話したことがないという親は多いと思います。結果、子どもが健全な性との向き合い方を学べる場がほとんどありません。
その代わりに、レイプまがいなアダルトビデオ(AV)や暴力的な愛情表現を美化するような作品など、ネット上には誤った情報が多く出回っており、それらが実質的な教科書となっています。
という記述だ。性教育が日本の社会で圧倒的に足りないことに関しては、自分もその通りで改善しなくてはならないことだと思う。そんな状況下でファンタジーであるアダルトビデオなどの表現を現実的と受け止め、そっくりそのまま真似しようとしてしまう人が一部でいることも決して間違っていない。しかしそれでも「それらが実質的に教科書となっています」は言い過ぎではないのか。
そんなことを言い出したら、戦争映画、暴力表現のあるドラマ、犯罪を題材にした小説、ドラッグに関するドキュメンタリーなどが多く公開され、どの作品でもそれらの行為が全面肯定されていなかったとしても、受けて側が行為だけに注目し、影響を受けることは少なからずあるし、似たような犯罪が数え切れないくらい起こり、後を経たないことを考えれば、それらの作品だって「それらが実質的に(犯罪)の教科書となっています」と言えてしまう。特に報道番組によって模倣犯が出る場合などは多々ある。報道番組は犯罪の教科書なのだろうか。
アダルトビデオなどは悪い影響だけでなく、現実で行えば犯罪になってしまう行為を疑似体験させ抑制するというような、必要悪的な存在でもあるという話もある。自分は専門家ではないので一体どちらの影響の方が強いのかについて詳しい情報を持たないが、評価を受けている文学作品やアダルトコンテンツではない映画の中にも、レイプのような性犯罪に関する場面描写はいくつもあり、臭いものに蓋をするようにアダルトコンテンツだけを規制すればよいというものではないと感じる。勿論、記事では”だから教育が重要だ”という文脈なのだと自分は思うが、読み手によっては、”だからアダルト表現は厳しく規制するべきだ”と主張していると感じる人も決して少なくないだろう。もう少しそんな点にも配慮した表現が必要ではないだろうか。