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大人の言葉遣い・振舞いは子どもに…


 ツイッターなどSNSで暴言・罵倒・過剰すぎる嫌味などネガティブな主張をよく目にする。議論をする上で、意見が異なる人の主張を批判することは全く問題ないことだが、あからさまに人を馬鹿にするような、もしくは感情的な態度でそれに臨むことは確実に好ましいと言えない。暴言と批判は分けて考えるべきだ。自分はそのような傍若無人で独りよがりな投稿を目にすると自己顕示欲の強い若年層を想像するが、一概にそうとも言えないようだ。
 維新が今度の選挙で議席を減らしたことなどを理由に、同党の丸山議員が松井代表の責任を問い、代表選が必要なのではないかと批判する旨のツイートをしたことに対して、維新の元代表・橋本徹氏が、
 
維新国会議員にも丸山という口のきき方も知らない若造が勘違いしてきた。国会議員は永田町病にすぐかかる。丸山も自分の力で当選したと錯覚している。お前が勝てたのは松井さんが知事をやっているからだ。ボケ!代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ!こいつには一度注意したのにあかんな。

などと、かなり高圧的なツイートで応戦している。彼は大阪府知事・市長時代からかなり感情的な言動が目立つ人柄を隠そうともしていなかった。場合によっては、それが裏表のない人として肯定的に受け止められることもあったかもしれない。しかし自分には、彼の態度、特に今回の態度は驕り高ぶっているだけにしか見えない。


 自分は維新の内情には全く詳しくないし、丸山氏がどんな人柄でこれまで橋本氏とどのような関係だったのかもよく知らない。だから橋本氏の言う”丸山氏が当選したのは松井知事のおかげ”という見解が適切か不適切か、パッと見れば不適切な見解のようでもあるが、厳密にはどうなのかは判断できない。
 しかし、橋本氏の反論ツイートは明らかに自分のことを棚に上げている。丸山氏を「口のきき方も知らない若造」としているが、彼のツイートを見ると口のきき方を知らないのは自分には橋本氏本人にしか思えない。「ボケ!代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ!」も同様で、ボケ!を繰り返す彼の態度が更にそうであることを強調している。もっと根本的なことを指摘すれば、「維新国会議員にも丸山という口のきき方も知らない若造が勘違いしてきた。」という最初の文章が、日本語的に違和感のある文章である事が、彼が冷静さを欠いていることを如実に物語っている。更に、

丸山のボケも含む『大阪』の日本維新の会国会議員が何故当選できるか。それは大阪府政市政が大阪では報道され、そして実際府民市民が府政市政の前進を感じているからだ

などともツイートし、罵倒を続けている。日本維新の議員が当選出来る理由の全ては自分や松井知事が行った大阪府政市政があるからで、彼らには全く信頼も能力もないとでも言いたげな発言で、自分には単なる驕りでしかないように見えてしまう。橋本氏は厳密には維新とはある程度距離を置く立場で今は直接的な関係者ではないが、彼が松井代表や維新に小さくない影響力を持っており、今でも維新=橋本氏の作った政党というイメージを持つ人の方が多いだろうから、彼が擁護しているであろう松井代表にしてみれば、いい迷惑でしかないのではないだろうか。ただ、この騒動で維新の顧問を辞めると述べた橋本氏を松井代表が引きとめようとしていることを考えれば、彼にとっては大して迷惑ではなかったのかもしれない。あくまで個人的な印象ではあるが、松井氏も橋本氏ほどではないにせよ、度々他人を馬鹿にするような発言をしているので、実際は彼も橋本氏と同じ穴の狢なのかもしれないとも想像する。他にも国会でアホ・バカなどという発言を行い、指摘を受けても悪びれない議員もいたし、代表に2人続けてこのような人物が就く維新では、このような空気が当たり前の空気として蔓延しているようにも思える。

 維新内部の状況とは関係なく、大阪府知事・市長を経験し、しかも弁護士という肩書きも持ち、キー局で社会問題・政治などがテーマの冠番組を持つような立場の人物の発言として、こんな傍若無人な暴言だらけの主張が適切だとは全く思えない。橋本氏はその経歴などから自分が社会に与える影響は少なくないということをもっと理解するべきだ。彼のツイッターでの態度を見て「あ、暴言も充分に適切な自己表現なんだ」と思う未成年者は少なくないだろうし、未成年だけでなく親世代が影響を受け、間接的に未成年者へその影響が及ぶ恐れもあるだろう。
 確かに彼が強く自己主張出来る人物であること、彼の意思を貫く姿勢は評価できることかもしれないが、それを実現する為の表現能力には問題があると言わざるを得ない。彼のような驕り高ぶった態度で暴言を吐く所謂有識者と言われるような人は他にも複数いるが彼らも同様だ。
 たかが言葉選びだとか言葉狩りだなどとして、大したことではないと言う人もいるかもしれないが、されど言葉選びとも言えるわけで、他人とのコミュニケーションの大部分は言葉が占める。言葉選びはコミュニケーションを円滑に行う上で欠かせない能力の一つだ。映画や漫画・ドラマなどの暴力的な表現などの影響が取り沙汰されることが多いが、実在の人物が現実社会で必要以上に暴力的な発言を行い高圧的な態度をとることは、それら以上に影響力が強いと自分には思える。分別が充分でない若者がそんな影響を受ければ、イジメなどを助長する恐れもある。そんな意味でも大人は振舞い・言動に注意を払う必要があるように思う。

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