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保守とリベラル


 今日・10/8(日)からMXテレビ・激論サンデーCROSSという番組が始まった。同局の朝の帯番組・モーニングCROSSの日曜版かつ1週間のまとめ版のような番組だ。MCは平日同様、堀潤氏と宮瀬茉佑子氏。個人的には長時間労働が社会的に問題視されているのだから日曜MCは他の人をレギュラーとし、堀氏らは準レギュラー的に関ればいいのにとか、番組内容は平日を踏襲した内容であるが大袈裟なBGMを使用するなど、他局のワイドショーのような演出はマイナスイメージを強めると感じたり、何かと気になる点はあるものの、同時間帯に放送しているテレビ朝日のTVタックルよりは全然見たいと思える内容で、これからブラッシュアップに期待したいと思いながら見ていた。


 今日の番組では”保守”と”リベラル”という言葉が指すもの、それらが明確に区別できるのかなどについてコメンテーターらが討論していた。保守とは大まかに言えば、これまでの体制を踏襲するという意味の言葉だ。しかし”これまでの”というのをどの時点に設定するのかでその内容はガラッと変わる。例えば日本国憲法の制定以降の体制を守ろうというのと、戦前のような体制を取り戻そうというのでは、イデオロギー的には正反対とも言えるような内容になるだろうが、どちらも過去の体制を踏襲しようとしているという意味では保守だ。またリベラルという言葉もとても曖昧で、現在の日本では保守の反対=リベラルというように語られるが、前述のようにまず保守の定義が明確ではないのだからリベラルの定義が安定するはずがない。
 自分は番組でのこのような論議を見ていて、現代音楽のジャンル分けによく似ていると感じた。現代音楽の定義も境界線はかなり曖昧だし、時間の経過によって微妙に定義の範囲が変わったり、似たようなものが細分化されたり、時には名称が変わっただけにしか見えないなんてことも起こる。例えばダンスミュージックでは、まずジャズやブルースを下敷きにしてハウスミュージックがシカゴで誕生する。そしてハウスミュージックの流行を見ていたデトロイトのある3人がテクノというジャンルを定義したが、初期のテクノは電子楽器重視のハウスというイメージだった。テクノは誕生したアメリカよりもヨーロッパでより流行ることになり、元来黒人によって生まれた音楽だが白人的なイメージの強いジャンルになっていく。そしてハウスもテクノもその時々の流行の曲調で細分化がされ始め、他のジャンルの要素を取り入れて別のジャンルとして確立するものも出てくる。その中に当初ジャングルと呼ばれるジャンルがあったが、その後ドラムンベースと呼ばれるようになり、現在ではダブステップという呼び方が主流になっている。
 厳密には、ジャングル/ドラムンベース/ダブステップには確実に定義の差がある。しかしダンスミュージックの中でも同系列にあることは間違いない。似たような例は他にもある。90年代にビッグビーツと呼ばれたロックの要素を取り入れたハウスミュージックは、00年代になるとエレクトロクラッシュという呼び名に変わり、00年代後期からはエレクトロ、若しくはエレクトロハウスと呼ばれ始める。またテクノとハウスについても現在でも離れたりくっついたりを繰り返している。例えばハウスのサブジャンルにテックハウスというのがあるが、これはテクノに近いハウスというイメージのジャンルだ。その時々の流行でテクノの方がイメージがいい時期があったり、ハウスの方がいい時期があったりで呼び名が変わったりもする。
 
 結局、保守とかリベラルなんていうレッテル貼りも似たようなもので、流行だけだとは言わないが、その時々や使う人によっても曖昧に用いられているように思う。各メディアでも割と曖昧に使われているし、全く何を指すか分からない言葉でもなく、ある程度の漠然とした定義はあるので、現在の状況には仕方ない部分もある。しかし特に批判的に用いられる場合は都合よく使われることが実に多い。個人的にはそのような曖昧な定義の言葉によるレッテル貼りなんてのは、単にアホだ馬鹿だと罵ることと大して変わりない行為なのではないかと考える。現在は特にネット上でそのような無意味な主張が氾濫していると自分は思う。
 何かについて議論をするならそんな曖昧な言葉で自分は分かっている者だとアピールするのではなく、もっと具体的な内容で意見を交わさなければ何の意味もない。恐らく積極的にそのようなレッテル貼りをする人たちにはそれぞれの解釈があるのだろうが、そんなのは男はどうだとか、女はどうだとか、A型の人はどうだとか、B型の人はどうだとか言っているのと似たような話で、暇つぶし以外に有用性はないと自分は思う。

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