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希望の党の公約の節操のなさ加減


 衆院選の公示が迫り、各党の公約・マニフェストが続々と明らかになっている。10/5には公明党も公約を発表した。連立を組む自民・安倍首相が衆院解散に踏み切った一番の理由に挙げた消費増税分の使途変更など、概ね彼らに寄り添った内容ではあるものの、憲法改正に関しては一歩下がった慎重さを感じさせる部分もあるなど、自民の公約とは異なる部分もある。個人的には自民よりはいくらかマシであるように感じる。しかし理解に苦しむ部分もある。それは働き方改革の一環で月曜日の午前を半休にするという「シャイニングマンデー(仮)」という公約だ。プレミアムフライデーが名実ともに半年も掛からずに失敗しているのに、曜日と名称だけ変えれば上手くいくというような発想には思わず吹き出しそうになった。なにより仮称ではあるものの、シャイニングマンデーという爺臭いネーミングセンスには脱帽で、ある意味で尊敬すらしたくなる。こんな話を公約に入れて恥ずかしくない感覚が本当に素晴らしい。勿論皮肉だ。

 
 そしてこの公明党のシャイニングマンデー(仮)よりも更に素晴らしいのが、10/6に小池代表自ら会見を開き発表した希望の党の公約だ。彼らの公約の柱は
 
消費税の10%への引き上げ凍結
2030年までに原発ゼロ
憲法9条を含めた憲法改正論議


だそうだ。そして現政権の「アベノミクスに代わるというか、加えてとい方が正しいかもしれないマクロ経済にもっと人々の気持ちを盛り込んだ『ユリノミクス』」も政策に入れ込んでいきたいと思っているらしい。ユリノミクスという酷いネーミングを自ら付けるという感覚・自画自賛さ加減はシャイニングマンデーにも勝るとも劣らない感覚としか思えず、更にその一環で目指すとした「12のゼロ」というスローガンに関しては、シャイニングマンデーなど足元にも及ばないような素晴らしすぎる内容だ。

 12のゼロとは、

原発ゼロ
隠蔽ゼロ
企業団体献金ゼロ
待機児童ゼロ
受動喫煙ゼロ
満員電車ゼロ
ペット殺処分ゼロ
フードロスゼロ
ブラック企業ゼロ
花粉症ゼロ
移動困難者ゼロ
電柱ゼロ


だそうだ。ハッキリ言って直近の数年間で国民の関心が高い問題を単に並べただけにしか見えない。そしていくつかのメディアでこの件に関する記事に目を通したが、いずれの記事にもそれを実現する為の具体的な方策は一切か書かれておらず、ポピュリズムとか大衆迎合とはこのようなことを指す言葉だろうとしか思えなかった。今までの政党も少なからず選挙の際にはおいしい話を並べ、選挙が終わると見通しが甘く路線変更とか、元々路線変更前提でおいしい話をしていたなんて傾向はとてもよくある事だし、今回の選挙でも他の政党も程度の差はあるがその傾向に変わりはない。しかし希望の党の示した「12のゼロ」とやらはそんなレベルに収まらない、芸人などによる風刺ネタなのかとすら思えるようなレベルの面白さだ。辛辣に言えば、「12のゼロ」ではなく13のゼロだったのに、最後に中身ゼロを書き忘れたのだろう。
 何より小池氏が率いた都民ファーストの会設立時のメンバー2名が、隠蔽体質とまでは言っていないが、都民ファーストの会が都議選での大勝以降、小池氏を中心にした独善的な組織に変容したとして離脱を前日に表明しているのに、隠蔽ゼロをどうやって実現するのか疑問だし、満員電車ゼロも都知事選の公約にも小池氏が掲げたものの、その後は満員電車対策の”ま”の字も見えてこないのに、また公約化しているのことは、そのいい加減さがよく表現されていると思える。そう考えるとペット殺処分ゼロなど都などで実績のあるものは別として、フードロスとかブラック企業とか、極めつけの花粉症とかは、選挙後直ぐに消えてなくなる話なのだろうとしか思えない。
 
 そしてこれらがユリノミクスという経済政策の一環だと言うのもかなり滑稽だ。確かにこれらの政策実現のために何らかの公共事業を行う可能性があるなどと考えれば、経済的な観点の政策だと考えられなくもない。しかし例えば花粉症ゼロのどこが経済的な政策なのか自分には全く分からない。花粉症ゼロは経済的な政策ではなく、医療や社会的な政策ではないのだろうか。
 そして前述したようにこれらの政策の具体策についての説明は皆無だし、財源確保についても必要な財源の規模についても全く説明はされていない。しかも消費増税は凍結するというのだから現実味は更に低いと自分は思う。一応消費増税の凍結と共に、大企業の内部留保への課税なんて話も掲げてはいるが、それについてもどのように実現するかの具体的な話も達成期限の設定もない。同様に更に国民にとって魅力的なベーシックインカムの導入なんて話も明示しているが、以上の具体策のなさを考えれば選挙用の撒き餌にしか見えない。
 
 確かに公約に掲げた政策とは、選挙後に国会で充分に議論して詰めていくものでもあるだろうから、100%完璧な状態の話を出さなくてはならないということでもないだろう。しかし今回の希望の党の公約は10%に満たない現実味しかないというのが個人的な感想だ。だから芸人などの風刺ネタ的な印象を強く感じてしまうのだ。
 安保法制に反対していた民進党員らが、それを反故にして大勢鞍替えしていることもそうだし、このようなネタ的な公約を恥ずかしげもなく掲げてしまう党の一体どこに”希望”を感じる人がいるのだろう。希望の党に”希望”を感じている人の大半は、小池百合子氏を、タレントのようにイメージだけで無条件に支持する人ではないのかと自分は思う。憲法改正についても改正ありきで議論するとしかしておらず、具体的な改憲案も何もない。これまで安倍政権は選挙になると憲法改正を隠してきたが、今回はやっと一応公約の柱の一つには掲げているし、自分は全く賛同出来ないが、それなりに改憲方針をしめしている。そんなことを考えると希望の党に比べたら自民党の方がまだマシだ。

 希望の党は自分の目には民進党と自民党の悪い部分を足して2で割った党に見えてしまう。

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