校則を理由に茶色い髪を黒く染めるように教員から何度も指導された大阪府立高の女子高生が、精神的な苦痛を受けたとして大阪府を相手に訴訟を起こしたことを複数のメディアが報じている。朝日新聞の記事によると、母親が入学時に女子高生の髪が茶色いのは生まれつきだと学校側に説明したにもかかわらず髪染めをするようにという指導が行われ、生徒は仕方なく応じていたが色が戻る度に染め直させられ、2年生の時には髪の色を理由に授業への出席を禁じられ、修学旅行への参加も認められず、その後不登校になっているそうだ。しかも教員らは
生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めさせることになる
などと述べていたそうだ。この発言が事実なら、時代錯誤も甚だしく、教育の一環だったなんて言い訳は一切通用しないように自分は考える。
この女子高生が生まれつき茶色い髪だったのか、そうではなく茶色い髪を維持する為に脱色を行っていたのかについては今のところ定かでない。そして高校生であれば通っている学校の校則に従う必要は確実にある。しかし、髪の色というのはそんなに黒に拘らなければならないようなものなのだろうか。確かに日本では日本民族が住民の圧倒的な多数で、日本国外にルーツを持つ住民もその殆どは朝鮮・中国など日本人と殆ど外見的な違いのない東アジアの民族だ。だから肌の色も目の色も髪の色も大多数の人はほぼ同じ色だ。しかしそれでも数十年前に比べれば、その他の民族にルーツを持つ人々は確実に増えているし、日本を訪れる外国人も確実に増えている。そんな社会情勢でもあるのに、校則だからという根拠だけで「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めさせることになる」なんて発言を行う人に教員の適正があるとは到底思えない。この発言を生徒が同級生に行えば確実にイジメの範疇に入ると判断できるし、会社の社則にこんなルールがあればその会社は人種差別を確実に疑われることになる。人の肌の色や目の色髪の色を理由に入学・入社の判断を行えば人種差別・民族差別を指摘されかねないということと同じだ。要するにこの大阪府立高では差別を助長していると言われても言い訳出来ない状況だろう。それとも「自分ではどうすることも出来ない理不尽なことが社会には沢山ある」ということを教えたかったとでも言うのだろうか。
個人的には「ルールだから」とか「学生らしくないから」なんて曖昧な根拠でしか説明ができないような校則を作るべきではないと考える。ルールを守るべき根拠がルールだからでは完全に本末転倒だし、学生らしさとは一体誰が考える学生らしさなのだろうか。多数派に同化することが学生らしさでは決してない。学校を卒業後、社会に出た時にきちんとした身なりが出来ないと困るだろう、という考え方もあるだろうから、髪の色をいじるなとか制服を正しく着用しろという校則が全て不適切だとは言わない。しかしこのルールが原因で授業への出席や修学旅行への参加を認めないなんてのは、ルールの本旨を大きく逸脱しているとしか思えない。勿論一人に例外を認めれば他の生徒にも影響が波及するという懸念も分からなくはないが、それと一人の生徒の精神的苦痛を天秤にかけ、その生徒の犠牲は仕方ないなんて自分にはとても言えない。はっきり言って”ルールの為のルール”になってしまっている。
確かに十代はいろいろなものに影響を受けやすい年頃だろうから、服装や身なりに対するルールが緩ければ、今より奇抜な格好をする生徒は増えるだろう。しかしそれの何がいけないのか不思議だ。現在多くの高校に制服が存在し、多くの大学には制服は存在しない。しかし大学に進学した人が、制服がないことで就職に困ったとか、社会に出てから適切な服装が出来ずに困ったなんて話は聞いたことがない。大学への進学率は昔より確実に高くなっていて以前より多様な人が大学生になっているのだから、そんな問題が少しでもあるなら少なからず話題に上るはずだ。そうならないのは、大学時代に奇抜な格好をしていても多くの人は社会に出れば相応に服装・外見を整えられるからだろう。逆に暴走族やヤンキーと呼ばれるような、高校生活を校則なんてクソ食らえ的な態度で過ごした人の中にも、卒業後社会に適応し成功を収める人がいないわけではない。そう考えれば服装・外見に関する校則の”一方的な押し付け”が必要な確固たる根拠があるとは思えない。
しかし社会に出る前にある程度社会の一般的な規範を学ぶ必要もあるだろうから、服装や外見に関する教育が全く必要ないとは言わない。ただそれは今のようにルールだからと押し付けるような方法で実現するべきではない。だからやっぱり校則だからという理由だけで服装・外見を強く縛る必要はないと思う。各家庭で親の見解にも差があり、今回の件では親も生徒の髪色に関して問題はないと言っているのに、学校がそれを否定するというおかしな構図になっている。明らかに画一的な型に生徒を嵌めこんで”管理”しようとしているだけのように自分には見えてしまう。親や生徒が自ら望んで入るようなタイプの私立校ならまだしも、公立校でそんな教育方法が適切と言えるだろうか。
一方でイジメは良くない。他人に寛容にならなければならないと言いながら、こんなに寛容性がない教育が一体何時まで日本では続けられるのだろうか。イジメは良くないといいながら教員が率先してイジメを行っているように自分には見えてしまうが、大阪府・教育委員会・学校・教員はどのように受け止めているのだろうか。