立憲民主党が10/2枝野氏の会見とほぼ同時に公式ツイッターアカウントを立ち上げ、昨夜・10/5の深夜0:00にはそれまでフォロワー数が最も多かった自民党を超えて、各党の公式アカウントで最大のフォロワー数を獲得していることが話題になっている。その一方で同じく立ち上げ直後の希望の党のフォロワー数は、同じ時点で立憲民主党が11万を超えているのに対して約4千に留まっていることも同時に注目されている。この件に関して今朝・10/5のMXテレビ・モーニングCROSSでも触れており、フォロワーが全て立憲民主党に投票するわけではないので、そこは勘違いしないほうがいいという趣旨のコメントをコメンテーターらがしていた。また、これに反応した視聴者ツイートも放送中に画面に複数表示されていたが、その殆どが立憲民進党のフォロワーの多くが実態のないアカウントだなどの批判で、中にはフォロワーを金で買っているのではないかという批判まであった。
自分が最も興味深く感じたのは、この件に批判的な意見のほぼ全てがフォロワーを不適切に増やしているのではないかという懸念を示していることだった。確かに複数のメディアでこの件が取り上げられれば、立憲民主党にとってはそれなりにポジティブな宣伝効果があるだろうから動機がないとは言えない。そして多くのメディアは単にフォロワー数が各党で最大とか、立ち上げ直後なのに急増とか、希望の党との差などしか伝えておらず、モーニングCROSSで指摘されていたようなフォロワー=投票数ではないというニュアンスは太字で語られていないことに注目すれば、立憲民進党を快く思わない人々、若しくは自民党や希望の党を持ち上げる為に立憲民進党を下げたい人が、短絡的にフォロワーの不正確得の可能性を指摘したくなることはよく分かる。しかしあまりに短絡的過ぎることがとても興味深く、そしてとても滑稽だ。
確かにツイッターの仕組みで言えば、自分の見たいアカウントをフォローするのが一般的で、それはツイッターに限らず多くのSNSや、現在ではSNSでなくとも閲覧履歴などからユーザーが好む情報を各サイトが勧めてくるような状況で、フォロワー数の多さ=好意的な者の多さと捉えるのはごく一般的な考え方かもしれない。
しかし自分の好む情報だけを見ていたら、対抗勢力の批判などは絶対的に出来ない。そう考えれば立憲民進党のフォロワー数=投票数ではないのと同様に、フォロワー数=好意的な人の数とは限らないとも言えるだろう。要するに立憲民進党に好意的な人よりは少ないかもしれないが、懐疑的な人もアカウントをフォローする可能性は大いにある。ということは、アカウント開設直後であることを考えれば、場合によってはフォロワー数の多さ=懐疑的に興味を持っている人の多さである可能性も大いにあると自分は思う。このように自分は考えているので、そのようなネットの仕組みを理解せずにフォロワー数最大などの報道に反応して、大した根拠も示さずにフォロワーを金で買っているなんて批判をする人の短絡さがとても滑稽に見えてしまう。
ただ、フォロワー数=好意的な人の数、投票数ではないことは事実だが、フォロワー数=注目度の高さというのは成立する話だ。短絡的な人々が指摘するように全てのフォロワーが実態のあるアカウントではないと自分も思うし、少なからず複数アカウントを使って全てでフォローするような人もいるだろう。しかしそんな話は立憲民進党だけに限った話でもない。その割合がどの程度なのかについては正確に調べたわけではないから、自分はなんとも言えないが、メディアがこの件を取り上げたということだけでも注目が集まっているのは間違いない。
しかし注目が集まるということは絶対的にプラスの影響だとは限らないと自分は思う。視線が集まるということは小さなミスも見逃され難いということでもある。今は、前原氏がなりふり構わず希望の党と合流しようとして、そちら側はこれまでの民進党の方針を捨てるような状況になってしまっているので、立憲民主党は従来の方針を引き継ぐ党という印象で概ね好意的に受け入れられているが、それは裏を返せば、これまでの民進党と同様反安倍政権以外に主体的な政策の薄い勢力であると見えてしまう恐れも大いにあり、そんな風に注目されてしまっている恐れだって確実にある。
個人的には現在、立憲民主党が最もマシな勢力だと考えているのでこの集まった注目を活かして、反自民・反安倍政権というだけでなく現実味のある政策を公約などで示し、政権に対して牽制する力のある勢力を目指して欲しい。メディアは政権選択とか3つ巴の選挙だなどと煽っているが、今の立憲民主に政権を奪う力があるとは思えないので、今出来ることを地道に積み上げて欲しい。