先月末、大阪府立高校で人種差別的なニュアンスも感じられる黒髪強要が行われていたことが、精神的苦痛を受けたという生徒の訴えで発覚して以降、同じような体験をしたという人が複数名乗りを上げ、誰もが感じていたことだろうが、決して訴えられた学校だけに限った話でないことが裏付けられた。さらに頭髪に関する校則に限らず、必要性が感じられないおかしな校則全般にに対する話題が盛り上がっており、BuzzFeed Japanは「下着の色指定や水分補給の禁止。プライベートまで干渉する『#こんな校則いらない』」という記事を掲載し、読者から寄せられた理不尽・不可思議な校則を紹介している。また、ハフポストでは「黒染め強要の日本。一方、欧米では「クレイジー」な髪で学校に集合しちゃう」という記事で、英語圏の学校で行われている”Crazy Hair Day”というヘンな髪型で登校する日を紹介し、黒染め強要が如何に馬鹿げているかを皮肉っている。Crazy Hair Dayが一体どの程度ポピュラーな学校行事なのかは定かでないが、そのような欧米の事情と比べるべくもなく、日本の学校で馬鹿げた校則が昭和の価値観のまま横行していることは間違いない。
自分が通っていた中学校はごく普通の公立校だった。当然制服の正しい着用が生徒指導の一環として行われ、パーマや髪の脱色、染髪などは校則で禁じられていた。制服がある学校でも、学校によってはそれ程うるさいことを言わない学校もあるだろう。自分の通った高校がその類で、制服はあったものの生徒指導週間以外はうるさいことを言われることもなく、夏場は多くの生徒がTシャツで登校していたし、冬場は詰襟(男子)やブレザー(女子)の代わりにダウンジャケットやスタジャンなど好きな防寒着を着ていた。頭髪に関しても顧問がうるさい部活動に所属している一部の生徒以外はわりと自由にしていた。金髪もいたし、パーマをかける同級生も結構いた。一応学区内で上から3番目の学力の学校で、大学へ指定校推薦で進学する者もいたし、中には高卒で就職する為に面接を受ける者もいた。そんな場合は流石にちゃんと制服を着てこいとか、髪を黒くしてこいなんて指導もあったが、自分の将来にかかわる話だし、面接が終わればうるさいことも言われないので、殆どの生徒は大人しく、そしてほぼ納得してそのような指導に従っていたように記憶している。要するに制服や頭髪に厳しい規律が無くても、大学生が就職活動時期になれば相応の振舞いを始めるように、高校生だって同じように対応できるということを自分は身を持って体験した。
ここからは自分が体験したおかしな校則に関しての話だが、自分が理不尽に感じた校則は制服についての校則だ。その制服に関する校則は多くの人にとってはそれほどおかしい校則ではなく、ごく普通の校則に感じられるかもしれない。
前述のように高校は大分緩い学校で、かつ体育コースのある学校でもあった為、座学の授業も学校ジャージや部活動で着るジャージで受けてもよい学校だったが、わりと厳しかった中学校では、体育以外の授業は制服を着ることが決められていた。ジャージや体操着で授業を受けてよいのは制服を汚してしまった場合などに限られていた。自分はこの校則に理不尽さを感じていた。何故かと言えば授業を行う教員の中には、体育の授業でもないのにジャージ姿で授業を行う教員もいたし、夏場にはTシャツにハーフパンツ姿で行う者もいたからだ。生徒にはどんなに暑かろうが規律正しさを厳格に求め、制服で授業を受けることを義務付けているのに、手本になるべき教員は自宅でくつろぐような格好、しかも暑ければTシャツ短パンで授業を行っていもよいなんて状況は理不尽に思えて仕方なかった。中学生に制服をきちんと着るという”学生らしさ”を求めるなら、教員はスーツを着たりネクタイを締めるなどの規律正しい身なりで”教員らしさ”を率先して表現し、生徒の手本となるべきだろう。これに気付いた時に、結局”制服が学生らしい”なんて誰かの一方的で勝手な価値観に過ぎないと強く感じた。
同じ自治体内で唯一制服のない公立中学校が近隣にあり、1年生の時の数学の担当教員の前任校が、この日本では珍しい制服のない公立中学校だった。ある時この先生が前任校での体験を基に「制服があるから私たちも服装や髪型を注意しなきゃならない」とか「制服がもしなかったら、多くの先生はそんなこと気にしない」などと言っていた。生徒には制服で授業を受けろと学校が決めているのに、自分たちはTシャツ短パンで授業をする教員の存在も、その先生の話が間違いではないと強く感じさせる大きな要因だった。結局多くの教員が生徒にとやかく言う理由は、必要性が良く分からなくても、若しくは理不尽なルールでも、そのルールが存在する意味などは深く考えずにルールであれば従うという日本人の規律正しい気質の、ある意味では弊害とも言えるような性質や、”学生らしさ”なんてとても曖昧で合理的とは思えない大義名分にも誤魔化され易いというような、長いものには巻かれておいたほうがよいという気質などがあるのだろう。それ以外にも自分達も学生の頃はそんな理不尽な校則に従わされたのだから、お前らも同じように理不尽さを味わえとか、理不尽さに耐えることこそが社会勉強なんて勝手な正当化もあるかもしれない。
社会で生きていく上で他人の価値観にある程度合わせることは必用だし、社会の成熟度を維持する為には、ある程度の社会規範を尊重するという意味での規律正しさは確実に必用だ。しかし前述したようにおかしなルール・実情と乖離し始めたルールでも、盲目に維持し続けようとすることは、規律正しさを盲信しろと強制されたことの弊害のようにも思え、学校の制服や頭髪に関する校則の現状が生徒に与える影響は、当然良い部分もあるだろうが、場合によっては悪い部分もあるように思う。
前段で触れた日本では珍しい制服のない中学校も、その学校が前任校だった先生の話では、厳密には制服があったそうだ。しかしそれは日常的に着る制服ではなく(勿論服装に関する指定がないので日常的にそれ着ても問題はない)、部活動で大会に出場する時に着用したり、卒業式などフォーマルな格好をする必用がある場合に着るものだったそうだ。個人的には軍隊や刑務所のように常日頃から規律正しさを厳しく求めるのではなく、時と場所をわきまえた規律正しさが求められることを教える方が、実社会での生活に即していると思う。結局日本の学校の多くの場面で求められる学生らしさというものは、生徒の為に存在しているのでなく、生徒をしっかり管理しているとアピールしたい教員などの為に存在しているようにしか思えない。