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与党の質疑時間配分変更検討について


 自民党が総選挙での圧勝を背景に国会での質問時間の配分について、これまで野党側に多く割り振られていた配分を見直すことを検討している、と複数の報道機関が伝えている。これまでの割り振りや自民党が検討している新たな割り振りについては、与野党・報道機関によって認識に差があるが、いくつかの報道から判断すると、麻生政権までは概ね与党4:野党6だった割り振りを、民主党政権時代に野党だった自公側の要求により与党2:野党8の配分になり、その後は概ねその配分で運営されていたが、今後の配分について与党側が獲得議席数を理由に野党側の配分を減らす検討をしているというのが現状のようだ。この件が最初に明るみになった際は、自民党が与党8:野党2という配分を検討、などという記事も見かけたが、その後は検討されている具体的な配分については続報がほぼない。一部では明日召集される特別国会の会期延長を野党側が求めているのに対して、与党側がその引き換えに質問時間についての配分変更を要求しているという報道もある。

 
 恐らく現時点ではまだまだ交渉の途中で詳しい話が詰められていないのだろうが、まず自分が疑問に感じるのは、選挙前も選挙後も首相を初めとして政権関係者は口癖のように”丁寧な説明・真摯・謙虚”というワードを並べていたのに、その発言とこの方針は矛盾するのではないかという事だ。野党らが7月から召集を求めていた臨時国会を、安倍首相は憲法の精神に反して召集と同時に解散、言い換えれば実質的には召集せず、特別国会で議論の為に会期延長を求められると、その引き換えに野党の質問時間の短縮を求めるという方針を示すようでは、丁寧な説明をしようという姿勢は全く感じられないし全く謙虚な態度でもないとしか言えない。与党が国民の信を得て大勝したと自負するなら、これまで通り野党に多くの質問時間を与えた上で、野党らの答弁の不備を指摘すれば良いのではないか。自分達が適切に政権運営を行っていると自負するなら、弱小野党の質疑時間を短縮するなんてせせこましいことをせずもっと大きく構えるべきではないのか。そちらの方針のほうが確実に”丁寧な説明”をしたとアピール出来るだろうし、”謙虚”な態度をアピール出来るのではないか。
 
 また、日本は、アメリカのように国のトップを国民が直接選ぶ制度はなく、衆院選で勝利した与党から確実に選ばれる議員内閣制であり、政権と与党の一体感はかなり強い。このような状況下で与党に質疑時間を多く割くという事は、議会による政権へのチェック機能が適切に機能しなくなる恐れがあると考える。この思いに更に拍車をかけるのは日本の政党に存在する党議拘束という仕組みだ。議員達は基本的に政党の掲げる政策について反対しないことを求められている為、党内で一度決まった方針について議会で反対するような態度を示し難い。この仕組みがあるので与党議員は基本的には議会で政権を批判する立場になく、政権に追従することを要求されているのだから、彼らに議会で質問時間が与えらればチェック機能は弱まると考えて大きな間違いではないだろう。一部報道では、今回の質問時間配分変更の話は、自民党の若手議員らが発言の場を求めて主張したことから始まっていると伝えられている。個人的には彼らは党内の議論で大いに主張をすればいいと思う。恐らく国会中継などへの露出が選挙選などへも影響する為、議会で質問に立ちたいという思いもあるのだろうが、彼らの言い分通りに議席数に応じて与党への時間配分を多くするのなら、まず議会で多様な主張がなされ議論を深めることを妨げる党議拘束を禁じるべきだ。個人的には、与党に質問時間を多く割くのなら、首相が与党から選ばれる制度についても国民の直接選挙などに見直すべきだと考える。
 
 ツイッターなどのこの件についての投稿、一部テレビ番組のコメンテーターなどによる、”野党はダラダラと下らない質問をするので質問時間を削られても仕方ない”という主張をしばしば目にする。確かに野党の中には必要性の低い質問や質の悪い質問を行う者いる。では与党や政権側はどうだろうか。与党側にも、持ち時間が野党側より短いのだから、もっと他に質問するべき事柄があると思えるのに、政権を褒め称えるだけの必要性のない質問をする者もいる。また政権側にも前法務大臣のように、事前に質問内容を通告され、しかも答弁書を官僚に作ってもらっているにも関らず、適切な議論が出来ないような人もいる。自分の目には、質の低い質問、程度の低い答弁しかできない者は与党の中にもそれなりにいるように見える。与党の時間配分を増やせば国会における議論の質が上がるとは全く思えない。
 
 これらの3つの理由で、国会での質問時間の配分について、自分はこれまでの慣例を踏襲するべきだと考える。自分は保守とかリベラルなどのレッテル張りはあまり好ましいとは思わないが、現与党は保守勢力と言われることが多い。しかし彼らは何かと改革・革命などと革新勢力的な言葉を多用する傾向にある。だが、このような方針は改革でも何でもなく、あまりに独善的で、制度の改悪であるように思える。与党側が野党の質問時間を減らそうとしていることからは、彼らは中国共産党のような一党独裁を目指しているかもしれないなんて懸念を感じてしまうし、それは言い過ぎだとしても、彼らは何か都合の悪いことに対して相当焦っているように見えてしまう。

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