MLB・ワールドシリーズ第3戦でドジャースのダルビッシュ選手が登板した。対戦相手はアストロズ。アストロズには横浜でプレーしていたこともあるグリエル選手が所属し、5番でスタメン出場していた。試合ではそのグリエル選手がダルビッシュ選手から先制ホームランを打ったが、その際に彼が両目尻を引っ張るしぐさをした為これが話題になっている。
両目尻を引っ張るジェスチャーは目が細いことが特徴の一つであるアジア人、主に東アジア人を揶揄するしぐさという認識が一部にある。そしてこの件に限らず、スポーツ選手など露出の多い立場の、特に欧米人がこのしぐさを行って問題視されるという案件はしばしば話題に上がる。自分は今回の件をハフポストの記事で知ったが、その記事も差別を懸念するような論調で書かれているし、記事によればダルビッシュ投手も「彼のジェスチャーは失礼にあたる。彼は間違いを犯した。彼はここから学ぶでしょう。私たちはみな人間だ」とコメントしたそうだ。
自分が日本に住んでいて欧米での生活経験がないからかもしれないが、個人的にはこのジェスチャーが問題視するほどの差別的行為なのかに疑問を感じる。勿論差別的な文言と併用するなどの方法でこのジェスチャーが用いられれば明らかに問題性のある行為だろうし、アジア人が少数派の社会であれば、このジェスチャーが多数派による無言の圧力に感じられるかもしれないとも想像する。しかしそれでも自分にはダルビッシュ選手が言うような「間違った行為」とまで明確に言えるのかには疑問を感じる。決して不快感を一切表明するなと言うつもりはないし、自分だってこの行為がユーモア溢れる行為には全く見えない。だが、目くじらを立てすぎるのもどうかと思う。
ハフポストの記事は事の顛末を示しただけで、明確な差別だとも、そうではないとも言っていないし、記事化すること自体には何も問題はないのだが、一方で些細なことで差別の懸念を盛り上げようとしているようにも見えてしまうので、個人的には素晴らしい記事だとも思えない。グリエル選手がアジア人に対する差別的な明確な意思表示をしていないのなら、子供じみたジェスチャーなど無視で済ませたほうが建設的だと感じる。
このジェスチャーが差別的かどうか、”目が細い”という東アジア系の特徴への指摘が差別に該当するかどうかという話についてだが、日本社会のイジメに対する考え方で言えば、その行為に他に適切な必要性があるとは言えず、且つ受け手が嫌がる行為であれば、問題であると言えるのだろう。しかし別の目線で考えれば、受けて側に細い目に対する否定的な意識があるからこそ差別であるという認識が生まれるとも思える。
明治以前・近代以前の日本や中国の絵画を見ていると、美人と言われる人の絵、それ以前は写真がないので絵などで当時の美意識を判断するしかないが、その殆どは切れ長の細い目をしていると自分は思う。現在カワイイと形容されるようなパッチリとした大きな目が美の象徴として描かれた絵などを自分は見た記憶がない。美術の専門家でもないので、単なる個人的な先入観に過ぎないのかもしれないが、細い目は元来、日本や東アジアでは美の特徴の一つだったように思う。しかし近代以降、欧米文化が大量に持ち込まれた頃、特に欧米人による風刺画などで日本人や中国人などを出っ歯・細目でいやらしい雰囲気に描かれた事、そしてあのジェスチャーがその延長線上にあるという受け止めで、細い目への指摘=差別という認識が生まれているのだろう。
何が言いたいのかと言えば、我々自身が欧米>アジアという劣等感を持っている、言い換えれば欧米的な価値観に支配されている、彼らの美意識が我々の美意識より優れていると無意識に認識しているから、”細い目”に関するネガティブな感情が生まれ、それに対する指摘は差別だという意識が生じるような側面もあるのではないかと考える。私たちがアジア人の特徴である細い目=美しさの象徴という強い意識を持っていれば、両目を引っ張る欧米人のしぐさは羨望感の表明だとも思えるのではないだろうか。そう受け止められれば差別で不快という感情よりも、羨ましがっていることの裏返しというような、優越感のような認識が生じるかもしれない。
そのように考えられれば、流石に優越を感じるというのは極端かもしれないが、その反対に差別だ!と問題化しようとして騒ぐ必要もない、要するに無視するのが建設的だと言えそうだ。差別を容認するわけではないが、差別に過敏になって些細なことまでタブー化が進む社会は、それはそれで息苦しくて疲れそうだ。
ハフポストの記事に、自分はこの投稿と同じような見解のコメントを付けたが、それに対して、概ね「許し難い」と言いたいのであろう反論があった。自分はそうは思わないが彼のような受け止めをする者がいてもいいだろう。しかし彼の主張はいくつかおかしな点もある。彼のコメントは、
というものだ。
まず「キューバでは”ちっちゃな中国人”と日常的に中国人をバカにする言葉まで用意されているとは低俗な民族がいるものだと呆れます」という表現についてだが、恐らくグリエル選手がキューバ出身であることからこのような主張をしているのだろう。”ちっちゃな中国人”と日常的に中国人をバカにする言葉と同レベルの表現は、中国や中国人を嫌悪する一部の日本人も似たような表現を用いるが、全ての日本人がそれを用いるわけではない。もちろんキューバ人も同様だろうから、それを理由にキューバ人全体を”低俗な民族”などと批判するのは、明確に偏見に基づいていると言わざるを得ない。
さらに「Go Homeと言いたいところです」、これにも問題があると思う。Go Homeは恐らく”国へ帰れ”的なニュアンスだろう。日本でも良くヘイトスピーチなどで「日本から出て行け」のような罵声を見かける。感覚的にはどちらも大差ないだろう。まず彼が日本在住であるなら、アメリカから出て行けというのはかなり滑稽だし、もし彼がアメリカに住んでいたとしても彼には、他人に「出て行け!」なんて言う権限は何もない。両目を引っ張るジェスチャーが差別的で問題のある行為なら、彼の「Go Home」という発言も充分に差別的である恐れがあると思う。
差別を許せないという人の主張をしているそれ自体が、偏見に基づいていたり、差別的であるという矛盾を感じる。やられたらやり返せでは差別が深まるだけだし、他人の差別は許せないが、自分の偏見に気が付かないのならば、それこそ説得力がない。
結局この件を差別だと言う側にも、差別に鈍感な人がいることが良く分かるコメントだった。そんな点からもやっぱり自分はこの程度のことなら無視でよいという思いを再確認した。